46・過越の祭

文字数 3,169文字

もう少し行けば、エルサレムだ。

「…」
「イエス様、どうされました…?」
「そんな、何も生ってないイチジクの木の前で…」

「イチジクの木よ。お前はもう二度と実をつける事がないように」
「い、イエス、どうしたの…?」
「やはり、イエス殿も少しピリピリされてようでありますね…」

俺がこんな事言ってるのも、イエスキリストがそう言ったと
小冊子に書かれていて。
それから…

「あ、誰でもいいから二人…向こうの村へ行ってくれないか」
「は、はい…」
「どうしてイエス?」

「するとロバが繋がれてて、子ロバがそばに居るから。それを解いて連れて来て」
「ロバ…ですか?」
「まぁ、イエスさんが言うならその通りなんだろうな」

ヤコブの言う通り。イエスキリストはそうしたって
小冊子に書いてあるからね…

「もし誰かが何か言ったら、主人がお入用なのですって言えばすぐ渡してくれるから」
「は、はい、わかりました」
「じゃ、オレ行って来る!」

歴史の収束力…。
歴史上で起こった事を今やろうとすれば、その通りに実現していくという力。
今まで、何度もそんな場面に遭遇してきた。
だから、エルサレムに向かう途中でも…

「おお、あなたは真の力の持ち主…」
「目が見えるようになりました!」
「素晴らしい…やはり本物だ!」

小冊子に書いてある通りに、目が見えないという人に触れると
見えるようになったとその人はいう。

触れるだけで病気を治すともっぱらの噂の俺に触られて
治ったと強力な暗示がかかってそうなったのか、
それとも、イエスキリストが持っていたという不思議な力の再現なのか…

どういう原理が働いてそうなるのか、俺にはよくわからない。
けれどそれを目の当たりにした人々が俺につき従い、
エルサレムに着く頃には結構な人数に膨れ上がっていて、そして…。


「ホサーナ、ダビデの子!」
「ホサーナ、ホサーナー!」
「ダビデの子、ホサーナー!」
「ホサーナ、ホサーナ!」
「…」
「何か前も同じ事がありましたね、イエス様…」
「ほら、今って過越のお祭りの直前やからなー」

借りて来たロバにまたがった俺と、それに弟子達と多くの人々がつき従い。
エルサレムは今丁度過越のお祭りのすぐ前で、それに
この前神殿近くで店を破壊した時の事を覚えていた人達も加わって。

「何だこの騒ぎ…」
「あの人は一体誰だ?」

街の人たちが、騒がしい俺達の方を見てあっけに取られてる。
その人達に向かって、周りにいる人々が答える。

「知らないのか?」
「この人は、ガラリヤのナザレ出身、預言者のイエス様だよ!」








「…もしあなた達が信じて疑わないならば、いちじくにあったような事ができるばかりでなく」

「山に向かって動き出して海の中に入れと言っても、その通りになるでしょう…」

エルサレムに入り、話を聞きつけた大勢の人が俺の周りに集まってくる。
俺は、小冊子に載っているイエスキリストの言葉を、できるだけ人々に
語り聞かせていた。この時代の人々の記憶に留めておいて貰うために…。

「…死を、恐れてはいけません」

「体を殺しても、魂を殺す事のできない者どもを恐れては…」


「ナザレのイエス。お主はなぜそうやって皆に教えを説いておる?」

その時、パリサイ派の偉い人間らしい男が数人
聴衆をかき分けて俺の前に現れた。

「何の権威によってこんな事をしておるのだ。誰がそうする権威を与えた?」

…これも、書いてあった。小冊子に。
エルサレムに入り、人々の前で教えを説くイエスキリストに
パリサイ派や律法学者、サドカイ派…パリサイ派と同じか、
もっとそれ以上に権威主義的な教団一派が論争をぶつけて来たと。

