第6-4話 気づいてしまった

文字数 3,583文字








 おしっこを入れてくれ。
 そう早苗に言われた後、早苗とララは、宿屋の外に移動していた。

「濃尿素の作り方、覚えてる?」
「……う、うン」

 外で、尿を真っ黒になるまで茹でる。
 足りなくなったら、農家から牛の尿を貰って追加。
 覚えたが、ララは口には出さなかった。

「じゃあ、僕は蒸留器を作ってくる」
「さ、早苗さま……!」

 早苗はなにやら花やら貝殻、青い石やらを買いながら、鍛冶屋に向かっている。
 さて……

「……やるのよ、ララ! 早苗さまの為に、アンモニアを作るノ!」

 そして彼女は、目立たない平地で自分の尿を煮込む。
 さらに厩務員や牛飼いの所に、牛の尿を貰いに行った。



「で、できた……濃縮尿」

 辺りはすっかり夜だ。
 そして目の前には、悍ましい臭いのする、黒い液体が容器に。
 服にも付いたんじゃないか、と思うほど臭い。

「う、ううう……早苗さまに、完成したの、教えないト……」

 ふらふらとララは、鍛冶屋に向かった。
 すぐに鍛冶師と彼を見つける。

「さ、早苗さま……! 濃縮尿できタ!」
「ありがとうララ。本当は僕がやる仕事なのに……」
「ううん! わたし、早苗さまの為なら、なんでもやル!」

 えへへ、と言って、ララはニコニコ、笑顔で上目遣いをした。
 瞬間、早苗はハッと顔を背ける。

「……あ、わたし、臭イ?」
「ううん、全然。ララが臭かったことは、一度もないよ」

 あくまで視線を合わせず、そっぽを向きながら言う早苗。
 なにやら口元を隠して、視線を合わせない。

「早苗さま?」
「何でもない」

 と、彼女は、テーブルの上のガラス瓶に気づく。

「す、すごい……こんなに透明なガラス、見たことない」
「鍛冶師に手伝ってもらった。たぶんこの世界では初の、無色透明ガラス。これでレンズも作れる」
「あ、その隣の粉ハ?」
「純粋なソーダ灰。つまり炭酸ナトリウム。まずはアンモニアなしの、古い方法で作った」

 塩と硫酸を混ぜ加熱し、石灰石を入れて水に濾過……
 一度でも作れば、あとは無限に増やせる。



 と、ララがガラス瓶の中を見ようとした、その時――

「中身に触ったら皮膚が溶けるよ。硫酸が入ってる」
「……う、ァ!」

 すぐさま手を引いたララは、背筋を凍らせた。

「その硫酸も原始的な方法で作った」
 たんぱんを蒸留器で焼いた。効率の悪い方法だ。



「蒸留器のおかげで、ラムを蒸留してエタノールも作れた。この世界に、消毒が生まれたんだ――」
「……さ、早苗さまっ!!」

 ふらついて、疲労で倒れそうに。
 即座にララが支えてくれた。



『おい、お嬢ちゃん。その兄ちゃん、 頭はいいが、体力が全くないぜ』
『……ずっとデスクワークだったからな』

 この鍛冶師は宗教への信仰心が薄い。
 異端として弾圧されないだろうから、彼を選んだ。

『気にせず、ガラス細工を続けてくれ』
『ああ。こんなとんでもない製造法見せられちゃ、眠ってなんかいられねぇよ』

 早苗は無視して、フラフラとテーブルの粉を取る。
 そして外へ。

「……行こう、アンモニアを完成させる」
「う、うん。やり方ハ?」
「ララの作った濃縮尿に、ソーダ灰を合わせる」

 その後、蒸留器で焼けば、アンモニア水(水酸化アンモニウム)の完成だ。



「できた。これで透明ガラスを無限に作れる。アンモニアはニトログリセリン――ダイナマイトにもなる」
「……おオ!」
「あとは肥料にもなる。これで科学文明も、すこし前に――」

 疲れ切っている早苗が倒れそうに。
 ララは心配そうに、背中をさすっていた。

「すまない。もともと体が弱いんだ……」
「早苗さま……大丈夫。私がずっと一緒にいる……迷惑じゃなければ、王になった後モ……」
「……王、か」
 思わず、怪訝な顔をする。

「……え、ヘンなこと言っタ?」
「いや。ただ君の願いを、叶えてあげられない気がして……」
「……どういうこト?」
「いや、いい」

 振り解くと、ララに悲しそうにされた。
 
「いや、そんな顔……つまり――」

 そこで、はじめてかもしれない。少しだけ、本音を言った。

「僕は、たぶん助からない……」
「え……! でも、薬があれバ……」
「いや、装置は作れない。中世の職人たちの技術じゃ無理だ。それに――」
「……うン」
「ペニシリンは胃酸でダメになるから、注射しないと。でも同じく、ちゃんとした注射針を作れる技術者がいない」

