第8-1話 使用

文字数 2,652文字








 あれから3日。
 早苗が予想した、症状が出る日が来た。
 重症化――抗菌薬投与のタイムリミットまであと2日。

「早苗さま……?」

 馬を2人乗りしている。
 そして、ララの後ろで早苗は咳き込んだ。
 落ちるのが心配で、縄でララに固定されている。

「……ごほっ、ごほっ」
 乾いた咳と、インフルエンザに近い症状。
 間違いない。致死率90%を超える、肺炭疽の初期症状だ。

「さ、早苗さま。明日にはつくからっ! もう少しだケ!」
「うん……」
 頷いた早苗は、だが胸に強い違和感を感じる。

「……まずいな。予想通りだ」
「エ!」 
「たぶん2日後に高熱が出て、呼吸困難になる。重症化したら、その36時間後に僕は死ぬ」
「……い、いやだっ! いやダ!! どうすれば――」

 ララの体が、病気の早苗以上に震えだした。

「き、昨日は宿で、わたしが買い物してる間も、元気だっタ……」
「そんなものだよ。明日、帝国についたら、最後の1日で注射器とペニシリンを完成させる……それが助かる唯一の道……」
「――うん! 絶対に死なせないっ! 絶対に……ッ!」



 次の日。
 抗菌薬投与のタイムリミットまであと1日。

 早苗とララはようやく、貿易街イスロール(Isrore)――帝国で唯一、出入りしやすい街についた。

「すぐにペニシリンを作る。カビの培養液をろ過して……」

 ブツブツ言う早苗。もう分離機を作る時間はない。
 彼は馬と戦利品を売って、漏斗を買い、宿に向かう。 
 すぐに作業に取り掛かった。

「……まずは固体培地を液体に戻し、濾過する』

 そしてエーテルを加えて混ぜ、ペニシリンをうつす。
 次にマックスの電気で、塩水から作った水酸化ナトリウムを混ぜる。
 すると、ペニシリンが白い粉末になる。

 そんな感じに、ペニシリンの精製をはじめた。



「……よし、1個終わった。どの培地に効果があるかわからない。あと4個、ララ、お願いできる?」
「うん、覚えた! わたしが作ル…!」
「今日一日、薬剤感受性テストをして、明日結果を見て、注射する」
「大丈夫。早苗さまはきっと助かル!」
「……ありがとう」

 君がいてよかった、と言うと、ふと気になった。
 これが最後かもしれないからか――

「君が僕に尽くす理由はなに? 故郷を救いたいから、とか?」
「……え、違ウ」

 ララは口ごもり、次第に下を向いた。

「……い、言えない。わたしと早苗さまじゃ、立場が違い過ぎるかラ」
「どういう? 気になるけど……」

 早苗はそのまま、ドアに向かう。
 
「……僕は宝石細工店に行く。この世界には存在しない、注射器と点滴器を作ってもらう」

 銀の細工ができる職人なら、作れるはずだった。

「わたしも一緒に行ク……」
「いや、ここでペニシリンをお願い。帰ったら、君の故郷の話をして」

 じゃあ、と言って出ていく。
 ララは嫌な予感がしていた。でも、作業を続けた。



 夜になった。あれから何時間が……まだ早苗は戻ってこない。
 考えたくないが、まさか……

「どこかで倒れたんジャ……」

 考えただけで泣きそうになる。
 たまらず立ち上がり、宿から出ようとドアに手を伸ばすと――

「――あ、早苗さま!」
「ただいま……お湯をすぐ、沸かして……」

 顔色が悪い。明らかに、無理をした顔で平静を装っている。
 早苗はガラス製品と、ポーチをテーブルに置いていた。

「……お湯できた。それハ?」
「注射器と点滴器具。ガラスと銀の。水車で重曹も作れた。あと今は、生理食塩液を作ってる」

 中世の塩には不純物が混じっているので、再結晶化して純度を上げた。
 やり方は、飽和食塩水をゆっくりと蒸発させる。
 とにかく――

「明日、重症化する。その時、この生理食塩液を点滴してほしい。僕の血圧が下がり過ぎて、ショック死しないように」

 泣きそうな顔で、見たこともない装置をララは見る。

「わ、かっタ……」
「やり方は紙に書いた。あと、ララ」

 早苗はふらつきながら、ベッドに座った。

「聞かせて。君の故郷の話」
「え、うン……」

 ララは正直、話したくなかった。
 話した後、彼がどこかに消えてしまう気がしたから。

 それでも話す。
 島の思い出、土地勘、問題点まで……

「なるほど」
 早苗が何やら、買ってきた紙にメモをしている。
 そして次に、ララの過去を聞いてきた。

「つまりララは、世界を見たいから、反対を押し切って島を出た……」
「うん。もっと世界を知りたかった。でも島では「女は子を産む以外のことはするな」って」
「近代化する前は、どこも男尊女卑だしね。あの聖書にすら、女性は権力を持つべきじゃないと書いてあるし」

 なんとなく理解したのか、ララが頷く。

「わたしが生まれた時、もうお父さんが決めた結婚相手がいた。すごくイヤで、ずっと振り続けタ」
「どうして?」
「獣人の男は力だけで、何も考えてない。わたし、知的な男性が好キ……」
「君は頭がいいもんね」
「……ううん。そんなことないって、最近しっタ…」

 ララがこちらを見て、泣きそうな顔をしている。

「君は賢いよ。僕の世界を基準にしても」
「わたし、早苗さまの世界に行きたイ……」
「もし行けたら、いろいろ連れて行くよ」

 でも、と早苗は聞く。

「世界を知りたいから、行きたいの?」
「違う。好きな人が生まれた世界のこと、知りたいかラ……」
「……そうか」
「わたし、誰かを好きになったの、はじめてなノ」
「……ララ」

 今日のララは、大胆だと感じた。
 普段は言わないことを、そのまま話してくれる。

「わたしは賢くない。本当に頭が良くて、実は優しくて、男なのに綺麗で……私はそんな人を、助けることもできない……」
「そんなないよ」

 ララが唐突に立ち上がって、ゆっくり歩き、抱きしめてくる。
 右手で受け止めると、彼女は上目づかいでこちらを見た。

「……わ、わたし……早苗さまのことガ……」
「ダメだよ」



 言って、早苗はララの唇を人差し指で押さえた。

「僕が死んだら、よけいに悲しいでしょ?」
「……さ、早苗さまは、死ななイ!」
「僕だって死ぬ気はない。やれることは全部やった。でも僕は超人じゃない。体も弱い……」
「だ、大丈夫、だから。早苗さまは大丈夫だヨ……」
「ありがとう。生きたいよ」

 そう言って早苗は、意識が途切れそうになる。

「そろそろ寝るよ。ララも眠いでしょ?」
「ううん、大丈夫」
「そっか。じゃあちょっと、寝るよ……」

 瞼が重くなった。
 やれることはやった。そう思いながら、意識が途絶えていく。



 次の日になる。
 抗菌薬投与のタイムリミット当日。
 今日、ペニシリンを打たないと、彼は死ぬ……



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