第8-1話 使用
文字数 2,652文字
あれから3日。
早苗が予想した、症状が出る日が来た。
重症化――抗菌薬投与のタイムリミットまであと2日。
「早苗さま……?」
馬を2人乗りしている。
そして、ララの後ろで早苗は咳き込んだ。
落ちるのが心配で、縄でララに固定されている。
「……ごほっ、ごほっ」
乾いた咳と、インフルエンザに近い症状。
間違いない。致死率90%を超える、肺炭疽の初期症状だ。
「さ、早苗さま。明日にはつくからっ! もう少しだケ!」
「うん……」
頷いた早苗は、だが胸に強い違和感を感じる。
「……まずいな。予想通りだ」
「エ!」
「たぶん2日後に高熱が出て、呼吸困難になる。重症化したら、その36時間後に僕は死ぬ」
「……い、いやだっ! いやダ!! どうすれば――」
ララの体が、病気の早苗以上に震えだした。
「き、昨日は宿で、わたしが買い物してる間も、元気だっタ……」
「そんなものだよ。明日、帝国についたら、最後の1日で注射器とペニシリンを完成させる……それが助かる唯一の道……」
「――うん! 絶対に死なせないっ! 絶対に……ッ!」
◇
次の日。
抗菌薬投与のタイムリミットまであと1日。
早苗とララはようやく、貿易街
「すぐにペニシリンを作る。カビの培養液をろ過して……」
ブツブツ言う早苗。もう分離機を作る時間はない。
彼は馬と戦利品を売って、漏斗を買い、宿に向かう。
すぐに作業に取り掛かった。
「……まずは固体培地を液体に戻し、濾過する』
そしてエーテルを加えて混ぜ、ペニシリンをうつす。
次にマックスの電気で、塩水から作った水酸化ナトリウムを混ぜる。
すると、ペニシリンが白い粉末になる。
そんな感じに、ペニシリンの精製をはじめた。
「……よし、1個終わった。どの培地に効果があるかわからない。あと4個、ララ、お願いできる?」
「うん、覚えた! わたしが作ル…!」
「今日一日、薬剤感受性テストをして、明日結果を見て、注射する」
「大丈夫。早苗さまはきっと助かル!」
「……ありがとう」
君がいてよかった、と言うと、ふと気になった。
これが最後かもしれないからか――
「君が僕に尽くす理由はなに? 故郷を救いたいから、とか?」
「……え、違ウ」
ララは口ごもり、次第に下を向いた。
「……い、言えない。わたしと早苗さまじゃ、立場が違い過ぎるかラ」
「どういう? 気になるけど……」
早苗はそのまま、ドアに向かう。
「……僕は宝石細工店に行く。この世界には存在しない、注射器と点滴器を作ってもらう」
銀の細工ができる職人なら、作れるはずだった。
「わたしも一緒に行ク……」
「いや、ここでペニシリンをお願い。帰ったら、君の故郷の話をして」
じゃあ、と言って出ていく。
ララは嫌な予感がしていた。でも、作業を続けた。
◇
夜になった。あれから何時間が……まだ早苗は戻ってこない。
考えたくないが、まさか……
「どこかで倒れたんジャ……」
考えただけで泣きそうになる。
たまらず立ち上がり、宿から出ようとドアに手を伸ばすと――
「――あ、早苗さま!」
「ただいま……お湯をすぐ、沸かして……」
顔色が悪い。明らかに、無理をした顔で平静を装っている。
早苗はガラス製品と、ポーチをテーブルに置いていた。
「……お湯できた。それハ?」
「注射器と点滴器具。ガラスと銀の。水車で重曹も作れた。あと今は、生理食塩液を作ってる」
中世の塩には不純物が混じっているので、再結晶化して純度を上げた。
やり方は、飽和食塩水をゆっくりと蒸発させる。
とにかく――
「明日、重症化する。その時、この生理食塩液を点滴してほしい。僕の血圧が下がり過ぎて、ショック死しないように」
泣きそうな顔で、見たこともない装置をララは見る。
「わ、かっタ……」
「やり方は紙に書いた。あと、ララ」
早苗はふらつきながら、ベッドに座った。
「聞かせて。君の故郷の話」
「え、うン……」
ララは正直、話したくなかった。
話した後、彼がどこかに消えてしまう気がしたから。
それでも話す。
島の思い出、土地勘、問題点まで……
「なるほど」
早苗が何やら、買ってきた紙にメモをしている。
そして次に、ララの過去を聞いてきた。
「つまりララは、世界を見たいから、反対を押し切って島を出た……」
「うん。もっと世界を知りたかった。でも島では「女は子を産む以外のことはするな」って」
「近代化する前は、どこも男尊女卑だしね。あの聖書にすら、女性は権力を持つべきじゃないと書いてあるし」
なんとなく理解したのか、ララが頷く。
「わたしが生まれた時、もうお父さんが決めた結婚相手がいた。すごくイヤで、ずっと振り続けタ」
「どうして?」
「獣人の男は力だけで、何も考えてない。わたし、知的な男性が好キ……」
「君は頭がいいもんね」
「……ううん。そんなことないって、最近しっタ…」
ララがこちらを見て、泣きそうな顔をしている。
「君は賢いよ。僕の世界を基準にしても」
「わたし、早苗さまの世界に行きたイ……」
「もし行けたら、いろいろ連れて行くよ」
でも、と早苗は聞く。
「世界を知りたいから、行きたいの?」
「違う。好きな人が生まれた世界のこと、知りたいかラ……」
「……そうか」
「わたし、誰かを好きになったの、はじめてなノ」
「……ララ」
今日のララは、大胆だと感じた。
普段は言わないことを、そのまま話してくれる。
「わたしは賢くない。本当に頭が良くて、実は優しくて、男なのに綺麗で……私はそんな人を、助けることもできない……」
「そんなないよ」
ララが唐突に立ち上がって、ゆっくり歩き、抱きしめてくる。
右手で受け止めると、彼女は上目づかいでこちらを見た。
「……わ、わたし……早苗さまのことガ……」
「ダメだよ」
言って、早苗はララの唇を人差し指で押さえた。
「僕が死んだら、よけいに悲しいでしょ?」
「……さ、早苗さまは、死ななイ!」
「僕だって死ぬ気はない。やれることは全部やった。でも僕は超人じゃない。体も弱い……」
「だ、大丈夫、だから。早苗さまは大丈夫だヨ……」
「ありがとう。生きたいよ」
そう言って早苗は、意識が途切れそうになる。
「そろそろ寝るよ。ララも眠いでしょ?」
「ううん、大丈夫」
「そっか。じゃあちょっと、寝るよ……」
瞼が重くなった。
やれることはやった。そう思いながら、意識が途絶えていく。
◇
次の日になる。
抗菌薬投与のタイムリミット当日。
今日、ペニシリンを打たないと、彼は死ぬ……