 最後に、と続ける。

「運よくペニシリンができても、満足な濃度もあるかも、わからない……」

 そして、助かる確率は、時間とともに減っていく。
 死は確実に迫っていた。

「怖いんだ。僕だって死にたくない……」
「……ううっ! どうしよう! 早苗さま……」

 ポロポロと涙をこぼすララ。

「どうしてわたし、なにもできなイ……」
「ごめん。言うべきじゃなかった」
「ううン。ごめン……」

 ララは考え込む。
 彼女はいつもきちんと話を聞き、支えようとしてくれる。やっぱり、いい子だ。
 と――

「……ああっ! 帝国に行けば穴が開いた針、作れる。宝石細工店に頼めバ……」
「ああ! それならまだ、希望が……」

 ララが手を合わせた。

「なら、帝国行く! ガラス職人もいる。港街なら入るの簡単……」

 と、そんな少女の声を遮るように、男の声が。

『おーい、兄ちゃん!』

 鍛冶師がせかせかとやってきた。

『完成したぜ、ガラスの小皿、小玉、瓶。あとこれ、レンズってやつか? ちょうど温度も下がった』
『ありがとう。これで望遠鏡に顕微鏡が作れる』
『ハハ! 何言ってるのかわからねぇや!』

 笑って欠けた歯を見せた後、男は続ける。

『あの複雑な装置は無理だが、これぐらいはな。それより……』
『なんだ』
『兵たちが門にいる。兄ちゃんたちを探してるんだろ?』
『…………!』

 血の気が引いていく。
 想像できるのは、公開処刑や拷問、火あぶりの刑のことばかり。

『まったく、貴族様の許可なく、生まれた村や街を離れるのは、違法なんだぜ』
『……ああ、そうだったな』

 勘違いされている。よかった。
 たしかに中世では、平民は生まれた場所から一生離れられない。

『俺が時間を稼ぐから、はやく行ってくれ。木工職人に作らせてた二つの物も、もう積んである』
『ありがとう。いいのか?』
『製造法を教えてくれた礼だ、気にすんな』

 言われて、握手を求められる。
 早苗は返さずに頷いて、川に向かって歩いていった。

『つっめてぇな、おい!』



 早歩きで川に向かう早苗とララ。

「さ、早苗さま……馬に乗って逃げル?」
「ううん、お金は全部使った。馬は買えない。それに門はもう通れない」
「じゃあ、どうすれバ……」

 心配そうなララの手前、早苗は歩く足を止める。
 そこには……

「えっ、イカダ!?」
「これで、国境まで移動する」

 簡易的でボロボロだが、川に浮かんでいた。
 既に荷物が置かれている。

「あ、この木材は、作ってもらったノ?」
「うん。まだ組み立ててないけど、連弩のパーツとかだよ」

 ちゃんと説明してやりたいが、眩暈に襲われる。

「……この川は、帝国との国境線に繋がってる。露店で周辺の地図を見た」

 早苗は葉っぱを拾い、川に流した後、ざっくりと計算する。

「時速7km。馬より移動距離が長い。兵たちが必死に周辺を探しても、見つからない。さぁ、乗ろう」

 フラフラとイカダに乗り、ララが続く。
 突貫工事で作ったからか、バランスが安定しない。
 早苗が荷物を置くと、縄を解いてイカダを進行させた。

「ララ、荷物の中のビンには気を付けて。特に濃硫酸は、触れたら骨まで溶ける」
「……う、うん。絶対触らなイ」

 ふと、力がなくなるように、頭を下げる。

「睡眠が足りない。免疫力の為にも、僕は寝る」

 そして最後に、

「帝国との国境線、【ナイフ=エッジ】についたら起こして。海に出る前の場所……」

 と言って、横になってしまった。
 ララは彼の寝顔を見たら、ちょっと幸せで、でも不安な気持ちになる。
 必ず、助けないと。

 イカダは、ただ前に進み続けた……

 ◇

 同じ時刻――
 首都エフレから出発して2日目のマックスは、駐屯地のキャンプで休んでいた。

『明日、初陣か……』
 マックスは、先程まで抱いていた神聖娼婦のリンに、十字架を渡した。

『リン、これを受け取ってくれ』
『これは…?』
『オレの故郷の、宗教のシンボル』

 リンに、十字架のネックレスをかけてやる。

『救世主が人類を罪から救った。鍛冶屋のおっさんに、再現してもらったんだが……』
『ありがとう、マックス様。私もあなたと同じ神様を、信じますね』

 ちょっとウルっとくるマックス。

『マックス様は、きっと世界を統一する王になります』
『HAHA。それ、陛下たちの前で言うなよ』
『ふふ、はい。もうすぐ戦場ですね』
『そうだな。たしか【ナイフ=エッジ】だ』

 マックスが明日、帝国と戦うであろうその戦場に、
 脱獄した早苗とララが向かっていることを、まだ誰も知らなかった。








ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み