第5-1話 肺

文字数 2,931文字








 鎖を壊した早苗を見て、ララが目を見開いた。

「早苗さま……! どうやっテ!?」 
「塩化第二鉄だよ」

 彼は自分の足の鎖を壊しながら続ける。

「もともと王国の製鉄技術は未熟で、脆い錬鉄を使ってるから――」
「え、さんカ……?」
「……まず、塩水を吹きかけて、赤錆を多く発生させた」

 皿を手に持つと、ララが不思議そうに見る。

「でもそれ、漬け物……」
「うん。漬け物の塩分」

 ああ! と理解される。

「その後は、塩酸で鉄錠を脆くして、発生した成分で内側の鉄も溶かす」
「……エ?」
「錆に、僕の胃液をかけたってこと」

 嘔吐しまくって、内容物がなくなった後に出る、透明な液体。
 pH1.5の強酸だった。

「ああっ! だからずっと吐いてタ!」
「いや、そこは実際に具合が悪かった……」

 だが、まぁいいか。



「……す、すごい。早苗さまなら何でもできル」
「………」

 全身が解放された早苗は、棒状の鉄の拷問具を取り、ララの鎖に叩きつけた。
 次第に彼女も忌々しい鎖から解放される。

「……うううっ。さ、早苗さま。ありがとう。2回もわたしを鎖かラ……」

 しかし早苗は聞いていない。
 そのまま出口の扉まで歩くと、呆気なく扉を開けた。

「……えェ!?」
「カーミットにお願いして、ラッチが閉まる部分に繊維くずを詰めてもらった」
「……ああ、ああァ」

 ララが腰を抜かして、尻もちをついた。

「……神さまみたい。間違いない。救世主さまなんダ」
「ララ、行くよ」

 ◇

 その頃、カーミットは……
 使用人の服を着て、食事を乗せた大きな木箱を持っていた。
 塔を上がる。凄まじく重いので、休憩をはさみながら。

 エアルドネルには電気がなく、城の住人ですら、日が沈むとすぐ寝る。
 人気は少ない。

「……ヨシ」

 警備兵はいない。必死に工作した甲斐があった。
 ドアの前に着くと、パンを千切って隠していたカギを取り出す。
 そしてハッチ(地下扉)を全開にして、下の空中牢を覗いた。



 中には、豪華な椅子に腰をかけている心菜が。

「誰……?」
「カーミットです。ココナサン、逃げましょう」

 カーミットはロープを垂らすと、心菜はそれを体に巻いた。上に引き上げる。

「……はぁ。ありがとう。早苗は?」
「サナエサンは、あなたを助けろって……」
「――ハァ? あのバカ、自分が45億人の命を背負ってる自覚がないの!? 自分の立場をわかって――」
「しーー! 静かにしてください」

 心菜が、頭が痛そうに舌打ちした。

「助けに行くわよ」
「無理です! 神に誓いました!! アナタを逃がすと!」
「あのねぇ……」
「サナエサンは、ココナサンが人類の希望だって……」
「それは、あいつの誤解……! ああ、もう!!」

