第4-1話 ロスト イン タイム

文字数 4,237文字








「この世界の王になれ、か」

 早苗は、真面目に可能性を考えていた。
 もし亜人の島の王に……

「……獣人、ドワーフ、エルフがいるんだね?」
「うん。獣人たちだけなら、わたしの命にかえても、説得すル……」
「ありがとう。でもまず、ここから脱出しないと。しかも3日以内に」

 両手を縛っている鎖をガチャガチャ鳴らす。
 錬鉄だ。鋼鉄の10倍は脆い。

「ワインビネガーで少しずつ錆びらせれば……いや、それだと2週間はかかるか」

 そもそもこの地下牢は糞尿、虫、ネズミと、かなり不潔だ。
 2週間もいれば、仮に処刑されなくても、病気で死ぬ。

「ララ、君も必ず助ける」
「……早苗さま。どうしていつも、わたしを助けてくれるノ?」
「えっ?」

 考えれば、もともと、他人を思いやる性格ではなかったはず。

「……前も言ったけど、似てるから」

 そして、普段は絶対に話さないであろう、自分の過去を話した。

「僕が前世で死んだ理由は、ある女の子を助けたから」
「……女のコ?」
「迷子で、あまり英語が上手くない、10歳のゲール人の女の子。泣いて怯えていたんだ。君みたいにね」
「……ご、ごめんなさイ」

 ううん、と早苗が続ける。

「誕生日に海外旅行に来て、博物館ではぐれたって。幸せそうな子だった。その年齢の時、僕は……」
「……えっ?」

 何でもない、と言って頭を振った。

「一緒にその子の親を探してあげたら、道路の向こうで見つけた。でもその子は、トラックに気づかず駆け出してしまった」

 今でも鮮明によみがえる。
 明らかにスピード違反のトラックが、小さい体を撥ねようと――

「僕が助けないと、その子が死ぬか、重篤な後遺症が残る気がした。だから庇った」

 自分でも、よくわからない行動だった。

「そしたら、僕が代わりに死んで、起きたらこの世界」

 死因は恐らく、手が施せない重症外傷。
 そういって早苗は話を終わらせた。

「そ、そっカ……」

 しーん、と辺りが静まる。
 なんで過去の話をしたんだろう、と後悔していると……

「早苗さまは、その子が好きだっタ?」
「いや、10歳だよ。そんなことあるわけ……」
「……え? わたしより年上だけド」

 ふたたびシーンとなる。
 あれ、ララって冗談言うような子だっけ。

「ララは何歳?」
「わたしは6歳。獣人は、2歳で成人になル」
「そっか。君は10代後半ぐらいに思ってた……」
「人間はみんな12~14歳で結婚するヨ」

 そういえば史実でも、中世では、早ければ6歳で結婚していた。
 自分が持つ常識を捨てないと。

「……あの、で、でモ」
 何故か、ぽっと頬を赤くしたララが続ける。

「その助けられた子は、早苗さまのこと好きだと思ウ」
「……そっか」
 ララの顔は見なかった。
 どんな表情をしているのか、多少は興味があったが……



 次の日の朝になる。処刑まであと2日。
 早苗がいる地下牢の遥か遠い場所――神殿から、マックスが出てきた。

『……信じられないくらい美人だった』
 昨晩マックスが抱いた、カーテンの向こうから出てきた女性である。
 あんな完ぺきな美人が実在するなんて、この世界はどこかが間違っていた。



『……名前、リンだったよな。また会えるかな』
 王国で成功し、あの美人を妻として迎える。
 マックスはもう、それしか考えていなかった。

 ◇

 処刑まであと2日。
 痛みで目が覚めた早苗は、自分の左手を見る。

「Ⅰ度火傷だな……」
 皮膚が赤くなり、痛い。だが大丈夫だ。

 が、問題はそこじゃなかった。
 床を目掛けて、派手に嘔吐する。

「……ううっ、病気が悪化してる」

 眩暈と吐き気が同時に襲う。
 不衛生な環境での、経口摂取後の下痢と嘔吐。
 苦しい。前世なら救急車を呼ぶレベルだ。

『サナエ』
 ウィルフレッドの声だ。
 昨日、左手を熱湯に押し入れた本人が、ドアを開け地下牢に入る。

(……ドアのカギは、古いウォード錠か)
 脱獄するには……
 まず腕の鎖を外し、あのドアを開け、さらに脱獄経路を確保しないと。
 しかも病気と戦いながら、あとたったの2日で。

『うっ……お前……』
『……ウィルフレッド、医者を呼んでくれ。じゃないと公開処刑の前に、僕は死ぬ。王妃に死なせるな、と言われただろ?』
『死ぬだと? 何を根拠に――』
『今朝も下痢だった。粘血便だ』

 感染性胃腸炎、コレラ、ノロウイルス、いろんな鑑別が挙がる。
 だが、恐らく……

『俺はお前らの言語を話せるから、拷問官として呼ばれただけだ』
『……拷問?』
『鞭に打たれながら、神への許しを乞うんだ』
『このままだと今日僕は死ぬ。死んだら拷問もできないぞ』

 再度嘔吐すると、騎士長は観念して牢を出た。
 しばらくすると、ローブを羽織った司祭を連れてくる。
 まて、これが医者なのか……?