「…私も、一つだけ尋ねましょう。あなた方がそれに答えてくれたなら」

「私も何の権威によってこれらの事をするのか答えましょう」

「…」

「ヨハネのバプテスマは、どこから来たのでしょう。天ですか、人ですか?」

俺がこう言うと、
パリサイ派の人々はそれぞれ顔を見合わせてひそひそ話し合った。

「…もし、天からだと言えば、ではなぜ彼を信じなかったとイエスは言うだろう」
「しかし、もし人からだと言えば群衆が恐ろしい…人々がみなヨハネを預言者だと思っているからな」

そうして、彼らは顔を見合わせてしばらく話し合い。

「いや、我々にはわからん」

無難な回答。
質問を上手くはぐらかした積もりなんだろうけれど。

「では」

俺は答えた。

「私も、何の権威があってこれらの事をするのかはあなた方に言いません」

「…」

それを聞いた群集から、おお、と声が起こった。
してやられたパリサイ派が、無言で俺をにらみ付ける。

小冊子にはその他にも、
パリサイ派とそれを支持する団体、ヘロデ党が一緒になって
税金は収めるべきかそうでないかといった質問をしてきたり、
律法の中で一番大切な教えは何かと聞いてきたりといった事が書いてある。

イエスキリストはそれらに対し、
神のものは神に、貨幣は皇帝のものだから皇帝に返しなさい、
一番大切な教えは心を尽くして神を愛する事です、
第二は自分を愛するように隣人を愛しなさいと答えたと載っている。

俺は小冊子に書いている通りの受け答えでパリサイ派やサドカイ派、
律法学者に返し、そこに載っている通り彼らをぐうの音も出ないほどやり込めてやった。
そうしている内に、誰も俺に論争を吹きかけて来ようとする者は居なくなった…

「偽善な律法学者、パリサイ人達よ。あなた方は災いです」

完全に黙り込んだパリサイ人。
その彼らにダメ押しをするかのように、俺は小冊子に書いてある
イエスキリストの言葉を続ける。

「あなた方は、天国を閉ざして人を入らせない。自分も入らないし、入ろうとする人を入らせもしない」

「偽善な律法学者、パリサイ人達よ。あなた方は災いです。あなた方はやもめ達の家を食い倒し…」

弟子達や、周りの人々もじっと耳を傾けている。

「…ああ、エルサレム、エルサレム。預言者達を殺し」

「お前に遣わされた人達を石で打ち殺す者よ。丁度雌鳥が翼の下にその雛を集めるように」

「私はお前の子らを幾たび集めようとした事だろう」

きっと…。本物のイエスキリストも。
悲しくて、やるせなかっただろう。
皆を、残酷さや苦しみに満ちた世の中から救おうとしたのに…

「ふん、ナザレのイエス。覚えておれよ」
「我々を侮辱した事を、よく覚えておくんだな」

捨てゼリフを吐き、パリサイ派、サドカイ派、律法学者と
その仲間達は去っていった。
周りにいた人々は、彼らの権威を恐れもしない俺に驚いた様子で
ザワザワと顔を見合わせ話し合ったりして。

「イエス様、あの、あまり挑発されない方が…」
「か…関係ないよ。悪いのは向こうだもん。ねーイエス?」
「そうだよ!イエスさんに言われて当然だよあんな奴ら」
「イエスさまは何も悪くないもん!」

弟子達が、俺の周りに心配そうに集まってくる。
はは…。もう心配なんてしても仕方ないのに。
やれやれ、この前言ったのに。俺は裁判にかけられ死ぬって。
やっぱり、心のどこかではみんな信じられないんだろう。

「パリサイ派なんて、何にも怖くないさ」

俺は、あえてそう強がりを言った。

「さて…宿探ししなきゃ。行こうみんな」
「あ、そうですね」
「お祭りが近いから、どこも混んでるかも」
「うん、そうかもね…」

その時、町行く人々が祭りの準備のためだろう、
たくさんの買い物をして行きかう光景が目に入った。

もう何日かで、過越の祭か。
その時が来れば、俺は…
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