第19-5話「全てを失っても、この瞳はあなただけを見ている」

文字数 2,407文字







 ノエミが、早苗のいる亜人の島へ向かおうとしていたその時。
 皇帝の命令で、荒れ果てた要塞に着いたサイウィンは、言葉を失っていた。

【人間のすることじゃねぇ……】

 その村は、言葉にするのなら『この世の終わり』だった。
 崩壊した村に、積み上げられた死体の山。
 神に見捨てられた、この世の地獄だ……

【……ひどすぎる。屍の臭いしかねぇ】

 糞尿ではない。
 何か月、何年放置されたのだろう。
 死体が埋葬もされず、その場でただ腐っていた。
 ハエがたかり、芋虫が湧いている。

『サイウィン様。この獣人の子供たち……』
【……わからねぇ。戦争や略奪での死ではない】

 別にサイウィンは、獣人を悪魔だとは思っていなかった。

【……ひでぇもんだ】

 たぶん、プチリアよりも幼い遺体が積み上げられている。
 帝国は王国と違い、獣人を殺さず奴隷にしているが、まさかこれは……

『サイウィン皇子、こちらに獣人の奴隷たちを』
【――!】

 その門番は、サイウィンの背後――
 獣人の子供たちの髪を掴み、順に門の奥に放り投げた。

「いやだ、たすけて!!!」
「騎士様!! どうか!!」

 ドサッ、と。肉が強く殴られる音。

『汚れた獣人どもめ!! 皇子に近づくでない!!』

 門番が逃げようとする子供のひとりを、こん棒で殴りつけていた。
 そしてその小柄な体を蹴りつけ、再度門の向こうに放り投げる。

【……おい、一体この場所はなんなんだ?】

 獣人の言葉はわからなかった。
 自分はなんで獣人を運ばされた? 皇帝は、親父はなにを企んで……

『皇子。ここは、裁きの場です』
【なに?】
『200年も続いていると聞いてます』

 サイウィンは剣に、そっと手を乗せた。

『呪いは血液に宿ります』
【……そう言われているな】
『我々人間は死んだら、体ごと消えてしまう。でも獣人たちは消えない。呪いは獣人の死体に暫く残る』
【――――】

 サイウィンは、そこで自分の父親――皇帝ダモクレスが、何を考えているのか理解した。

【……兵器か。呪いを培養してやがるのか】
『その通りです』
【馬鹿か! 人の手で制御できるわけない!!】
『ダモクレス皇帝は、ただの人ではありません。神に選ばれた、我々を導く聖なる存在』
【――ふざけるなっ!! 帝国の民が死なないという根拠が、どこにある!!】

 馬鹿だ。いや、悪魔だ。
 親父は病んでいたが、サタンに取りつかれたに違いない。

【この場所は、もう――】

 焼き払うしかない。
 サイウィンが剣を引き抜きそうになった、その時。

『――サイウィン様!!』

 小さな手で、腕を引っ張られる。
 先程の兵から、強引に離れさせられた。

『落ち着いてください。さすがに殺してしまっては――』
【おいメスガキ、帝都に戻るぞ】
『……何をなさるつもりで?』
【親父を止める】
『……ダメです!!』

 少女にしては、大きな声だった。

『殺されます!』
【ねーよ。唯一の皇位継承者だぞ】

 だがプチリアは、泣きそうな顔を見せていた。

『ダモクレス皇帝を玉座から下ろし、サイウィン様が次の皇帝になるつもりで?』
【いや、そっちは興味ない。女と酒さえあればOKだ】
『サイウィン様はお優しいです。子供と国民のことになると、自分を犠牲にしてしまう。私なんかを救ってしまうぐらいに――』
【ちげぇよ、バカ。やめろ】

 振り払うが、少女は手を離さない。

『サイウィン様。あなたを愛しています』
【…………ハァ?】

 急に場違いなことを、12歳の少女に言われた。

『ふたりで逃げませんか?』
【おい、なに言って――】
『たしかにサイウィン様なら、次の皇帝になれます。でも、失敗すれば命がない』

 だから、と少女が続ける。

『だから、逃げましょう。戦うことを忘れましょう。どこが遠いところへ』
【……おい】

 だが、いつものふざけた表情じゃない。
 プチリアは大まじめに、ヘタクソなりに、必死に伝えてくる。

【……お前の立場なら、俺が皇帝になるのを支えるべきだろ】
『いいえ。皇族ではなく、サイウィン様個人を愛してます』

 泣きそうな少女が続ける。

『どこか、ここより北に――人が少ないところに逃げましょう』
【バカなのか? 貴族じゃなくなったら、お前にメシも食わせてやれない】
『私がなんとかします! サイウィン様は、そばにいてくれるだけでいい!!』
【なんだよ、告白か?】
『ずっと、そうでした』

 いつもふざけて『抱いてくれ』と言う彼女だが、今回は本気だと感じる。

【……マジかよ】

 前からふざけていなかったんだ。ずっとこの子は、本気だった。 
 プチリアはこの性格だが、勇気をふり絞ったに違いない……
 サイウィンは真面目に考えた。

【……俺は罪深いバケモノだぞ】
『いいえ、聖人です』
【皇子じゃなくなる】
『構いません。貴方に救われた日から、どうしようもなく、愛しています』
【……頭のおかしいメスガキだ】
『プチリアです』
【はぁ……】

 まいった。この娘は本気だ。
 思えば、今まで抱いてきた娼婦が好きなのは、皇子という地位と金だった。
 出来損ないで、自らの罪で顔を失った自分を、本気で愛してくれる人間はいなかった。
 こいつが、プチリアがはじめてなんだ……

【まったくよ】
『サイウィン様……』
【とにかく、まずは親父――皇帝と話を付けてくる】
『……そうですか』
【その間に、お前は荷物をまとめておけ】
『!!?』

 プチリアは一瞬固まるが、泣きそうになり、つづける。

『……私みたいな無礼な平民は、荷物をまとめて消えろってことで?』
【ハッキリ言わないとわからないのかよ。皇子じゃなく、俺個人について来るんだろ?】

 プチリアは再度固まった。
 サイウィンは馬に跨ると、再度少女を見る。

【プチリア。はやくこい】
『!!? ……はいっ!』

 プチリアは涙を拭き、ニヤつく自分の顔を隠しきれず、サイウィンの前に跨った。

『えへへ……頑張って男の子産みますね』
【別に、元気なら女でもいいんだがな、俺は】

 言って、サイウィンの馬は駆け出していった。

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