29・ダラダラな日々とマグダラのマリア

文字数 6,823文字

「イエス様、今日も一杯の人がお話を聞きに来てくれましたねー」
「はぁー、そーだなー…」

俺は今、いつもの聴衆の前での演説を終えて
カペナウムの郊外にある小さな自分の家に帰ってきたところだ。

ガダラでの出来事から1ヶ月。今の俺は前と違って、信者を集めよう、
集まった人を異教に染まらないよう教えようとやっきになって毎日話をする事もない。
話は3日に1度、週に2回する程度だ。もっと減らしても、いいと思うんだけど…。

する話だって、そんな大した内容じゃない。
神は皆を愛します、お互いいたわり合いなさい、異教を信じてはいけません程度の
何てことのない話をすれば、大喝采が起こりイエスコールが巻き起こって…。

近くの大きなモレクの信仰拠点がなくなって、
モレク教がこの辺に広まる危険はひとまず去ったと言えるし
カナの婚礼のように時間の期限のある、こなさなきゃならない
イエスキリストのエピソードも今のところない。

俺を突き動かしていたとりあえずの目標がなくなって。
今の俺は、少々だらけていた。

「…なー、ペテロ」
「はい?」
「話、週に1回くらいにしない?」
「な、ダメですよイエス様ー」
「別にやめるってわけじゃないしさ。な?」
「いけませんー」

俺がこんなんでも信者は増え続け、全部で1万7千人以上になっただろうか?
ざっと、数えただけだけれど…。

けど、もうここらで布教をやめようか?と思いながら
小冊子を開くと、やっぱり未来がモレク教に支配されてる。

はぁ、やっぱり、小冊子にあるエピソードは何とか全部再現しなきゃ
人々にキリスト教は広まらないんだ。
こんな小さな小冊子にも載ってるくらいだから、残りも有名なやつばかりで
人々や歴史に大きな影響があるエピソードばかりって事なんだろうけど。
けど、まぁ、今のところ別に急がなくていいか…。

「イエス様のお話は、もっともっとたくさんの人に聞いてもらわないと!」

ペテロが目をきらきらさせてそんな事を言う。
ペテロは純真だ。
俺を本当に神に選ばれた人間と信じ、
俺は人々に救いをもたらす奇跡の存在と心から信じきっている。
俺は転生する前は何でもない、ごくフツーの高校生だったってのに。

「めんどいからペテロが代わりにやって」
「イエス様のお母様に言って、叱ってもらいますよ?いいんですね、イエス様」

くっ…ペテロめ。
いつの間にか俺の尻の叩き方を覚えやがって。

「お母様を、がっかりさせたいんですねーイエス様」

く、くく…。
俺、イエスキリストよ?
俺がペテロはちんちくりんとか言えば、聖書に載って
2千年以上に渡ってペテロはちんちくりんと世界中に晒され続け…

「…イエス様」
「ん?」
「今、な・に・か仰いました」
「ん?い、いや何にも?」

いけないけない、ついペテロのちんちくりんと口から出て…。

「イエスー!いかにも悪霊が出そうな廃墟がさ!」

その時、外に出ていたアンデレが大きな声を上げながら
入ってきた。

「ほら行こうよ、みんなもさ!」
「もうその手には乗らないからな、アンデレ」

俺はあれから何度か弟子達に騙され、
悪霊が出そうな荒地やらほら穴やらを引っ張りまわされたのだった。

いや、騙されたというのは言い過ぎかも。
きっとみんなに悪気はないんだ、アンデレとほか3人くらい以外。

弟子達のうちペテロやヨハネほか7人ほどは本当に悪霊の存在を信じ恐れ、
残りは肝試しとか心霊スポット探検とかのノリで
みんなで騒ぎ楽しむのを目的に…。

「いや、オレは明後日のコラジンのお祭りに悪霊が出るって聞いた!」
「本当?みんなで行こうよ!ね、イエスさま?」
「ヤコブにヨハネ、お前らはホンットーに…」

二人とも、それはただ遊びに行きたいだけだよな?
やっぱり悪気があるのは6人ぐらい、いや7人…。

「…いいね、楽しそう…」
「イエス先生、ぜひ行きましょう?」
「きっと楽しいであります!」
「せやなー、イエスはん、たまにはええんやない?」

フィリポにバルトロマイ、トマスにマタイまでが同調する。
こうなると、もう残りも止まらない。

「オー!いい案デスネー?」
「お祭りは、楽しいから好きなのだ!」
「祭り好きのアタイの血が騒ぐよ!」
「騒がしいのって僕はあんまり。行けば楽しむけど」
「あらー、いいわねーお祭り」

