第20-4話「リンの真実」

文字数 3,701文字







 リンが()()()から、3時間が経過した。

 朝方だった。
 マックスはただ床に座り、動かなくなった遺体を見ていた。
 ただ、ぼーっとながめている。
 死してもなお、綺麗なリンの遺体の顔を。

『………』

 ほんの数時間前まで生きていた、リンの言葉を思い出していた。

 ◇

『これから、全てをお話しします』
『ああ、もちろん』 
『私は一度も、マックス様を愛したことがないのです』
『………?』

 マックスは固まる。
 なんの冗談だろうか。必死に彼が言葉を探っている間に、リンが続ける。

『私は、ゴルディ様に脅されて、あなたと体を重ねました』
『……待ってくれ。わけがわからん』
『私はもともと孤児でした』
『……リン』
『私はイリックと結婚しておりました』
『……そ、そのジョーク、まだやるのか?』

 だが、マックスは思い出す。
 最初、妙に反抗的だった、兵士のリーダー……

『私とイリックは孤児でした。死んだ母と同じく、私は娼婦になりましたが、イリックは農民たちをまとめ上げ、傭兵団を作りました』
『………まて』

 それって、今のオレの部隊……?

『5年前、私が15歳の時、イリックにプロポーズされて、結婚しました』
『……いや、まってくれ』
『娼婦で穢れている私の為に、『俺が稼ぐから、お前は娼婦をやめろ』と。嬉しかったんです。子供の頃から、ずっとイリックを愛してましたから』
『……リン、やめよう。面白くねぇって』
『結婚してから5年、ずっと子供に恵まれませんでした。毎日、愛していただいたのに』
『………』
『娼婦の時、幾度か堕としたのが原因なのでしょう。私はダメな、使えない女なのです。それでも……』
『……もうやめてくれよ!』

 マックスは、それ以外の言葉を失っていた。
 何が起こっている。悪夢を見ているのか?
 目が覚めたら戻る?
 だが構いなく、リンが続ける。

『そんなある日、ゴルディ様が来ました。勇者の好みの顔だから、神聖娼婦になり、仕えなさい、と』
『…………』
『絶望しました。その時の私は、ようやく夢が叶い、イリックの子供を身ごもっていたのです』
『……ッ!』
『断ると、イリックも、お腹の子も殺されます。私はイリックに内緒で、お腹の子を救うため、また体を売ることにしました』
『……HA、HAHA』
『わたしの夢であるこの子は、勇者の子供として産もうと、考えました』

 じゃあ、なんだ。
 さっきまで撫でていた、おなかの子供は、オレのじゃなくて……
 最初から、イリックの子供だったってことかよ。

『私は、ゴルディ様を恨みました。だからせめて、父となるマックス様が、この世界の王になり、ゴルディ様とオズソン様を王座から下せば、この世界が少しマシになると』
『……だから王になれって、ずっと?』
『そうすれば、私の犠牲も、報われるのではないかと』
『……犠牲って』

 もう理解した。完全に。
 リンはマックスを、今まで一度も愛してくれてない。
 ずっと騙されていた。澄ました顔で嘘をつかれていた。

『な、なぁ、オレと一緒なの……』
『はい?』
『そんなに嫌だったのかよ……』

 いやでしょうがないのに、本当に好きな男を……
 お腹の中の子供を守るために、ずっと演技を……

『本当に愛した方は、黒騎士に殺されました。お腹の子供は、最後の形見。どうしても産みたかった……』
『………』
『だからイリックを忘れ、マックス様を好きになろうとした。でもダメだったんです。どうしても忘れられない……』

 つー、とリンが涙を流す。

『きっとこれが、偽れない愛なのですね』
『――ッ!! じゃなんで戦場でオレを庇ったんだよ!!』
『違います。マックス様のすぐ前で倒れていた、イリックを庇ったのです』
『……っ!!』

 そういえばリンは、どうしても戦場について行きたいと言っていた……
 あれも、オレではなく、イリックに会う為……?

『あ、ああ……』

 もう、納得してしまった。
 もう、自分をごまかせない。

『ああ、あああ……!!』

 何歩も引き、最後には壁に寄りかかるマックス。

『ひ、ひでぇよ……!』

 本当に、今までたったの一度も、リンに愛されてなかった?
 全部演技で、オレが勝手に愛されていると思っていただけ?

