3章-2

文字数 1,073文字

「また明日?」

 里谷千夏(さとやちなつ)は、自分の声で瞼を開いた。先ほどまでの固いベンチではなく、弾力のあるベッドで仰向けになっている。隣を見て夫の寝姿を確認し、周囲の様子から自宅の寝室にいることを認識し、自分が夢を見ていたことを確信した。

(また……、あの夢……)

 千夏が、野蛮な男に(もてあそ)ばれる悪夢にうなされるようになってから一ヵ月が経過していた。悪夢は毎晩、彼女を襲った。

 千夏は、ベッドから背中を引き剥がすとシャワー室に向かった。寝汗で、下着だけでなくパジャマまでもがじめじめとしていた。だが、湿っているのは皮膚だけではなかった。千夏は、中になにがいるのかわからない箱に手を入れるがごとく、恐る恐る自分の“箱”に指を差し入れた。そして、見えない箱の中で蛇やウナギのようなぬめりのある動物に触れたかのように、慌てて手を引っ込めた。

「どうして?」

 千夏は、とにもかくにも素肌になると念入りにシャワーを浴びた。そして、タオルで水気を拭い、下着とパジャマを着替えると、キッチンに歩を進めた。カサカサになった喉にミネラルウォーターを流し込んでやっと、幾分平静を取り戻す。

 そのとき、食卓の上の空シートに目を落とした。二十日前に処方してもらい、今日寝る前に最後の一錠を飲んだ睡眠薬の空シートだ。千夏も、最初の数日は悪夢のことは気にはかけていなかった。同じ夢を何度も見るのは確かに不可解な経験ではあったが、所詮は夢だと考えを流し去っていた。しかし、悪夢に襲われると思いながら眠りにつくのが徐々に苦痛になってきた。

 それでも十日は我慢した。睡眠薬など飲んだら、それに依存してしまうのではないかという別の恐怖があったためだ。それに、千夏は眠れなかったわけではない。むしろ、夢を見るというのは眠っている証でもある。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 そんな千夏を決意させたのは、徐々に悪夢が悪夢でなくなってきたためだ。二十日前の晩、寝汗を流すためにシャワーを浴びたときに、千夏は体の一部が反応していることに気付いて愕然とした。デリケートなそこからは、内腿にかけて蜜が伝っていた。

 自分は、悪夢に対して慣れてきたのではない――。むしろ、その悪夢を望んでいる――。脳髄がとろけるような快感に溺れている――。

「嘘!」

 その瞬間に、千夏は真実を渇望した。自分はそんな淫乱ではない。自分は純潔な女だ。それを事実として自分に植え付けないと、自身の中のなにかが壊れてしまう。そんな情念が湧出した。

 翌日、千夏は病院に足を運んだ。
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