57・十字架の丘

文字数 3,959文字

「うっ!」


棒で打たれ、俺は思わずうめき声を上げる。
周りにズラッと並んだローマの兵士達が、俺をニヤニヤしながら眺めている。

ここはローマの官邸。
俺は、処刑場のすぐ近くにあるここに引き渡され。

そこで葦の棒を手に持たされ、赤い服を着せられ、
頭には茨で作った冠を載せられて…
そんな俺の前に一人の兵士が進み出て、うやうやしく膝をついてから言った。

「ユダヤ人の王、ばんざい!」

それを聞き一斉に笑い声を上げる兵士達。
それから俺は持っていた棒を取り上げられ、
それでさらに打たれ、つばを吐きかけられ、嘲笑を浴びせられ…

「よーし、いいだろう」

さんざん痛めつけられて。
俺は着ているものを脱がされ、元着ていた服を着せられた。
そしてそれが済むと。

「さぁ、こいつをしっかり背負え。落とすなよ?」

兵士が二人がかりで運んで来た、大きな十字架を俺に背負わせる。
それは、ずっしりと…支えられないくらいに重たくて。
俺は思わずよろめいてしまう。

「おい、しっかり持て。もし転んだら痛い目に会わせるぞ?それじゃあ行くぞ」

俺は十字架を背負い、兵士に引き連れられ
官邸の門をくぐる。

処刑場の丘のある場所へと向かって、
俺は街中を兵士に引き連れられていく。

「この、神を汚すもの!」

道の左右にいる数人の人々が、
俺に向かって罵声を浴びせる。

「神殿に逆らう反逆者!」
「その罪を、十字架で償え!」
「何がユダヤの王だ、この罪人!」

俺は人々の罵声を浴び、十字架の重さに
何度もよろめきながら街を通り過ぎる。

「おい、しっかり歩け!…チッ、おいそこのお前」
「は、はい?」
「こいつの十字架を代わりに持て。これじゃ時間がかかってかなわん」

何度もよろめく俺に業を煮やした兵士が、
俺の代わりに道の脇にいた一人の男に十字架を背負わせた。

十字架を担いだ男を後ろに、俺は再び兵士達に引き連れられていく。
街の人々の前を通り過ぎるたびに、罵声が浴びせられ。
刑場が近づくたびに、その数はだんだんと増えていって…

そして。
建物の角を曲がった時。
前が開け、俺の目の前に丘の上まで続くゆるやかに上がる道が現れた。

イエスキリストが、最後に十字架にかけられた処刑場…
ゴルゴダの丘。

「この人をたぶらかす悪党!」
「預言者を騙る偽者に、罰を与えよ!」
「お前は神に逆らう罪人だ!」

丘の上に続く道の両側に、
数百はいるだろう人々がびっしりと詰め掛けていた。
槍を持った兵士が並び、その人達が飛び出してこないように抑えている。
辺りには、俺への罵声がごうごうと轟いていた。

