第17-3話 「私は死なない」

文字数 3,740文字







 奴隷のような、ボロチュニック一枚のカーミット。
 そんな彼女が、シルクのドレスを着たノエミの後ろをついていく。
 10人はいるだろう、兵士たちに守られながら。

『ノエミ。ありがとう。もしノエミがいなかったら……』
『そんなこと、考えなくていいんだよ、カーミット☆』

 親友のノエミに助けられ、また再会できた。
 溢れそうになる涙を抑え、カーミットはノエミに抱きつく。

『うわあああん! ノエミぃ……!!』
『よしよし……』

 頭を撫でられ、暫く立ち止まり、時間が経つ。
 再び歩く頃には、カーミットは兵士のセリフを思い出していた。

『……ノエミ。兵たちはアナタを、公爵夫人って』
『うん。わたし結婚したの。ゴルディ様の命令で』
『エ!? そうでしたか……』
『男子を産まないと、鞭打ちの刑か死刑だって』
『ソ、ソンナ……!』

 たしかに中世では、結婚はただの交渉材料だ。
 自由恋愛なんて存在しない。どんなに好きな相手がいても、諦めないといけない時代だ。
 だとしても……
 
『ワタシたち現代人にとって、好きじゃない相手との結婚は、キツいのでは……』
『しー』

 ノエミは無理のある笑顔で、人差し指を口に当てた。

『近代英語、わかる人いるかもしれないでしょ?』

 カーミットは歯を食いしばった。
 彼女は汚い中世人に犯された。体もプライドも。
 でもノエミも、好きでもない中世人に、人生を奪われたんだ……

(ドウシテ、ワタシたちがこんな目に……)

 静かにただ歩く。石造の街道が続いていた。
 次第に周囲は、石を運ぶ獣人の奴隷たちだらけになる。

『エ? 獣人の……奴隷?』
『思い出すよね、あの日本人の隣の女の子』
『え、いや……王国は、獣人を殺せって命じているのでは?』
『殺す前に奴隷にしてるんだって』

 ノエミはいやそうな顔を、笑顔で誤魔化している。

『ネルソン様は利益至上主義だから』

(あの悪趣味な建築物を、奴隷らに作らせてる……?)

 しかもわざわざ、遥かに格上の宗主国の命令を、半分無視してまで?
 公国と王国の関係性が、余計にわからない。

『ここがネルソン様の屋敷だよ』

 ノエミが門の前に立っている間、わきで待機するカーミット。
 次第に門が開く。更に歩くと、大きな屋敷が見えてきた。
 ノエミが使用人に何かを命じる。

『カーミット、水浴びしておいで。ずっと入れなかったんでしょ?』
『エ? いくら公爵家でも、この誰もが汚い世界に、お風呂があるだなんて……』
『わたしがお願いしたら、次の日には入れてくれたの。ハンガリー式の風呂がいいなーって☆』
『エ。公爵って、いい人……?』

 うふふ、とノエミが笑うと、カーミットは使用人に案内され、広い浴室に入った。
 服を脱ぐ。使用人が、カーミットの体に水を体にかけたが……
 瞬間、鞭で打たれた背中が、死ぬほど痛んだ。

『っ!!』

 カーミットはただ、歯を食いしばりながら、それに耐えていた。
 もう、二度と水浴びなんてできないと思った。感謝しないと。なのに……

『――っ!!』

 どうしても、頭から離れない。
 彼女を犯した男たちの顔と、それを命じた元凶のゴルディの顔が。
 きっと、全員を殺すその日まで、この負の感情は消えない。



 リネンの布で体を乾かしてもらう。
 さらに、メイドに櫛を通してもらった。

(……何か月ぶりでしょう)

 ちゃんとしたドレスを着せて貰えるなんて。

(……まぁ、ドレスは、現代の物に比べると繊維も太く荒いですが)

 でも、この世界ではきっと、トップレベルの服なのだろう。
 と、ドアがノック無しで開く。

『ほう、この女がそうなのか』
『はい、ネルソン様☆』

 小太りの髭おやじだった。
 男はにやにやしながら、カーミットを値踏みしていた。
 カーミットはスカートをつまみ、一礼する。

『……ハジめまして、ネルソン様』

 相手は、この国で一番偉い人間……
 いや、そもそもこの新興国の()()になった人物だ。

『その年で公国の主になった、偉大な方だと、その名は――』
『そういうゴマすりは要らんよ』

 指差し指と親指で顎髭をいじりながら、男は不快に言った。

『君には死んでもらうんだ。カーミット』
『……っ!?』

 カーミットは一歩下がる。
 火あぶり? 首吊り? 石打ち?

