6・陰謀

文字数 3,963文字

1時間ほどの後。
俺たちはさっきの町とは大分離れた場所にいた。


「…ふぅ、ここまで来ればひとまず大丈夫だろう」
「ええ、本当に、寿命が縮む想いだったわ…」
「思わぬ所で、あの3人の贈り物が役に立ったな」
「きっと、こうなる事を知っていたのかもね…。不思議な方たちだったから」
「…それに、えらいぞイエス!よく泣かないで我慢した」
「ええ、これが普通の子だったら私たち多分…偉いわねー、イエスちゃん」

二人が俺の頭を撫でたり、ほほにキスしたり…。
どうやら、俺がじっとしていた事を褒めているようだ。
いや、本当に偉いのはこの人たちだ。
俺なんかほといて逃げたほうが、ずっと安全だったろうに…。

「…これから、どうする?」
「そうだね。あのヘロデ大王の事だから、また別の場所で同じような事をくり返すかも知れない…」
「ええ…」
「赤ん坊を抱えているだけで、しばらくは命すら危険だ」
「ええ、そうね」
「もしかしたら、国内に安全な場所なんてどこにもないのかも知れない」
「一体、どうしたらいいのかしら…」
「けど、大丈夫。ヘロデ大王の力が及ばない所にしばらく逃げればいいんだ」
「え?ヘロデ大王の力の及ばない所?どこなのそこ?」
「エジプトさ」
「エジプト?」

「ああ。夢の中に現れたガブリエル様がそう仰ってたんだ」
「あなたの夢の中に?」
「ああ、あなた方にこれから恐ろしい危難が訪れるが、エジプトまで逃れなさいってね」
「そうだったの…」
「外国まで逃げれば、流石にヘロデ大王と言えども手出しはできないだろうからね」
「いつまでそこに居たらいいのかしら?」
「さぁ…でも、ガブリエル様が仰ったんだから」
「あなたって、自分の夢に現れたガブリエル様だけは信じるのね」
「こ、こらマリア」
「フフフ…」

「まぁ幸い、今の私たちは不相応なくらい金持ちだ」
「ええ、本当にあの3人の方々のお陰ね…」
「だから、当面の滞在費くらいは余裕で…?」
「…」
「…マリア?」
「…うっ、うっ…」
「ど、どうしたんだい?」

「あ、あの母親たちと、赤ちゃんたちが…」
「…」
「か、かわいそうで…うっ、グスッ…」
「マリア…」

涙を流す女の人の肩を、男の人がそっと抱く。
それを見て、俺は二人とも全うな心の持ち主なんだという事を実感した…。


二人とも、しばらくそうしていた後。

「…さて。そろそろ休める場所を探さないと」
「え、ええ…。どうしようかしら、ベツレヘムに戻るわけにはいかないし」
「あそこにいい所があるじゃないか」
「いい所?」




ギィィ…


「ここなら、安全だ。夜露もしのげるし」
「ええ、そうね。きっとここなら兵士も来ないわね」
「ベッド代わりの藁もあるし。快適さ」
「お馬さん、ちょっと借りるわね」

馬小屋…。
俺が寝かされてたのとは違う場所のだけれど。
せっかく、立ち込める動物の臭いから開放されたと思ったのに。
結局、こうなる運命なのか…。




それから、2週間後……。



「ふぅ、暑いわね…」

俺と夫婦の3人は、なにやらやたら暑くて砂埃の舞う場所の宿らしき所にいた。
赤ちゃんである俺の身には、ここの暑さは少々こたえた。

「イエスちゃん、暑いねー?」

女の人が、俺を鳥の羽のうちわのようなもので扇いでくれる。
これがこの世界のうちわなのか?

正直、その程度だと多少マシになるぐらいだった。
あー、扇風機に当たりたい。
いや、エアコンを思いっきり効かせた部屋で、
氷を浮かべたグラスに炭酸ジュースを注いでガブ飲みしたい。
しかし、この世界にはどうやらそんな物は存在してないようだった。

「ただいま…」
「あ、お帰りヨセフ。どうだった?」
「…」
「…そう」

男の人は、この地に着いてから
たびたびどこかへ出かけてはがっくり肩を落として帰ってくる事を繰り返していた。
言葉はわからなくても、その様子から察する事はできる。
きっと、全然知らないこの土地で仕事を探しに出かけてるんだ。

「やっぱり、言葉が通じないのは大変だよ」
「ええ、仕方ないわ…」
「…マリア。僕だって頑張ってるんだ」
「え、ええ。わかってるわ」
「マリアは楽でいいよ。そうやって1日中イエスのお守りだけしてればいいんだからさ」
「そんな言い方する事ないでしょう?」

この地についてから、たびたび二人の仲は険悪になる事があった。
それもそうだろう。慣れない土地で明日をも知れぬ生活を送ってるらしいから。
いくら仲良くてもケンカの1つや2つはするだろう。

