13・フィリポとバルトロマイ

文字数 6,154文字

ガリラヤ湖近隣の町――――



「みなさまー、救いの御子、イエス様のお言葉に興味はありませんかー?」

ペテロが、目をきらきらさせながら道行く人に声をかける。


「そこの迷ってるっぽいあなた!どう?その迷い、話を聞けばスッキリ晴れるよ!」

アンデレが、元気のいい声で威勢よく呼び込みをかける。


「え、えーと、い、イエスさんは、その、凄い人で…」

ヤコブは恥ずかしそうだ。どうやら、意外とテレ屋らしい。


「みんなー、イエスさまのお話が聞けるよー!」

それに比べて、まったく平気なヨハネ。最年少だけどいい度胸だ。


「ほう、救いの御子だって?」
「どれどれ、一つ話を聞かせて貰おうか」

4人の声に引かれ、俺たちの周りに2~30人ばかりの人が集まってくる。
よーし、弟子達が頑張ってくれたんだ。
俺が一丁、感動的な説法をして全員まとめて俺の熱烈な信者に…。


「…えー、では、まずその、初めに神は光あれと言いました」

小さいころ、神殿の司祭から聞いたツギハギだらけの知識を
何とか思い出しながらしゃべる。

「その、神ヤハウェは言われました。えー、私のほかに、神はないと」

聞いている人たちは、何だか退屈そうだ。

「神に背いたら、罰を受けます。列王記とか、えーとあとサムエル記?にも書いてあって」

それもそうだろう。
真面目に神を信仰し、神殿にちゃんと通っている人が多いこの時代の人たちには
俺の話なんて、聞いたことあるやつばかりだろう…。

「そういう訳で、皆さん。ヤハウェは唯一の神です。正しき信仰をされますように…」
「あ、ああ。そうだな。それじゃ…」
「そ、そうだな…。アンタにも神の祝福がありますように」

話が終わったら、みんなそそくさとその場をあとにする。
俺の話に感銘を受け、熱心な俺の信者になろうと申し出る者なんて
一人もいなかった。

「…はぁー…。俺って、説法の才能ないのかな…」
「そ、そんな事ありませんよイエス様!」
「あ、ああ、いい説法だったよ?」
「そ、そんな落ち込むなって!」
「がんばってー、イエスさまー」

「優しいんだな、みんな」
「いえ、本当の事を言っただけですから、イエス様そうガッカリしないで…」
「そうだよ。私達にはとってもいい話に聞こえたよ?」
「ああ。オレにもわかりやすかったしな」
「お話楽しかったよ、イエスさま?」
「ああ、ありがとな…」

ここ2週間ばかり、みんなで3~4時間かけてガリラヤ湖近辺の町々を巡り
そこらの人々に声をかけ布教活動をしては、一人の信者も得られず
皆でがっくり肩を落としまた来た道を戻る…。
という事をくり返していた。

なぜ、俺は信者を増やさなきゃいけないのか。
それは、例によって聖書の小冊子に、だいぶ先だけどイエスキリストは
男だけで5000人の信者をパン5つと2匹の魚でお腹いっぱいにした、
という話が出てくるからだ。

どうやったらパン5つと2匹の魚で5000人のお腹を満たせるのか。
いや男だけで5000人だから、女も合わせたらもしかしたら約1万人?
そこも悩ましい所だけど、このままだったら1万人の信者どころか
一人の信者だって出来そうにない。

そうなったら当然、小冊子に書いてあるその奇跡はなかった事になり、
その事によってキリスト教が広まらず、代わって邪教が広まり未来が暗黒に…。

どうしてそうなるのかは、よくわからない。
けど、これはキリストが奇跡を行う神の子という事をみなに印象づけ、
キリスト教が世に広がる上で重要なエピソードなんだろう。
聖書の内容を要約した、こんな小さな冊子に載ってるくらいだから。