子ヤコブにタダイ、シモンにユダまでが加わって。
はぁ、もう、こうなったら皆を連れてくしかない…。
演説をしない日も、俺が診療所紛いの物を建てたのにも関わらず、どうしても
俺に診て欲しいという病人や話をお聞かせ下さいとういう人が訪れ対応に忙しいのに。
俺は家族サービスに苦慮するお父さんか?
それに今、何だか12使徒以外の人がいたような。

「あっ、あなた、またいつの間に!」
「マリアさんさー、諦めようよ。イエスはもう弟子は取らないって」
「ううん、そんな事ないわよね、ダーリン?」
「くーっ、イエス様のことを、ダーリンなんて呼ばないで下さーいっ!」
「ええ。わたしも今は我慢してイエス先生とお呼びしてるのに」

この人は、マグダラのマリア。
母さんのマリアと同じ名前だけど、性格は自由奔放でまるで正反対だ。

この人は、いわゆる、男を相手にする職業…。
つまり娼婦と呼ばれる職業をしている人だ。
救いは分け隔てなくもたらされます、と説いてる俺の元には
こういった、律法では罪深いとされる人も集まるんだけど…。

「ねぇ、ダーリン、私、マリアを弟子に…」
「いえ、俺はもう弟子は取らないと決めてて」

俺の話にすごく感銘を受けたそうで、変に気に入られてしまったみたいだ。
それ以来、こうして時々俺の家まで押しかけてきたりする。
けれど、小冊子に書いてある弟子はもう一杯だし、弟子にしたら歴史が…。

「どうしても、ダメ?」
「ええ、それに、俺の言う事を行ってるならそれでもう弟子みたいな物で…」
「ううん、ちゃんとした弟子になって、もっとダーリンのそばに居たいのー」
「…」

無意識なのか、またはそうじゃないのか。
胸をぎゅっと寄せたり、左右に揺すったり。…で、でかい。
マグダラのマリアは皆や俺より年上で、二十歳前半から中ぐらいだろうか。
弟子達とは違って、大人の色気が…。

「はぁー、弟子になったら、マリア体を張ってお仕えしちゃうのにー」
「…」

…ゴクリ。

「イ・エ・ス・様?」
「はっ…い、いえ、これ以上弟子は増やせないんです、ごめんなさい」
「もう、ケチねー」
「へーん、無駄だよ。イエスさんが好きなのは、年下の女の子なんだからな」
「にひひ…例えば、ヤコブみたいな?」
「ばっ…アンデレ!」

周りが年下の子ばかりだから、つい目が行ってしまう。
いけないいけない、スケベ心に負けたら。それで歴史が変に変わろうものなら
今までの苦労は何だったのかって話に。
ビシッとしなくては。

「マリアさん、本当に申し訳ありません」

「さて、今日はもう休みます。みんな、また明日な」
「はーい、お休みなさいイエス様」
「じゃ、また明日ねー」
「お休みなさい、イエスさまー」
「あら、まだ早いでしょう?もうちょっとお話を」
「さー、行きますよマリアさんも。イエス様はお疲れなんですから」

そうやって、弟子たちとマグダラのマリアは俺の家から帰っていった。

さてと。
俺は三部屋ほどしかない小さな家の扉と窓に閂をかけた。
こうしないとちょくちょく人が訪れて大変だから。

一度など、治してくれと病人が横たわったベッドを
天井をブチ破って部屋の中に吊り下げられた事があった。
それ以来屋上には柵を設け、容易に登れないようにしている。

はぁ、俺が病気を癒すと大げさに喧伝されるのも考え物だ…。
俺がやってるのはこの時代にない物とはいえ、
せいぜい手当てと呼べる程度のものなのに。
さらに、俺は触れただけで病気を治してしまうと噂が広まってるもんだから、
多くの人が俺に触れてもらおうとして遠くからもやってくる。

簡単な食事をしたりしている内に、外が暗くなっていく。
そろそろ1日も終わりだ。弟子達はみんな住んでる所が近いし
今ごろ同じように夕食を済ませ寝る準備をしてるだろう。