 イライラと、周囲を歩く心菜。

「あいつだけは替えが効かないのよ!」
「ワカッテマス。明日の処刑の時、警備が薄くなります。その時に助けましょう」
「はぁ、クソ!」

 心菜は憤怒するが、根気負けする。
 カーミットは箱から兵士の服を出すと、心菜に渡した。



「ドウドウと歩いてください」

 エフレの街を歩く、心菜とカーミット。
 辺りは暗い。風は冷たく、月明かりだけが照らす。
 首都エフレの街は、酔っ払いが数人いるだけで、静まり返っている。

「こんな方法で出るなんて……」
「運ぶの重かったです」

 2人の女子は重い、王国兵のチェーンメイルを着けている。
 兜で顔を隠したまま、堂々と正門から出た。

「……ココナサン、このまま平地に出ます」
「わかった。明日、必ずアイツを助けに行くわよ」

 心菜の救出は、ここで完了したのだ。

 ◇

 その頃――
 地下牢から脱出した早苗たちは、近くの厨房に向かっていた。

「さて、どうやって逃げるかだけど……」

 早苗は厨房の物をあれこれ、袋やバスケットの中に入れた。
 さらには……

「トウモロコシ!? この世界にもあるのか」
「あ、たぶん王国の南でしか取れなイ……」

 そうか、と言った早苗は、トウモロコシをすりつぶした。
 終わると革の袋の三つのうち、一つ渡す。

「ララ、頭部の怪我を覆って。絶対に傷口をさらさないで」
「……うん、わかっタ」

 早苗は残りの二つの袋で、顔と左手を覆う。
 そしてすぐに汚臭が漂う、床のある場所へ。

「ララ、この袋を持ってて。中身は換金できる。下に降りた後、袋の中は濡らさないように」
「……あ、スパイス」
「もし僕が途中で死んだら、ひとりで進んで、中身を売ってお金にするといい」
「――えっ!! いやだ! 早苗さまが死ぬなんて!」

 静かに、と人差し指を立てる早苗。

 彼は厨房の廃棄用の穴……つまりゴミや汚物を流す、下水への蓋を開く。
 城の1階にだけは、下水があるとカーミットに聞いた。
 鼻が曲がりそうな汚臭が広がる……

「こんな糞溜めの真上が厨房だなんて、腹を壊すに決まってる」

 それでも、ララをゆっくりと穴の下に降ろした。

「この下水は川に繋がっていると聞いた。ここから、川に逃げる」
「……う、うぅ! ……はィ」

 ララは、何かを言いたげにソワソワしている。
 気にせず、早苗も飛び降りる。
 ぐちゃ、と着地の衝撃で、汚物が全身に飛んだ。

「はぁ……日本に帰りたい。風呂に入りたい……」

 真下には汚物だけじゃない。動物の骨や皮――
 病気で調理されず、廃棄処理されたのだろう。

「マスクも必要だったな……」

 そのまま2人は、狭く暗い地下を進む。
 何も見えない……が、後ろのララには見えているようだ。

「……み、みぎれ、ふ」

 ララに指示されながら、息を殺して歩き続ける。
 途中で道が狭くなり、ほふくして進む。全身が汚物だらけになり、ゾッとした。
 この数日間で悪臭に慣れたが、それでも気絶しそう。

(……何でこんな目に)
 と、目の前を何かが塞いでいた。

「……これは!」

 ララに待機するよう命じる。
 どかさないと、先に進めない。
 危険物か? じっくりと観察するが……

「―――っ!!!」

 一瞬で、全身に鳥肌が立った。
 正体不明の動物の死骸。絶対に触れてはいけない。
 時間をかけて観察する……
 だが腐敗して、なんの動物かもわからない。
 
「……くそ、やっかいな」

 袋で覆った手で、死体をどかし続ける。
 腐っている為、触った所からドロッとちぎれていく。
 結構な時間がたって、ようやく進めるようになった。

「ララ、死骸には触れず、急いで進んで!」

 うん、という返事と共に、彼女が後をついてくる。
 次第に、川の音が聞こえてきた。

 バチャンと下水道から出て、川に落ちる。

「ぷは―――!」

 早苗はすぐに上流側に移動し、潜水しては、何度も体を洗った。
 辺りを見ると、 月明かり、森、平原――
 

「や、やった! 早苗さま!! 外に出タ!!」

 あはは、とララが子供のように笑って、抱きしめてくる。
 早苗は反射的に彼女を引き離そうとしたが、途中で思いとどまった。



「さて、心菜たちが向かったのはどのあたりだか……」

 いや、その前に、悍ましい自分の格好を見る。

「まず体を洗おう。その後、君の故郷に行く」
「……うん! わたし、ずっとついてク……」

 そうして2人は、森林の中を歩いていった。
 必ず作る。亜人も、転生者たちも、みんなが安心して暮らせる場所を。



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