まぁ、俺が信者を獲得しようとしてるのは、いわば
ゲームみたくイベントを起こすためにフラグを立てなきゃならないようなもんだ。
クリア条件。信者を1万人集め、パン5つと2匹の魚で全員満腹にせよ。
はぁ、これがゲームだったら良かったのに…。

「そうそう、イエスはどうして伝道の旅に出ようと思ったの?」

その時、アンデレがこんな事を聞いてきた。
キリスト教が広がらなければ、俺のいた未来がメチャメチャになりそうだから…。
とは、もちろん言えない。信じてもらえないだろうし。
こういう時は…。

「ん?ああ。皆に正しき教えを広め、人々を…。この世を悪から救うためだ」
「人々を、悪から…ですか?」
「皆を、救うために…?」
「い、イエスさん…。あんた、立派な人なんだな」
「ヨハネ達も救ってくれるのー?」
「ああ、もちろん。みんなも含めてな」

「そのためにも、みんなの力が必要なんだ。苦労かけて悪いけど…」
「いえいえ、そんな事ありませんよ!」
「私達、そんなイエスに選ばれたんだもの!」
「オレ、頑張るよ!勉強はちょっと苦手だけど…」
「ヨハネの力も必要ー?」
「ああ。俺達みんなで。みんなで力を合わせて世の人々を救うんだ」

正直、こんな少女達がどんな力になるのかわからない。
けど言ってる事は半分本当のこと。
生贄を行う邪教なんてこの辺りに広まったら、弟子達もどうなるかわからない。
成り行きとはいえ、今の俺は救いの御子イエスキリストなんだ。
弟子達の未来、救ってやらなきゃな。
出来るかどうかは、また別として。
はぁ、1万人の信者、か…。

「私達の、力が必要…」
「人々を、救うために…」
「こ、こんなオレなんかも…?」
「ヨハネも、必要なんだよねー?」
「ああ、みんなの力が必要なんだ」

「…うふふ、イエス様ー」
「イエス…」
「イエスさん!」
「イエスさまー!」
「ん?な、何だ?」

弟子達が、それぞれ俺の右腕と左腕にまとわりつく。
そして…。

「むっ…」
「何だ、ヤコブにヨハネ。馴れ馴れしい」
「ペテロにアンデレこそ。その手は何だ?」
「むぅーっ…」

バチバチッと二組の間に散る火花。
…何だか、やな予感が。
こういう時は、先手を打って。

「…腕引っ張ったら、みんなここに置いてく」
「うっ…」
「や、やだなぁ、そんな事するわけないよ!」
「そ、そうだよ!ホラ、離したからさ。おいお前らも離せよ」
「置いてっちゃやだ!」

ふぅ、たまに言わないとすーぐこう…。
けど、大分対処法も身についてきた所だ。

「さーて、次の町に向かうか…はぁ」
「あ、そうですね」
「次こそは、きっといっぱいの人が熱心に話聞いてくれるよ!」
「オレも、呼び込み頑張るからさ!」
「ヨハネもー!」

さて、信者を増やすにはどうするかだ。
とりあえず俺の話を聞きに来る人だけでも増やさなきゃ。
可愛らしい弟子達に引かれて話を聞きに来る人も多いみたいだから、
某アイドルがやってるみたく、弟子達の握手券でも配って…。

「…」
「ん?」

その時、俺の前にポツンと一人少女が居るのに気がついた。
聴衆はとっくに帰ってしまったと思ったが、一人だけ残ってたのか。
銀髪で、白い肌。明るい緑色のトロンとした目をした、美少女…。
美少女?