弟子達全員で住めるような大きな家も購入しようと思えば出来るけど、
色々とトラブルが起こりそうな予感がして避けている。
漫画みたいにラッキースケベが重なって、弟子の誰かが
好感度120パーセント状態になり、夜中こっそり俺の部屋に来るイベント発生…なんて。

そうなったら正直断り切る自信があんまない。
そして手を出してしまったら歴史が変わってゲームオーバー。
はぁ、こんな立場でなければ、エロゲの主人公みたいな
モテモテ古代イスラエルライフを謳歌できたかも知れないのに。

まあ、いつまでもこんな事考えてても仕方ない。寝てしまおう。
明日もまた、俺が触っただけで病気が治ると信じてる人達に触れてやり
それが済んだら、その辺をブラブラでもして…。




明け方の、まだ薄暗い時間。
ガタンという音で俺はふと目が覚めた。

「今晩は、ダーリン」

ぼんやりした目をこすり、声のした方を見ると
寝室の入り口にマグダラのマリアの姿が。
な、な?

「玄関、開いてたわよ?」

う、ウソだ。昨日、戸締りはしっかりとしてたはず。
もしかしてこの人、昨日のうちに扉に細工か何かを…?

「ねぇ、ダーリン」
「ちょ、ちょっと困りますってマリアさん!」

マグダラのマリアが俺のベッドに乗り上がってくる。
俺は大慌てでベッドから飛び起きようとした。

「ううん、待って違うの。あなたの話を聞かせて欲しくて」
「話…?」
「ええ」

マグダラのマリアはそんな事をいい出した。

「ダーリンって、何か人に言えない秘密を抱えてるように思えて」

「その秘密のせいで、何か張り詰めてるように見えて…」
「…」

カンの鋭い人だ。
たぶん職業柄、そういう人の心の内に気がつきやすいんだろうか。

「そういうのって、誰かに話すと楽になるのよ?だから、聞いてあげようと思って」

マグダラのマリアはそう言って、添い寝をしながら俺の頭を撫でた。
何だか、小さい頃母さんがよく俺の頭を撫でてくれた事を思い出す。

「いえ、俺に秘密なんて何も…」
「ううん、遠慮しなくってもいいのよ?誰にも言わないから…ね?」

そう言って、マグダラのマリアは頭を優しく撫でてくる。
俺は深い安らぎを覚えた。
やっぱり、大人の女の人は包容力が違う…。

「ほら、いい子だから、ダーリン…」
「…」

マグダラのマリアは、優しく笑みを浮かべながら頭を撫でてくる。
与えられる安らぎから、何だか思わず心が緩んでしまう。

「実は…」
「ん?」
「俺には、未来が見えて…」
「未来…?」

心が緩んで、俺はつい口をすべらせた。

「ええ。みんなが思ってるようなものじゃなく、もっと、ずっとはっきりと…」

一度口が滑ると、心の内がとめどなく溢れてしまう。

「だから、俺が何かやらかせば、未来が変わっちまうんじゃないかっていつも…」
「そう…大変なのね」

どういう事なのか、たぶんわかっては貰えないはず。
けどそれでいい。わかって貰えなくても、今はこうやって誰かに吐き出して…。

「それに、みんな俺は奇跡的な力のある救いの御子って言うけど」

「それに、時々ひどくプレッシャーも感じて。それで、たまに全部投げ出したくなって…」
「ダーリン…寂しかったのね」

考えてみれば、俺はずっと孤独だったのかも知れない。
世界中に誰も知り合いなんていない、2千年前の古代イスラエルに未来からたった一人。

「かわいそうな、ダーリン…」

マグダラのマリアはそう言って俺の頭を優しく胸に抱いた。

「マリア、ダーリンはダーリンだから好きなの。救いの御子だからってわけじゃなく…」

「じゃあ、全部放り投げてマリアと一緒になりましょう?」

そう言いながら、彼女は俺の頭を撫でた。

「どこか遠くに行って、そこで小さな家を買って、マリアと一緒に…」
「…」

ふと想像してしまう。
未来の事なんて全部放り出して、俺の事なんか誰も知らない場所で
する事もせずこの人とダラダラした日々を送って…。

(イエス、どっか行っちゃうの…?)

何だか、弟子達の声が頭に浮かんでくる。

(イエスさん、ダメだって!)