「…はぁ、本当、これから一体どうしたらいいんだ」
「大丈夫よヨセフ。あの3人の贈り物、まだまだ十分あるんだから」
「だって、それもいつまでもつか…」
「少なく見積もっても3年以上は平気よ。贅沢しなければだけど」
「…その後は?」
「そ、その後は…。ま、まぁ何とかなってるわよ」
「何とかね…。おお、よーしよしイエス、いい子にしてたか?」
「そんな気を落とさないでヨセフ。海外旅行に来たと思って楽しみましょうよ」
「…はぁ、のん気でいいな、マリアは」





その頃、ヘロデ大王の王宮――――



「ヘロデ大王様」
「ん?何だ」
「来客がございます」
「来客?」

「お久しぶりですな、ヘロデ大王」
「おお、これはこれは…。おい、私はこれからこの方と話がある」
「はっ」
「話が終わるまで、誰も私の部屋に入れてはならん」
「はっ…」

「…さて、本日は一体どのようなご用で?」
「その前に、一杯やろう。ワインを持ってきた」
「ああ、これはこれはご丁寧に…。ではカップを用意致しましょう」

「…うん、上等のワインですな」
「そうか。気に入ってもらえたなら結構だ」
「あなたには、いつも感謝していますよ。私が今の地位にあるのも」
「…」
「あなたのお陰のような物ですからね」
「いや、なぁに…」

「本当に、あなたは不思議な方だ」
「…」
「あなたの言う通りにすれば、不思議と物事が上手くいく…」
「…」
「何やら、魔法でも使っているようですな」
「なに、単に合理的なやり方を教えてやってるだけだ」
「またまた、ご謙遜を」

「あなたの言うとおりに物事を進めた結果」
「…」
「私は、この様にして大王として権勢を振るえるのですからな」
「大王…か。フフフッ、確かにそうかもな」
「それに、あなたのアドバイス」
「…」
「非情に振舞えば振舞うほど、周りに逆らう者は居なくなる…」
「ああ」
「片時も、忘れた事はありませんよ」
「どうやら、その様だな」

「それに、あなたの言っていた救いの御子」
「…」
「2週間ほど前に、ベツレヘムで本当にその様な騒ぎがありました」
「…」
「いずれその者は新たなユダヤの王として、私の地位を脅かすようになる…なので」
「…」
「あなたの言う通り、そこの赤子を皆殺しにして始末しましたが。んー、いいワインだ」

「また、そのような噂が流れてないか国中配下のものに見張らせてますが」
「…」
「どうやら、今のところそれらしき赤子の噂はないようです」
「…」
「…それにしても、未来の事がわかるなんてあなたはやはり魔法を」
「お前は、失敗したんだ」
「…は?」
「『未来』が、変わらなかったんだ」
「え?」

「あの、言っている意味が…」
「ワインはうまかったか?」
「え?ええ、あなたもお飲みに…」
「いや、俺はいい」
「そうですか」
「何せ、そのワインは毒入りだからな」
「な!?ど、毒!?」

「やはり、このやり方ではダメだという事だ」
「な、なぜ…。…ぐっ!く、く…っ!」
「こうなった以上、お前に生きていられてはかえって邪魔になる」
「かっ…かはっ…だ…だれ…か…っ!」
「強引に歴史をねじ曲げようとするのは無駄…」
「く…くっ…かはっ…あっ…あ…」
「本来の流れにそい、その上でやらなくてはならないという事だな」
「く…か…かっ…ぐはっ!」
「なぁ、ヘロデ大王。最高のワインだったろう?」
「…」
「やれやれ、返事くらいしたらどうだ。フッ、フフフ…」

「おい」
「あ、お話はもうお済みですか?」
「ヘロデ大王はとてもお疲れのようだ」
「あ、はぁ…」
「疲れたから、私が呼ぶまで部屋に誰も入るなとのお達しだ」
「は、承知しました」






3日後、エジプト―――



「ふぅ、今日も暑いわねー」

今日も相変わらず暑い日々が続く。
女の人がうちわみたいなので扇いでくれているが、
やはり、ほとんど涼しくならない。
あー、ジュースが飲みたい。アイス食べたい。

「さーて、そろそろヨセフが帰ってくる頃…」
「おい、大変だマリア!」
「ん?どうしたのヨセフ」

男の人が、血相を変えて部屋に飛び込んできた。
何だ?何かあったのか?

「ヘロデ大王が、死んだそうだ!」
「え…?ヘロデ大王が?」
「ああ。向こうからの旅人がそう言ってたんだ」

二人の様子を見てわかる。
これはきっと、ただ事じゃないな。

「そんな、急に…」
「ああ。不審な死に方だったそうだ。殺されたかも知れないって噂らしい」
「殺された?一体誰に?」
「さぁ…」

「…けど、とにかくこれで安心して家に帰れるよマリア」
「え、ええそうね」
「きっと、ガブリエル様の天罰だよ」
「…ええ、そうかもね。あんな、ひどい事」

「それじゃ、早速荷物をまとめよう」
「ええ。良かったねー、イエスちゃん。お家に帰れるわよ」

男の人がウキウキした様子で荷物をまとめ始める。
事情はよくわからないが、とにかく暑いここを離れるらしい。
ふぅ、良かった…。
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