「フィリポ?フィリポじゃないか」
「…やぁ、アンデレ…」
「フィリポも、今日この町に来てたんですか?」
「…うん…」

何だか、ものすごくゆっくりのったりと喋る子だ。
それにしても、フィリポ?
どっかで、聞いたことがあるような…。

俺は聖書の小冊子を開いた。
そうそう。12使徒の一人、フィリポ。
この子が、俺が弟子にする事になってる子?
小冊子によれば、フィリポがイエスの弟子になったいきさつが書いてあるけど…。

「アンデレ。この子は、アンデレとペテロの知り合い?」
「ん?うん、私達と同じ町に住んでるフィリポだよ」
「フィリポも、イエス様の説法を聞いてたんですか」
「…うん、アンデレの呼び込みが聞こえたから…」

「ねぇねぇフィリポ、イエスの説法聞いててどうだった?」
「…うーん…」

「…イマイチ…」
「も、もうフィリポ!」
「し、失礼な」
「何だコイツ」
「もー!」

お、おっとりした感じなのに言うな、この子…。

「…けど…」
「ん?」

「…そのあとの…みんなの力が必要って話、良かった…」
「ま、まぁ、そうですよねー、うふふ…。イエス様に、私達の力が…」
「ま、まぁな。世の中の人達に、弟子の私達の力が必要なんだよなー」
「オレ達は、イエスさんの伝道のお手伝いをしてるんだぞ!」
「いいでしょー?」

そ、そこまで聞かれてたか。
何だか恥ずかしいな。

「この人は、人々を救うって予言された救いの御子なんだぞー?」
「…え?救いの御子?…」

気をよくしたアンデレが、自慢げに語りだす。

「そうだよフィリポ。フィリポもイエスの弟子になるー?なーんて…」
「ああ、そうだなフィリポ。俺はナザレのイエス。俺の弟子になりなさい」
「…え、あたしも?…」

「…うん。いいよ…アンデレと、ペテロも居るし…」
「ちょ、ちょっとー!イエス様!」
「も、もう、なんでそんな見境なく!」
「…もしかしてイエスさん、ちょっとかわいい子見たら誰彼構わず…!」
「イエスさまのエッチー!」
「ち、違うっての!」

し、仕方ないじゃないか。
俺だって、こんな軽いナンパ野郎みたいなマネ、
したくってしてるんじゃない。
聖書の小冊子にそう書いてあるんだから、仕方ないじゃないか…。

フィリポ。
みんなが住む町、ベツサイダに同じく住んでいるアンデレの知り合い。
アンデレが、彼を…。いや彼女をイエスに紹介し、
そして、イエスキリストが弟子になれと言ったら、
フィリポはすぐさまイエスの弟子に…って。

「…よろしくね、イエスたん…」
「あ、ああ、よろしくな」
「…」
「…」
「…」
「…」

みんなの視線が、痛い。
それもそうだ。みんなの力が必要だ、なんて言っておきながら
そのタイミングでさらに弟子を増やそうなんて。
これじゃ、みんなの力じゃ足りないよと言ってるようなもんだ。
本当に、間が悪いったら…。
けどわかってくれ、弟子たちよ。
これも、イエスキリストとしての使命なんだ…。

「…じゃあ、ちょっと待ってて…」
「ん?どこに行くんだフィリポ?」

その時、一人フィリポがとことこと町外れの方に歩いていった。
そして、俺達だけになったら…。

「…イエス様。これは、一体どういう事ですか…?」
「イエスの浮気者…。そりゃ、フィリポはいいヤツだけどさ…」
「イエスさん。オレの頑張り、足りてないの?」
「ヨハネも?」
「だ、だから違うんだっての!」

説明したって、わかって貰えそうにない。
フィリポを弟子にしなければ、どういうわけかキリスト教が広まらずに
未来が邪教に支配され…。
なんて言われたって、俺だって信じられない。
皆をなだめるのに、俺は大変な苦労をした。
そして、しばらくの後…。

「…みんな。わかってくれたか?俺には見えたんだ。フィリポの力が必要な未来が」
「うう…」
「…まぁ、イエスが言うならそうなんだろうけどさ」
「本当かなぁ…」
「イエスさまは、未来がわかるのー?」
「ああ、その通り。俺にはわかるんだ」

