第8-4話 心臓
文字数 2,267文字
あれから何日たっただろう。
満月の夜、歩けるようになった早苗は、宿の窓から、外を見ていた。
息を呑む。星空は、宝石のように輝いていた。21世紀では見たこともない。
「早苗さま」
「ララ、ちょうど満月だ。プレゼントがある」
言って、ララに望遠鏡を渡す。
「これ、前に遠くを見るのに使っタ……」
「この世界ではたぶん、1000年後に登場する、ガリレオ式望遠鏡。倍率は20倍ほど。これで月を見てごらん」
その言葉に従うララは、笑顔のまま双眼鏡を覗いた。
月の方角を見る。
「えっ……」
ララは、言葉を失った。えっ、これが月なの?
「山や谷がある。月はまるいチーズじゃなイ……」
「いいね。僕の世界の昔の人も、月はチーズだと思っていた」
「……こんなの、きっと誰も見たことがない」
ララは息を呑んだ。
「これでたぶん、ララはエアルドネル初、月の表面を見た人だ」
王族や皇族でもなく、君が最初だ、と早苗は言う。
ララが顔を逸らした。
嬉しそうに、でも涙を抑えようとする。
「早苗さまの世界は、どんな感じなノ?」
「星空はこんなに綺麗じゃないかな。でも夜も、光と音楽で満ちて、街は眠らないんだ」
「……もっと、聞きたイ!」
うんと頷いた。
ララは目を輝かせている。
「……ああっ! 走る鉄の箱! 空飛ぶ船!」
「車と飛行機だね。内熱エンジンの再現は苦労するかな。ジェットエンジンは無理。蒸気機関なら……」
「わたし。早苗さまの世界に行きたいなァ……」
早苗は、子供っぽいララをあやした。
「この世界に似た物を作ろう」
「……うン!」
そして早苗は、ララから望遠鏡を受け取る。
そして、自分自身も月を見た。
「しかし、やっと確信できた」
「……かくしン?」
「僕の世界と同じ月だ。肉眼じゃ自信がなかったけど……」
早苗は望遠鏡を下ろした後、仮説を言った。
「エアルドネルは地球だよ」
「……どういうこト?」
「一日の長さも同じ。星座、北極星があり、夜空も――見える天体も地球に似ている。コンパスも使えた。地磁気も地球同様、南北に分かれている」
もちろん、四千個以上ある、地球に天体までそっくりな外惑星の可能性はゼロじゃない。だが……
「カーミットが言っていた異世界って、やっぱ改変された過去の地球なのか?」
疑問符を浮かべるララに続ける。
「もう1人、科学者が欲しい。心菜は物理学者で、専門だ……」
「……心菜さんとカーミットさん、もし亜人の島に行ってるなら、先についてるかモ」
「そっか。明日、島に向かおう。待たせてごめん」
「ううン」
心菜さんは、美人だった。ララは不安がる。
早苗さまはまだ、心菜さんが好きなのかな。
と……
「なんか欲しい物や、やってほしいことある? なんでも一つするよ」
「――エ!」
信じられないことを言われ、硬直したララ。
普段はこんなことを言わない彼が……
これはチャンスなのでは。
(……ち、違うのよララ、落ち着いて。よく考えるのヨ)
そんな風に必死に悩んだ後、やっと一言。
「……取り置き、ダメ? 将来つかいたイ」
「いいけど、僕に何させるつもりなんだい……」
「え、えええっ!? か、考えてル……」
言って、ララは早苗の手を取った。
「そろそろ、寝よウ!」
「……そうだね」
早苗は、ふと気づく。
人に触られるのを嫌がる彼は、出会ったときからずっと……
ララには、嫌な感じがしてない。
きっと前から、僕は……
「早苗さま?」
「……ううん。戻ろうか」
◇
その時――
早苗たちの場所から、遥か600キロメートル離れた王国の首都エフレ。
その城の塔にいる心菜は、ゴルディと対峙していた。
『ココナ様、貴女の聖痕――』
ゴルディの声に、牢の中の心菜が目をぐるりと回した。
『どこにあるのかしら? 使用人たちに体を洗わせても、どこにもありませんでした』
『さぁ、Zランクなんじゃない?』
『……うふふ、強がりですわ。そんなことはありえない』
ゴルディは、眉をひそめた。
この女は、間違いなくSランクで、神から同じ啓示を受けている。
脅威だ。だが能力がわからず、下手に処分できない。
『……あなたも統一王の啓示を受けたので?』
『どうでしょう』
『……わたくしたち、組みません? 信頼の証に、聖痕の場所を教えあいましょう』
『アンタ、聖痕切り取って、使えなくするでしょ?』
ウフフ、とゴルディが笑う。
『下品な笑いかた。好きに処刑しなさい』
そして鼻で笑う心菜が、ハッとする。
『アンタのオスガキ、王になったんだっけ?』
『……侮辱は許しません』
『私は能力は、遠距離から人を殺せる』
『ハッタリです!』
拳を強く握るゴルディに、心菜は続ける。
『早苗に手を出さないこと。私はそのために、わざわざ戻ってきた』
ゴルディは言い返さない。この女に、彼女の能力は効かない。
床のドア――ハッチを強く閉めた。
(――クソ! ウソに決まっています!)
だが、あの余裕っぷりには、何かがある。
『ウィル、あの女に絶食拷問を』
『……よろしいのですか? もし事実なら』
『ハッタリですもの。そんな力があれば、とっくに使っているはず』
ゴルディは顎に手を当てて考えた。
『……見張り兵を、あの女が見える位置に置きなさい。拷問中に兵に変化がなければ、遠隔ではない』
その後はランプオイルでも垂らして、塔ごと焼いて処分すればいい。
それでSランクが1人消える。ゴルディはそう考える。
『冬までに決着をつける。いいですわね』
『あと1か月ほどですね……』
心菜の処刑までの砂時計が、動き始めた。
それは、全てが闇に葬られるタイムリミットでもあった。