一 千年少女女王

文字数 2,484文字

 なんの変哲もない、フローリングの床の廊下をゆっくりと歩き出す。何もかもがあり得ないほどに、酷く、久し振りのはずなのだが、体にも、視覚や聴覚などの感覚にも、なんの違和感もない。



「この居住スペースは、シズクが元々いた時代と同じように作ってある」



「そう、みたいね。でも、キッテ。これじゃ、余計にまだ、ここが千年後の世界だなんて、信じられない」



 男性とも女性ともつかない中性的なキッテの声に、シズクは、キッテの方に顔を向けて、応じる。キッテが足を止め、身長が百五十センチほどのシズクから見ると、巨大とも思えるほどに大きい、五メートル以上はある、アムールトラとなっている体を動かし、大きく伸びをした。



「それにしても、なんでトラ?」



「格好いいから。俺、トラ柄好きだし。ただ、大きさは、本物とは、ちょっと変えてある。本物は三メートルくらいしかないらしいんだが、俺の場合は、シズクを、中に収納するからな。シズクを中に入れてる時は、子を体内に宿してる、生き物の気持ちが、分かったような気がした」



 シズクは、足を止めると、キッテの体を、じろじろと見た。



「なんだ?」



「上に乗せてよ」



「はあ?」



「いいじゃん。なんか、面白そう」



 キッテが、まったく、シズクは、いつまで経たっても子供だな。と、どこか、嬉しそうに言いつつ、お腹の部分を床の上に付けて、背中を低くする、伏せのような格好をした。



「んふふふーん。ありがと。キッテ大好き」



 シズクはキッテの背中の上に乗ると、そのままキッテの背骨に沿って体を伸ばすように、うつ伏せになり、キッテの体に抱き付く。



「うわー。意外と、もふもふじゃない」



「もふもふ言うな。こう見えても、俺は、ここじゃ恐れられてるんだ」



「ここじゃ? 昔から、恐れられてるんじゃなかった?」



「昔? 昔の話をしていいのか?」



「あうー。凄く嬉しそう。失敗した。余計な事を言ってしまった。キッテ。また、今度でお願い」



「まあ、あれだな。シズクの方が、たぶん、ここじゃ、俺より恐れられるようになるかもな。なんてたって、ここじゃシズクが、一番偉いからな」



 キッテが体を起こし、ゆっくりと歩き出す。



「ねえ、本当に、私が女王様なの?」



「ああ。俺が作った国だからな」



「なんで、そんな事したの?」



「そりゃ、約束だからだ。シズクの両親とのな。シズクを俺の中に、冷凍睡眠カプセルの中に入れる時に、言われたからな。いつか、この子が、何事もなく暮らせるような時代になったら、この子を起こしてやってくれ。それで、何不自由なく、暮らせるようにしてやってくれ。それでそれで、幸せになれるようにしてやってくれってな」



 シズクは、大きく溜息を吐いた。



「それで、私の為に、王国を作っちゃうキッテもキッテもだけど。本当に、勝手な親だわ。あの日、私、ただ寝ただけなんだよ? そんでもって、起きたら、いきなり千年後って。ありえない」



「まあ、そう言うな。その事については、おいおい話して行くつもりだ。シズクを起こした理由も、他にもあるしな。だが、今は、そういう話は、まだ、聞きたくはないだろ?」



「うん。そうだね。あんな両親でも親は親だもん。今は、なんだか、まだ、夢を見ているみたいで、現実感がないから、親がいない、他の、知っていた人達も、もう、誰もいないんだって、信じられないけど、いつか、そういう事を、全部、ちゃんと、受け止められるようになったら、ちゃんと、知りたいって思えるようになったら、教えてって言う」



「別に、知らなくたって生きて行けるさ」



 廊下が終わり、玄関に着くと、キッテが歩みを止め、シズクの為の物らしい靴を、口に咥えた。



「さあ、女王様。下々の者達が、表で待っております」



 キッテの声が、キッテの口の方からではなく、シズクの耳元から聞こえて来る。



「ナノマシン使っているの?」



「今は口が塞がってるからな。ナノマシンを介して話をしてる。シズクが起きる前に、シズクの全身を俺の体の一部であるナノマシンで覆っておいた。このナノマシンは特別製だ。昔の、ただの、体を保護する為の物とは違う。これで、何があってもシズクは大丈夫。身体能力も補助してくれるから、シズクの身体能力は凄く上がってる。ちゃんとした戦い方ができれば、今のこの俺にも勝てるはずだ。他にも、ナノマシンが色々やってくれるから、シズクは、何も心配しなくていい」



 キッテが前に進み出し、玄関のドアがゆっくりと開く。



「まぶしっ」



 久し振りに浴びたであろう、陽の光が、容赦なくシズクの目を焼いた。



「ああ。そのへんは、我慢しろ。普通の刺激は、ちゃんと受けないとな。俺はそこまでは過保護じゃないからな」



「キッテって、微妙に意地悪だよね」



 体を起こして、キッテの背中の上に跨るようにして座り、両手で両目を擦りつつ、シズクは、次第に明るさに慣れて来た目で、周囲を見る為に、ゆっくりと顔を動かす。



「どうだ? ここが、シズクの王国だ。名前は、まだないから、好きに付けると言い」



「はい? キッテ? 君は、あれかな? 千年という長い年月の間に、壊れてしまったのかな? いや、違うか。昔から、ちょっと、ボケてる時とかあったから、そのままかも」



「何を言ってる? 俺は、いつも、まともだ」



「何がよ? これ、よくできてるとは思うけど、小さ過ぎ。家も、なんの建物か分からない、家よりは、大きい建物も、全部、どんなに大きくっても、五十センチくらいしかないじゃない」



 玄関を出るとすぐに、緑色の芝生に覆われた庭があり、その先に、白い柵があって、その更に先に、煉瓦や石で造られた小さな建物が並んでいる、街が見えていた。



「何か問題でも?」



「だから、大きさ」



「これでいいんだ。今の時代の人類とAIは、小さいんだ。シズクが冷凍睡眠してる間に始まった戦争、AI大戦が終わって、和解した人類とAIは、自分達が破壊してしまった、地球の環境の事や、残されている資源の量の事を考えて、自分達を小型化し、文明の段階も色々と改変してるんだ」



 キッテが、背中に乗っているシズクの方を見るように、顔を斜め上に向けて、そう言った。
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