3章-3

文字数 829文字

「ぐっすり眠れます。多分、夢も見ないでしょう」

 二十日前の医師の言葉はなんだったのか。処方薬はすべて飲んだ。しかし、なにがどう変わった。毎晩一錠ずつ二十錠飲んで、二十回レイプされているのだ。

「しかたない……。明日は病院を替えようかしら」

 千夏は、ミネラルウォーターをもう一口含むと、寝室に向かった。

 夫は、背中をこちらに向けて寝ていた。彼女と同年齢の三十二歳だが、後頭部がかなり薄くなっている。めっきり白髪も目立つようになった。いびきをするたびに背中が揺れる。昔はオルゴールのように感じた音も、最近は不協和音に思えてしかたがない。

 千夏が、夫を起こさないようにそっとベッドに体を滑り込ませると、夫は寝返りを打ち、ボテっとした腹をかき始めた。腕は鉛筆のように細い。まるでアニメのような体型だ。貧弱なのかデブなのかわからない。太陽を知らないような色白の肌はむしろ不健康に映る。しかも、今かいている腹部を中心に、そこかしこが湿疹で醜い赤みを帯びている。

 千夏は、夫のくだびれ具合を見ながら、薄汚れた作業着の上からでも筋骨隆々の逞しさが見て取れる夢の中の男を無意識に頭の片隅に描いた。が、すぐに首を振って男を追い払った。

(私には主人がいるじゃないの。知的なエリート官僚。それに、とても紳士で……。私が専業主婦でいられるのも夫のおかげ。男は、優しくて経済力があればそれで十分。それ以外に男に望むものってなに?)

◆◇◆◇◆◇◆◇

 幸いなことに、悪夢は一晩で一度しか見ない。もう一度寝ても、レイプされる心配はない。

 千夏は、瞼を閉じる前に、愛する夫の頭部に軽くキスを――、しようとしてやめた。脂ぎった髪の毛に躊躇した。加齢臭も混じっている気がした。

「おやすみ、あなた。愛してるわ」

 千夏は、キスの代りに(ささや)きで感情を表現した。

 そう。自分は夫を愛している――。なにも不満はない――。

 やがて、睡魔に襲われた。
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