4章-3

文字数 992文字

 ヨーコは、「ダルマを買わないか」と言った。ただし、ただのダルマではない。志望校の名前を三回唱えた後にそのダルマの左目に目を入れると、絶対にその大学に合格できるというのだ。

 もっとも、「志望校」という点が重要だ。

 たとえば、部活動でレギュラーにもなれない人間がメジャーリーグでホームラン王になりたい、などと思っても、それは到底不可能な話だ。本気で思うこともできまい。表層意識で、うわべだけでそんなことを考えても、部活で補欠の人間が大リーガーなんて無理、という潜在意識の否定にはかなわない。

 要するに、英語も話せない直人が「ハーバード大学」なんて非現実的な大学の名前を唱えても、ハーバード大学に合格できるわけではないのだ。あくまでも、常識を逸脱しない範囲、すなわち、唱える名前は「志望校」でなければならない。

 相手にするのも馬鹿らしい話だが、一方で、もう少しヨーコとこうしていたい。そんな気持ちから、直人は冷めかかったコーヒーを口に運ぶと質問をぶつけた。

「そのダルマ、本当に完璧なの?」

「うーん。私は『百パーセント合格ダルマ』と名付けたけど、厳密には志望校の合格率は九十八パーセントくらいかな。でも、九十八パーセントなら誤差の範囲よね」

 直人は同意した。そして、言葉を引き取った。

「じゃあ、僕が『教和大学』と唱えたら、僕の合格は確実というわけか」

「なに言ってるの。百パーセント合格ダルマがあれば、きみのケースなら都清大学にも合格できるって」

「だからさっき言ったでしょう。都清大学は、今の僕の学力を考えるとかなり難しいって」

 直人の口調に苛立ちが混ざる。ヨーコは、苦虫を噛み潰す直人の瞳を見詰めながら続けた。

「じゃあ、教和大学と都清大学。どっちがきみの本当の『志望校』なの? 教和大学は『妥協』じゃないの?」

「まあ、高校入学時から都清大学は意識してたけど……」

「でしょ? せっかく百パーセント合格ダルマがあるんだから、絶対に『妥協』は駄目よ。『志望校』を目指すのよ。都清大学に入らなきゃ」

「わかったよ。とにかく、そのダルマがあれば都清大学に合格できるわけだ。ハハハ。こりゃいいや」

 直人の語尾はヨーコに対する侮蔑を含んでいたが、彼女は不快な表情を見せることもなく、「ちょっと、ダルマ、取ってくるわね」とロッカーに姿を消した。
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