『な、なんでだよ、リン……! こんな酷いこと、言わなくてもよかっただろ! なんで……!!』
『これ以上偽りたくなかった。そして、お願いがあるからです……』

 すこし冷静になったマックスは、改めて、リンの顔を見る。
 その顔は青白く、唇は真っ青だ。

『私が死んだあと、私の遺体を、このナイフエッジに埋められた、イリックの隣に埋めてほしいのです』
『――ば、バカなのかお前は!!』

 はじめて、マックスはリンに強い言葉を使った。

『ば、バカだ……!! なんて女だ! どう考えれば、オレがオマエを、わざわざ他の男の隣の墓に……』
『もし、私をまだ好いているのなら、どうか……』
『こ、このバカ女ッ!! こんな話を聞いた後、誰がまだお前を好きだと思う!!』
『マックス様……』
『この……クソ娼婦がッ!! 売女めッ!! お前はオレの世界でも、この世界でも、一番醜くて酷い、穢れたビッチだ!!』

 マックスは怒りに狂いながら、大声を上げる

『はやく死んでしまえッ!! この誰にでも股を開けるアバズレが! よく見たら、顔も大したことない!! オマエ程度の女、この世界のどこにでもいる! オレが一言頼めば、いくらでもお前以上の女は来るんだ!!』
『……ええ、その通りです』
『吟遊詩人に歌わせてやるよ! オマエみたいなビッチがいたことをな! 何世代後も、みんなお前の名前を、簡単に股を開ける、穢れた娼婦だと歌うんだ!!』
『……マックス様』
『お前なんかが死んでも、誰も涙しねーよ! このサタンの生まれ変わりのクソビッチが! 死ねよ! 死なないなら今すぐオレがオマエを――』
『……よかったです』

 そこではじめて、苦しそうな顔から開放されたリン。
 彼女は涙を流しながら、優しく微笑んだ。

『よかったです。これで私が死んでも、もう悲しくないですね……』
『リ、リン?』

 マックスはまだ激怒したまま、ベッドに横たわるリンにゆっくり近づく。
 すでに呼吸はしていない。
 首元を触るが、脈も止まっていた。

『…………』

 マックスは数歩下がり、尻もちをつく。
 そしてそのまま黙りこんだ。
 静かに、死んだような目で、リンの亡骸を見つめていた。

 ◇

 あれから、3時間が経っただろうか。
 すでに朝方になり、太陽が彼を照らしていた。

『…………』

 ずっと頭の中で、繰り返し思い出しては、考えていた。
 リンの最後の言葉を。

『……リン。馬鹿な女だ』

 マックスは立ち上がり、憎い女の顔を見る。
 こいつは、とんでもない性悪女だ。信じられないヤツだ。

(……もう忘れよう)

 ゴルディに頼んで、別の女を呼んでもらおう。
 こんなやつ、さっさと別れを告げて忘れよう――

『……リン。帰ってきてくれよぉ……なぁ……』

 でも、口から出たのは、真逆の言葉だった。
 好きだった。どうしようもなく、愛してしまった。
 オレ、なんで最後にあんな事を言ってしまったんだ……

『なぁ、俺が言ったこと、全部ウソだったんだよ!! 撤回させてくれ。なぁ、聞いてるか……?』

 だがその言葉を、死体は聞いていない。

『お前は世界で一番、きれいな女だ。優しくて、頭も良くて……』

 冷たくなった手を握る。

『このままお別れなんて、やめてくれよ……! オレの子供じゃなくてもいいからさ……俺が育ててやるからさ……起きてくれよ……? 全部、叶えるからさぁ……』

 だが亡骸は喋らない。
 マックスは20分ほど無言になり、ただその場で膝をついていた。

 その後、彼は静かに立ち上がる。
 無言としてリンの遺体を抱え、部屋の外に出た。

『ま、マックス様! リン様は……』
『…………』

 マックスは、医者に何も言わない。
 ただ黙って、15分かけて、イリックが埋められた教会裏の墓地へ歩く。
 シャベルで穴を掘っては、訓練で豆が潰れた血まみれの手で、リンを埋めた。
 墓地の前でマックスは、ただ静かに立っていた。

「……っ! ……!」

 そして声も出さず、ひとりで泣いていた。
 何も言葉は出てこない。ただ、涙だけが溢れていく。

 あれから何時間が。どれくらいの時間が経っただろう……
 気づくと、ナイフエッジの城に戻っていた。
 どうやって戻ってきたかも覚えていない。

『ここにいましたか、マックス様。制圧した街には、はやり何も――』

 最後まで言う前に、その副指令は一歩引いた。



 マックスは、壊れていた。
 その瞳には、既に光を宿していない。

『き、聞いていますか?』
『……ああ』とマックス。

 既にその兵士の、名前すら思い出せない。

『大丈夫ですか? 物資が足りないんです。制圧した街に何もなく――』
『……ああ、そうだな』

 マックスは力なく、のそのそと歩きはじめる。

『マックス様?』
『ああ、なんだっけ……? 帝都を落とせばいいんだな……』
『……それは、あってますが』

 マックスを慕う兵士は、変わり果てた男の後姿を、静かに見ていた。
 リンの死が公になったのは、少し後のことだった。

 マックスはもう、壊れていた。
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