40・力を合わせて

文字数 3,676文字

ダメだ。
変わらない。

イエスキリストが、最後に十字架にかけられるというエピソード。
俺がそれを切り抜けようと、どんなに必死になって方法を考えたって。
その瞬間に、小冊子にモレク教が支配する未来の記述が現れ…

人々に、イエスキリストの言葉が。人を慈しむという概念が心に根付いてないんだ。
俺がここで、十字架にかかるのを逃れようとイエスキリストのエピソードを辿るのをやめ
布教をやめてしまえば。そのうちに、皆は異教に誘い込まれ始め、未来が…


「災いです、コラジン」

「災いです、ベツサイダも、カペナウムも!」

俺は、半分腹立ち紛れにイエスキリストがそれらの町々に対して
怒りを露にしたというエピソードを聴衆の前でこなしていた。

あれだけ、言ったのに…。
コラジンでも、ベツサイダでも、カペナウムでも。

「あなた方の前で行われた力ある業が、もしツロやシドンで行われたのなら」

「彼らは、荒布を着て灰をかぶり、ずっと以前に悔い改めたでしょう…」

住民の多くが異邦人のツロでも、シドンでも。
大勢の人が集まり、皆、俺の言葉にあんなに熱狂したってのに。
特にツロじゃ、異邦人なのにあんなに熱心な人だって居たのに。

「あなた方に言います」

「裁きの日には、あなた方よりもツロとシドンの方が耐えやすいでしょう」

聴衆は、いつもとは様子の違う俺の演説に皆、シーンとなっている。
俺も皆に厳しい事を言うのは気が引ける。
けど、今ごろ皆にキリスト教がしっかり根付いていたなら。
このエピソードそのものを、こなさなくても良くなってたんだろう…

「そして、カペナウム」

「あなたは…。ハデスにまで、下るのです」

そんなに、難しい事か?
未来の誰でもやってるように、程度の差はあっても。
他人には親切にとか、当たり前の人間らしい心で。

神に人を生贄に捧げるなんて
非合理で野蛮な習慣だって、当たり前の常識を持って。
こんな、こんな簡単な事が、どうして皆出来ないんだ?

原罪…
これが原罪ってやつか。
人の心にある弱さ、先の見えなさ、罪への理解のなさ…
きっと、いつの時代でも、神ではない人の心にあるどうしようもないもの。

けど何も、
俺はとんでもなく厳しいルールを押し付けてるわけじゃない。
それが逆に人々の負担になってしまったら、それこそパリサイ派と変わらないし。

異教の神々に捧げるため、人の命を奪うのは罪。
ただそれだけ、たったそれだけの事なのに。


「…ふぅ」
「お…お疲れでした、イエス様ー…」
「イエス、今日は何かいつもと違うね…?」
「こ、こんなに皆に厳しい事言うイエスさん、珍しいね」
「皆、しゅーんとなっちゃってマース…」

純真なんだ、無垢なんだ。この時代の人たちは。
まるで、やっていい事と悪い事の区別がついてない、子供みたいに…

「…イエス。あの、最近ちょっとあせり過ぎじゃない」
「ああ、そうかもアンデレ…」
「イエス様、お話が負担でしたら、少しお休みに…」
「悪いペテロ…。心配かけちまったみたいで。大丈夫だ」

どうする。このまま通りに布教を続けてたって、
これじゃ状況は何も変わっていかないんじゃ。

…いっその事。あの男を。
あのモレクの司祭を、探し出して殺す。

いや…ダメだ、切れる男だ、
俺がそう考える可能性なんてきっと十分考えて対策してるはず。

あいつの、名前を知ることが出来れば…。
未来にとんでもない極悪人が生まれると、今そいつの名前を予言しておいて。
この世界に転生する前に、未来のキリスト教徒に何とかしてもらう?

けど…。たぶん、それも予測済みなんだろう。
あいつは名前を一切名乗らなかった。

「イエスさまー…。お話、大変?ヨハネ、何でも手伝うよー?」
「ああ…ありがとヨハネ」
「…あたし達にできる事なら、何でも言って…」
「ええ…。イエス先生お一人に負担をかけるわけには」
「せやせや、遠慮せんと。うちら、イエスはんの弟子なんやから」