『これは呪いですな』
 医者は聖油を手に付けて、こちらを向く。

『さぁ、おでこを』
『……じいさん。手で触れて奇跡で治療、なんて言うなよ』
『あってます。さぁ、おでこを』

 絶望する早苗。
 中世では、病気は罪のせいだと信じられている。
 つまり同レベルのエアルドネルにも、まともな医療はない。

『ちゃんとした診察を……』
『占星術を用いた診察ですか? 私の専門では――』
『いや、そうじゃなくて』
『病は罪の呪いなのです。聖職者の奇跡と、お祈りなしには、治りません』
『いや、消毒もしてない手で触るな。……おええっ!』

 再度嘔吐するが、すでに出せるものがない。

『はやり、呪いですな……』
『さ、細菌やウイルスの概念がないからな。……薬は?』
『ポーションなら』
『成分は?』
『水銀やヒ素です』
『……殺す気か?』

 因みに史実だった。
 ゲームによく出るポーションの原料は、水銀とヒ素や細かくした宝石。
 ただの毒を、中世人らは喜んで飲んでいた。
 他にも中世では、ラブポーション(精力剤や惚れ薬)を、流産した胎児のエキスから作っていたとか。
 早苗は、真っ青な顔で続ける。

『……自己診療しよう。赤痢だよ』

 晩餐で飲んだ水や、この汚物だらけの地下牢が原因だ。
 はぁ、と間の抜けた声を医者は返す。

『細菌性赤痢ならニューキノロン系に生菌整腸薬と補液。アメーバ赤痢ならメトロニダゾールが欲しいが……』

 何を言ってるんだこいつ、という顔をされる。
 早苗は遠い目をした。

『ないよな、そんなの。この場合、経口補液で自然治癒を祈るしかないが、この世界は水そのものが汚染されてる』
『そうですね。ですので、祈りをささげてください。あと呪いは血液に溜まります。なので、瀉血で血液を出せば――』
『もう帰っていいよ』

 医者が帰っていく。異端として弾圧しないだけでも、いい司祭なのだろう。
 だが早苗は絶望した。できることがほぼない。

「う、ううう……早苗さま……」
 ララは泣いていた。
 自分とは真逆で、共感性が強い、いい子だ。
 気にせず、ウィルフレッドが立ち去ろうとする。

『騎士長、待ってくれ。この左手の腫れは、深達性Ⅱ度熱傷(Ⅱd)以上の初期症状だ。細菌が入れば、今日僕は死ぬ。処刑日には間に合わない』
『そうは見えんが』
『左手の鎖だけでも外してくれ』 

 もちろんⅠ度火傷なので嘘だ。

『信じられん……』
『僕は前世では、研究医だ』

 これは本当だった。
 はぁ、とため息をつくウィルフレッドが、左手の鎖を外す。
 やった、と思った矢先、新しい鎖が左足に。

『逃げようなどと、思うなよ』
『……ありがとう。あと本当にワインを、できれば古いヤツ。ラムかウォッカならなおいい』
『貴様、調子に――』
『飲むわけじゃない。火傷や頭部の消毒用に欲しい。ダメなら死ぬほど痛むが、酢でもいい。頼む……』
『ダメだ。だが、水なら許可しよう』

 その水が汚染されているのだが……

『……最後に、嘔吐しすぎて胃袋に何も入ってない。死ぬ前に何か、食べ物を』
『はぁ』

 ウィルフレッドが、つかつかと近寄って重い声を出す。



『この国では、平民は年に数回しか肉を食えない。晩餐で食べたような物は出ないぞ』
『……じゃあ、漬け物を。故郷でよく食べた。死ぬ前に故郷を思い出したい』
『ピクルスか。それぐらいならいいだろう』
『あとは、栄養分がある液体。あと2日生きる為にくれ。芋の煮汁でいい……』
『はぁ。あとで持ってこさせる』

 ウィルフレッドは仕方なく同意し、そのまま立ち去る。
 彼が出ていったタイミングで、泣いているララを見た。

「う、うう……早苗さま……どうすれバ……」
「ララ。もう泣かないでくれ」

 少しすると、誰かが階段から降りてくる。
 カーミットだ。彼女は水の入った小樽を置いて、出ていく。
 彼女はさらに瓶に、ジョッキ、そして漬け物を持ち、再度戻ってきた。
 目の前で、懺悔される。

「サナエサン……!! 本当にごめん!! ワタシのせい」
「いや、誰のせいでも……」
「イヤ、違う!」

 彼女は大きい声を出して、続けた。

「これはワタシのせい! ウィルフレッドにサナエサンたちを見逃してってお願いして、聖痕がないことを教えたから……」
「ああ、そうか」

 そういうことか。
 それでも正直、王と王妃のあの感じを見た限り、バレていた。

「……コレ、沸騰させた水です」
「本当は蒸留水が欲しいが……」

 カーミットに飲ませてもらう。ヘドロのような味だ。
 と、いくつか物を出される。

「すぐ上の階の、厨房から盗みました。チーズやパン。食べます……?」
「ありがとう。いや、これ……」
「アア! スミマセン、ダメになってました。いらないですよね……?」
 いや、いる、と言って早苗は続けた。

「心菜は?」
「ココナサンは東の塔、空中牢です。牢獄なのに、王族の私室と同じレベルです」
「なるほど」

 そういえば王妃、心菜にランク付けはいらないと言っていた。
 何かあるのだろう。
 カーミットが決意のこもった目を向ける。

「……今日、懇願しようと、王妃の部屋に入ったんです。書斎に筆記帳がありました」
「え?」
「コウ書かれていました」

 話をまとめると、筆記帳に書かれていのは――

 ウィルフレッド=バーグマン 忠誠心が高い。
 カーミット=ジーメン 反逆の意思あり。いずれ処刑に。
 ノエミ=リアーリ 反逆の意思、全くなし。安全。
 マックス=グッドウィン 承認欲求が高い。
 サナエ=アサカ × 亜人。処刑に。
 ラランサ × 亜人。処刑に。
 ココナ 不可。Sランクの可能性あり。

「……なんだ、それは」
 話を聞いて、寒気が走るのを感じた。



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