(イエスさまー…)

わかってる、わかってる。けど…

(イエスたん…イエス先生…イエスはん…イエス殿…?)

(イェース様…イエスしゃん…イエッさん!…はぁ、呆れた…)

ああ、わかってるって。けど、今はもう少しこのまま…

(イエス、様…)

はぁ、そう泣くなってペテロ。
ふう、仕方ない…。

「…ごめんなさい、マリアさん」

可愛い弟子達を、裏切るわけにはいかないもんな。

「楽になりました。ありがとう」
「ダーリン」
「やっぱり、みんなを残して消えちまう訳には…」
「そう…」

マグダラのマリアは、ほんの少し気落ちしたような様子で俺の頭を撫でた。
そうしながら、彼女はいたずらっぽくこう言った。

「じゃあ折角だから、しちゃおっか?ふふっ…」
「いっ、いえその…あ、玄関まで送ります」

ヤバいヤバい。これ以上誘惑されたら、理性が…。

「ダーリン、会いたくなったらいつでもいらして?場所はわかるわね」
「はい、ありがとうございますマリアさ…」

「イエ…」
「あっ」

その時、俺の家へとやってきた弟子達と
ちょうど玄関先でバッタリ出くわした。

「…」
「…」

俺と、弟子達全員の間に奇妙な空気が流れる。
い、いけない、ひどく誤解されてしまうぞ、この状況は。

「い、いや違うんだみんな、これはちょっと話を聞いて貰っただけで…」
「楽しかったわダーリン。じゃまたね」

ちょ、ちょっとマリアさん?
皆に事情を説明して、誤解を解いてもらわないと…!

「いっ、イエス!なっ、なっ、何をやってんのさー?」
「そうだよ!ま、まさかイエスさん、あの人と変な事を…!」
「い、いや違う誤解だって!ただちょっと話を聞いて貰っただけ…」

「イエスさまー、今何であの人がいたのー?」
「…これは、何やらの決定的場面…」
「何かの間違いですよねイエス先生、そうですよねそうに決まってますよね?」
「や、やるもんやなーイエスはん、けどみんなの気持ちも少しは考えな…」
「い、イエス殿、やらしいであります…」
「まーったく、男の人は仕方ありマセンネー」
「い、イエッさん、しょうがない。けど、せめてバレないように…」
「本当に、しょーもない。あんな人より僕の方が」
「だ、だから誤解なんだって!俺はなーんにもしてない、なんにも!」

まるでキャバレー通いが奥さんにバレた旦那さんだ。
いやそれより酷いかも。何かしたならともかく俺は実際何もしてないんだから。
そして弟子達に俺は何もしてない、潔白だと説明している内に、俺はハッとした。

「…」
「ぺ、ペテロ」

ペテロが、顔をそらしこちらに背を向けている。
ま、まさかペテロ、泣いてないよな?
けど、それはそれでちょっとかわい…
い、いやそんな事考えてる場合じゃなくて。何とか、誤解を解かなきゃ…。

「ペテロ、違う、誤解だ。誤解なんだ」
「…」
「誓って、俺は何もしてない。マリアさ…あの人が、勝手に押しかけてきて」
「…ふーん」

そう言ってペテロはこっちを振り向いた。
意外にも、その顔は笑顔だった。

「そう、誤解なんですねー」

そう言って、ペテロはにっこりと微笑んだ。
ほっ、良かった、泣いたり怒ったりしてたわけじゃなくて…。

「そーそ、誤解なんだ。誓って言う、話をしただけであとは特に何にも…」
「そうなんですかー。じゃあ、皆さん二手に分かれて、イエス様の腕を掴んで下さーい」
「え?二手に分かれて、俺の腕を?」

え?…まさか、これって?

「…それじゃ皆さん、せーので、思いっきりイエス様の腕を引っ張りますよーっ!」

い、いや、久しぶり?
ていうか、今は12人いる、という事は…。
もしかして、フルパワーで!?

「せーのっ」

「イエス様の、バカーーーっ!」
「いっだぁぁっあーーーーーーーー!」

早朝の、さわやかな空気を震わせ俺の悲鳴が辺りに響いた。

それ以来、俺が夜家に一人で居る時は外から戸口や窓を弟子達に糸で封印され、
翌日その糸がちょっとでも切れていようものなら、
俺の両親から説教を受けてもらうという事を誓わされ…。
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