『ノ、ノエミ……!?』

 いや、ノエミは助けてくれない……?
 当然か。中世の女性には、後世に名を残す権利すら与えられていない。
 ただの子供を産むための道具。
 公爵夫人だってそうだ。ただ後継者の男子を産むだけの機械で――

『もう、ネルソン様ったら☆』
『ハハッ! 冗談が過ぎたな』
『……!』

 カーミットがゆっくりと警戒を解く。
 すぐに、ネルソンは真面目な顔に戻った。

『だが事実だよ、王国から処刑の命令が出ている』
『……ソンナ!  でもこの公国は、独立国だから』
『はっ! 独立国だ?』

 くだらない、と椅子に腰を下ろすネルソン。

『ただの王国の属国だよ』
『……ドウいうことです? てっきり王国との関係は悪いと』
『もともとは公国は、経済活動が活発な、商人や職人組合の自治都市だった』

 ネルソンがゴブレットを持つと、ノエミがワインを注ぐ。

『王国が、俺たち商人を支配するよう、立派な鎖をつけただけだ』
『ソレは……』
『トップの俺ですら、持っているのは徴税権だけ。裁判権や、千人以上の軍隊を持つことすら許されない』
『…………』
『妻の頼みでも、お前を裁判にかけることすら、できないのだよ。ゴルディが君を殺せと言ったら、従うしかない』

 カーミットは絶句した。
 ノエミと公爵の後ろ盾があっても、もう拷問されない程度の話だ……
 結局、ワタシは殺される。これも運命……

(……アハハ。コレも、神の試練?)

 いや、違う。これはあの女、ゴルディが仕込んだことだ。
 神の試練じゃない。

(……この未開の地に、ワタシを救う神はいない)

 テルアビブの女子高生だったカーミットは、世俗的(ヒロニーム)でそこまで信仰心がない。
 エルサレムの髭を伸ばした正統派(ハレーディー)のように、理不尽な試練を受け入れられない。

『……ネルソン様。どうして公国は、王国に頭が上がらないのでしょう?』
『そいつはマナ教のせいだな、カーミット』
『……!』

 カーミットが、顔を上げた。

『マナ教は血統主義。つまり王家を崇めるためのものなんだ。農民や俺たち商人は迷える羊だから、ゴルディやオズソン王に従え、と教えられている』
『ツマリ、独立したくても、信者たちが反対する……?』

 そこで椅子に腰を下ろしたノエミが、ニコニコする。

『そうよ、カーミット☆ わたしもあの後、部屋で勉強してたの』

 ノエミが、マナ教の正典を渡してくる。
 近代英語で書かれていた。

『ハジめて見ました。司祭のトップや、貴族しか持ってないマナ教の正典……』

 カーミットは読み始めるが、まとめるとマナ教の内容はこうだった。
 ・『神』とは『世界樹』のこと。
 ・『魔法』は神が人々に与えた恩恵。
 ・『聖痕』は神と人々を繋げるもの。
 ・『王家』は神の代理人。故に……
 ・『人々』は王家に導かれるべき。

『……ナルホド』
『これを、半数以上の農民たちが信じてるの☆』
『ひっでぇもんだろ?』

 唾を吐いて、ネルソンはつづける。

『独立なんてしたら、暴徒に内部から壊されちまう』
『ハイ。宗教的権威は絶対ですからね』

 そうして、カーミットはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、光を宿していない。
 悪魔に乗っ取られたように、引きつった笑いを見せる。






『……でもワタシなら、この宗教、ぶっ壊せますよ』

『は? 何言ってるんだ。そんなことできるわけ――』
『ううん、ネルソン様。カーミットは本当のこと言ってるよ☆』

 公爵の方に手を乗せ、膝をつくノエミ。

『カーミットは前世で、ノーベル平和賞を取ってるの』
『なんだそりゃ?』
『もっとも優れた人間に与えられる、最高級の権威なの』

 カーミットは静かに頷いた。
 取ったのは早苗が死んだ1年後で、彼はワタシを知らないが。

『具体的には、前世の世界で最も、解決が難しい問題(パレスチナ)の一つを、非暴力で解決しちゃった人なの☆』
『ハイ。ワタシが言いたいのは――』

 カーミットは、再び悪魔の様な表情を見せた。

『ワタシなら、停戦も、開戦も引き起こせます』
『……ほう』
『ただし公爵。アナタの協力が必要です』

 そしてカーミットは、ネルソン公爵に計画を話す。
 ついにこの時が来た。彼女の能力を、遺憾なく発揮させる時が――
 ()()を聞いたネルソンは、思わず吹き出した。

『ふはっ! ハハハ!! マナ教が言う悪魔って、お前のことだな、カーミット! お前は魔女だよ! 間違いねぇ!』
『……公爵、どうです? やりませんか? ワタシたちは永遠の権力を得る』

 再び髭をいじっていたネルソンは、ニヤっと笑った。

『ノエミ、面白れぇな、コイツ』
『気に入ってもらえてよかったです☆』
『いいぜ、カーミット。やろう』

 だが、と人差し指を立てるネルソン。

『ただし条件がある』
『ナンですか?』
『農民たちがマナ教を信じている理由は、世界樹の存在だ。まよえる子羊たちは、奇跡にすがる』
『……ハイ』

 それは、地球の歴史でも一緒だった。
 
『つまり、お前も奇跡を起こしてみろ。それが条件だ』

 そしてカーミットは、あることを命じられた。
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