俺の頭で思いつく方法なんて、たぶん全部読まれてる。
ちくしょう、結局、あの男の言った通り、
全て投げ出して逃げるしか俺が助かる方法は…

「イエス殿、自分、イエス殿の力になりたいであります」
「ワタシも、同じ気持ちデース」
「イエッさん、アタイも!」
「ああ、ありがとなみんな…」

事情を理解してないだろうけど。
それでも、事情がわからないなりに力になろうと
俺を気遣う弟子達の優しさが、染みる…

…そうだ。それなら。
あのエピソードだ、あのエピソードで。
弟子達の力を借り、もっと多くの人にイエスキリストの教えを広めるんだ。

俺一人じゃ限界があるけれど。
みんなの力を借りて、多くの人に繰り返し言って聞かせれば、きっと。




「みんな。今日から、二人組みで各地に布教してもらう。人々に取り付いた悪霊を払うために…」
「は、はい!」
「うん、任せといてよイエス」

2日後。
俺は、小冊子にある、イエスキリストが12使徒を二人組みで
各地に送り出して布教させたというエピソードを実施する事にした。

「えーと、それで、杖一本も持ってったら駄目だ。あとパンと袋とお金も駄目で…」
「イエスさん、オレ達杖も持ってっちゃダメなのー?あると色々便利だし」
「あー…そうだな。じゃ、いいよ」
「やったー!」

正直言うと、
こんな年若い女の子の弟子達を二人組みで各地に送り出すのは、
すごく不安で出来れば治安がもっと良くなるまで後回しにしたかった。

それに、このエピソードではイエスキリストは
ほとんどなにも持って行くなと弟子達に言っている。
何て、弟子に厳しい…。

「…あ。その…。あと、えっと、その」
「…ん?どうしたの?…」
「イエス先生、何かお困りですか?」

「し、下着は、2枚持って行かないように…」
「や、やあー、うちらの前で何て事言うんイエスはーん」
「い、イエス殿がそう仰るなら、仕方ありませんけど…」

お、女の子の弟子達の前でこんな事言わなきゃなんないなんて。
やっぱ、出来ればやりたくなかったこのエピソード…

「どこでも、家に入ったら、その土地を離れるまでその家に留まっていなさい」
「タダイサン、よろしくお願いしますネー?」
「うん、子ヤコブ、よろしくなのだ!」

みんな危険な目に合わないだろうかとか、色々と不安もあるけれど。
けど…。

「また、みんなを迎えない所があったら、抗議の印に足のちりを落として…」
「ユダ、お前と一緒かよ。ったく、しゃーないな…」
「本当はシモン、嬉しいくせに」

今現在。
歴史に起こった事をやろうとすれば、その通りの出来事に収束する…。
歴史の収束力…歴史の保護力。

このエピソードには弟子の誰も怪我をしたり、まして死んだりなんて書いてない。
その歴史の収束力…保護力に、弟子達は守られてるんだ。

小冊子の内容をみんなの前で読み上げながら、俺は思った。
たぶん…みんな食料やお金を一切持っていかなくても
行く先々で親切な人や心ある人が宿を提供してくれたりなんて事があって。
実は、みんなは思う以上に安全なのかも知れない。

「それじゃみんな、気をつけてな?あの、何かあったらすぐ帰って…」
「はい!大丈夫です、私達にお任せくださいイエス様」
「よーっし、イエスの教え、皆にばっちり広めるぞー!」
「ペテロにアンデレ、お前達には負けないからなー?」
「ヨハネ達のほうが、一生懸命頑張るもんねー」
「…じゃ、イエスたん、行ってくる…」
「ああ、イエス先生とのしばしのお別れ…辛いですが、頑張ります」

少々気を揉む俺をよそに、弟子達は張り切っている。
まぁ、普段から診療所の手伝いをしたり、言ってる事を間近で聞いてるから
病気の手当てとか、説法したりとかはしっかりやれるんだろうけど…

「さーさー、うちらもイエスはんのために頑張るでー?」
「ええ、そうでありますね!」
「それじゃ、行きまショー!」
「しゅっぱーつ!なのだー!」
「さー、アタイらも頑張るよユダ!」
「はーいはい」

やる気十分に、ほうぼうの村や町に出かけていく弟子達。
よし、俺も弟子に負けちゃいられないな。

勝負だ、モレクの司祭。
この時代の人々が、未来のように生贄を求める宗教なんて
忌み嫌うようになるまで教え諭す。

「神は、こう言われました。汝殺すなかれ、姦淫するなかれ、盗むなかれ…」

俺は、さらに布教に力を入れて
大勢の信者の前で連日のように演説を行った。

「異教はあなた達にその全てを破らせ、また世に広めます。異教は罪そのものなんです!」

「おお、その通りだ!」
「おお、主よ…。我らを罪よりお守りください!」
「主よ、あなたの御心のままに…」

俺の気迫に答えるように、聴衆は熱狂した。それに連れ信者は2万人を超え、3万人に達し。
それを超えてさらに増え続け、そして――――
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