俺はフィリポが教えを広める役に立つ未来が見えた、という事にして
どうにか弟子たちをなだめすかす事に成功した。
こうでも言わなきゃ、みな納得しそうにない。
やれやれ、何とかこの場は治まったようだ。
ところが、そこに…。

「…お待たせ…」
「どうしたと言うのです、フィリポ。わたしは瞑想中だったのですが」
「ん?」

どっかに行っていたフィリポが、誰かの手を引っ張って
俺の所に戻ってきた。

「…この人が、イエスたん…救いの御子…」
「は?この人が?」

ゆるやかなウェーブの栗色の髪に、褐色の肌で紺色の目をした、
まるでアラビア美女を小さくしたような…。
美少女…が…。

「…バルトロマイ、一緒にこの人の弟子になろ…?」
「え?わたしがですか?この人の弟子に?」
「…あー…」
「イエス様…」
「まさか、まさかだよね…?」
「いくら可愛いからって、さすがにないよな…?」
「じぃー…」

バルトロマイ…。
小冊子に、フィリポの次に載っていた。
12使徒のうちの一人で、本名ナタナエル。
この空気の中で、皆の見てる前で、俺はこの子を
弟子にしなけりゃなんないのか…。


「救いの御子…ねぇ」

バルトロマイと呼ばれた子は、
腕組みをしながら俺をじろじろと品定めでもするかのような目で見ている。

「フィリポ。この方の出身はどこ?」
「…えーと、ナザレ、って言ってた…」
「ナザレ?あんなとこ出身の救いの御子なんて。ありえないわ」

「な、イエス様になんて失礼なー!」
「イエスをバカにしたら、許さないぞ!」
「イエスさん、早く追っ払っちゃってよこんなヤツ!」
「もーっ!」
「…バルトロマイ、それひどい…」
「まぁまぁ待てって、みんな…」

俺は、みんなに背を向けこっそりと聖書の小冊子を開く。
書いてある通りだ。
フィリポに誘われ、俺の所にやってくるバルトロマイ。
俺がナザレ出身という事で、最初は俺の事を信じない。
伝承によると、次に生まれる預言者はナザレ出身ではないらしいから。
けど…。

「…あー、バルトロマイ君」
「はい、何でしょう」

「キミは、偽りのない、真のイスラエル人のようだね」
「あ、あら、なぜその事を…」
「もー、イエス様ー!」
「こんなヤツに、おべっかなんか使って」
「…やっぱり、イエスさんってかわいい子見ればすぐに」
「イエスさまの、ヘンタイー」
「…そうなの…?」
「だ、だから違うんだって…」

俺の言ったセリフ、自分でも意味が良くわかってない。
しかし、イエスがそう言うとバルトロマイは驚いたと書いてあるから、
きっと、彼女の中で何か思い当たる事でもあったのかも知れない。
さらに…。

「…そしてキミは、ここに来る前にイチジクの木の下にいたね?」
「えっ!?ど、どうしてその事を!?」
「え?」
「ほ、本当なの?」
「な、なんでわかったの?」
「すごーい!」
「…へぇー…」

そりゃあ、小冊子にそう書いてあるからね…。

「い、イエスさんは未来の事とかもわかるんだぞ!」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、何せイエスさんは救いの御子だからな!」
「…」

俺が知ってるはずのない事を言い当てられたバルトロマイ。
彼女はしばらく考え込んだ様子だった。
そして…。

「…わたし、バルトロマイと申します」

「先生。わたしを、あなたの弟子にしてくださいませんか?」
「ああ、よろしく。バルトロマイ」
「うう、イエス様、やっぱりまた…」
「けどすごいよ。未来がわかるとかも、本当…?」
「ああ、あの子も必要って事なんだろな」
「イエスさま、すごーい」
「…へぇー、未来がわかるんだ…」

先ほど、未来がわかるといっていたお陰で、
弟子たちもわりとすんなり納得してくれたようだ。
ふぅ…。どうやら俺は、何とかイエスキリストを
演じきる事が出来たようだった…。

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