「よーし、もういいだろう。ほら、ここからはお前が背負って歩くんだ」
「うっ…」

再び俺はずっしりとした十字架を背負わされ、
ほんの少しよろめいた。

「さぁ行け」

兵士が俺を促す。
俺は、晴れた空の上まで続いているような、丘のてっぺんに続く道を見上げた。

「どうした?早く行かないか」

神は、道を示されるか…。
俺は…。それをここまで自分の意思で歩いて来たんだ、誰にも強制されたわけじゃなく。

それなら…
歩こう。最後まで。


「人々を欺いたこの男に罰を!」
「おお神よ、あなたを穢す者に罰は与えられん!」
「お前の罪を償え、ナザレのイエス!」

一歩踏み出したとたん、
周囲の罵声がさらに大きくなる。

「く…!」

足が震え、重い十字架に背中がきしむ。
その俺を罵り、憎しみをあらわにして叫ぶ人々。

こんなに人々に憎まれ、罪人と罵られて。
この時代の皆に、本当にキリスト教が備わるんだろうか。
さらに、モレクの司祭の妨害が入れば…。

…いや、それでもきっと。
イエスキリストの最後のエピソードで皆は目覚め、
これから強固な信仰を作り上げていくんだ、多少の妨害があっても。

…確証なんて、何もなくっても。
俺は、それを信じるしかない。信じるしかないんだ。

「うっ!」

どこからか石が飛んできて、
額に当たって血がにじむ。

罵声を浴びせ、石をぶつける人々よ。
俺は、お前達を救おうとこうして十字架にかかるんだ。
…ああ救ってやる、救ってやるよ。

「神よ!彼らをお赦しください」

「彼らは、自分が何をしているのかわからないのです!」

これで、いいんだろ。
この後、お前達が罪悪感に悩まされないように…。

「…ス…様…」
「イ…ス…」

ん?
あ、あれは…

「イエス様ああぁーーーーーーーーーーーっ!」

ペテロ?
馬鹿っ、そんな少し顔を隠してたって、周りにバレたら…

「イエス!イエスうぅーーーーーーーーー!」

アンデレも、
見つかったらどうする、そんな大声…

「イエスさぁーーーーーーーーーんっ!」

ヤコブも。
そんな、大声上げて…

「あぁ、やだ…やだよぉ、イエスさまぁー…」

…ヨハネ。
ああ、そんなに泣いちまって…

「…うっ、イエスたん…イエスたん…」
「うっ、うっ…先生、イエス先生ーーーっ!」

…フィリポ、バルトロマイ。
二人とも、元気で…

「バルトロマイはん、しっかり…グスッ、イエスはん…。嘘や、こんなの嘘や…」
「イエス殿!イエス殿ーーーーっ!」

マタイに、トマス…。
いい子達だった。二人が弟子で、本当に良かった…。

「イェース様、イェース様…。うっ、グスッ…ああ…」
「生き返るんだよね、絶対生き返るんだよね、イエスしゃん、イエスしゃん!」
「イエッさーーーーんっ!畜生、ローマ兵の野郎、テメーらブッ殺すぞ!」

子ヤコブに、タダイに、シモン…
こんな俺に今までついてきてくれて、本当にありがとな。
色々苦労かけて、悪かったな…

…みんな、そんなに泣かれたら。
俺、安心して、あの世に行けないじゃ…

「さっさと歩け!」
「ぐっ!」

つい、足が遅くなって。兵士に棒で腰の辺りを殴りつけられた。
俺を罵る周りの声に混じって、弟子達の悲鳴が聞こえる。

痛みをこらえ、俺は再び歩き出す。
目に、涙が溢れるのを感じながら…

「ハッ、神殿に逆らうからこうなるんだよ!」
「ああ、神がお前に罰を与えたのさ!」
「ユダヤの王か、いいざまだ!」

重い十字架を背負って、棒で打たれ。飛んできた石で体のあちこちに傷を負い。
限界の近い両足が、一歩踏み出すたびに激しく震える。

「…心の貧しい人は、幸いです」

俺は歯を食いしばり、一歩一歩踏みしめるように
ゴルゴダの丘を登る。

「天国は、その人達のものです」

登っていくうちに、
少しづつ丘の頂上が近づいてくる。

「悲しんでいる人は、幸いです」

何度もよろけ、転びそうになりながら
俺は丘を登る。

「その人達は、慰められるでしょう」


「…なぜだ。ナザレのイエスよ。なぜだ!」

群集と少し離れた所に立っていた、あのパリサイ派の男が俺に向かって言う。
ああ、許す。許すよあんたの事も…

「柔和な人は、幸いです」

登り続けるごとに、丘の傾斜は
だんだんときつくなっていく。

「その人達は、地を受け継ぐでしょう」

罵声に晒され、飛んでくる石がぶつかり。
十字架に押しつぶされそうになりながらも、俺は丘をさらに登る。

「義に飢え乾いている人は、幸いです」

その時、向こうの高台に俺を見下ろすようにして立つ
モレクの司祭の姿が目に入った。

「その人達は、飽き足りるようになるでしょう」

モレクの司祭は、俺の持っていた聖書の小冊子を手にとって開き
いかにも下らないといった顔で眺める。

「憐れみ深い人は、幸いです」

やがてモレクの司祭は、
呆れたようなため息をつき小冊子を細かく破って捨てた。
まるで、無駄だ、未来は変わってしまったぞと言わんばかりに…

「その人達は、憐れみを受けるでしょう」

俺は、あいつのお陰で
胸に恐ろしい疑念を抱いて死んでいかなくちゃならない。
全ては、無駄に終わるんじゃないかって…
…悪魔。お前は、まさしく悪魔そのものだ。

「心の清い人は、幸いです」

モレクの司祭。哀れな奴だ。
お前は例え神に道を示されたって、絶対にそれを歩きやしない。
…いや。お前は歩かないんじゃない。歩けないんだ、どうやったって。

「その人達は、神を見るでしょう」

人を生贄に捧げるなとか、人を慈しみなさいとか。
こんな、こんな未来じゃ誰もが持ってて当たり前の常識…

「平和を作り出す人は、幸いです」

けれど…それを守るためには、
時として命を賭けなくちゃならないんだ、今までの歴史にそうあったように。

「その人達は、神の子と、呼ばれるでしょう」

…今思うと。
俺は、あんなにドタバタやらなくても良かったのかも知れない。
ただイエスキリストの言葉で教え諭せば、それが信仰となっていって…

「義の、ために…迫害されてきた人は、幸いです」

歴史の、収束力…。たぶん、本当は、そんな物ありはしないんだ。
歴史を造っていくのは、人の心とか、願いとか、そういった…

「天国は…その人達の、ものです…」


「…うっ!」

ついに、丘の上まで辿り着いて。
俺は、思わず倒れこんでしまう。

「ほら、立つんだ」

兵士が、俺を無理やり引き起こす。
俺は、引きずられるようにしてゴルゴダの丘の一番高い所に連れてかれ、
着ているものを剥ぎ取られ、運んできた十字架にあお向けに寝かされ…

「ぐううっ!」

手に、激痛が走る。
そして、両足にも。

手のひら、
足の甲に釘が打ちつけられ。

俺は十字架に磔にされ。
そして、丘の上に掲げられて…。










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