6章-4

文字数 1,164文字

 雄太は、足しげくペニーレインに通った。

 ヨーコは、あるときは「スリーピング・ビューティー」なる耳栓を客に売っていた。それを両耳に詰めて眠れば、レム睡眠には襲われない、すなわち、夢を見ないという代物だった。欲しかった。せめて、寝ている間だけでもあの一件は忘れたいと、スリーピング・ビューティーの制作を頼み込んだが、ヨーコの返事はにべもなかった。

 またあるときは、「百パーセント合格ダルマ」を受験生に売っていた。しかし、さすがにそのダルマは、自分には役に立たなそうであった。もっとも、あの高校生は来年になれば無事に志望校に合格するに違いない。そして、「レオ」という子犬型ロボット。これが一番自分には無用に思えた。

 それにしても、ヨーコとは一体何者だ。コマンドメールに始まって、辛いメモリー抽出マシン、スリーピング・ビューティー、百パーセント合格ダルマ、そして子犬型ロボット。客は、ヨーコのどの制作物も、その効果に疑いを抱いている様子だったが、雄太は違った。どれも本物に違いない。ヨーコが説明するとおりの効果があるに違いないと確信した。なぜなら、自分がすでにコマンドメールの餌食になっていたからだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 雄太は、その後も二回、美帆を抱いた。しかし、どうしても美帆と一つになることはできなかった。事が最終局面を迎えたときに正常な活動を見せないのだ。「機能しないのではないか」という予期恐怖が、皮肉なことにそのとおりの結果を招き寄せてしまう。

 人間は、たとえ幅が一メートルあろうとも、百メートルの高層ビルに架けられた板の上を渡ることは決してできない。「渡る」ことではなく「落ちる」ことを思考するからだ。この類の不安は百パーセント的中するものである。

 一時は、自分に体をあずけることを拒んでいた美帆が、やっと昔のように自分に心を開き始めてくれている。それなのに、このままではまた美帆を失ってしまう。

 幸か不幸かはわからない。だが、雄太にはこの不安に打ち勝つことが最大の関心事となった。田川の殺害の件は、脳の末端がかろうじて記憶している程度の瑣末な問題へと変容していった。

(もう次はない。次に“失敗”したら、美帆は確実に三田の元に走る。「秀吉」なんて、名前負けもいいところの四十五歳のプレイボーイに寝取られてしまう。今度こそ美帆を満足させるんだ。でも、どうする? 医師が処方する薬で治るような軽症とは思えない……)

 翌日、雄太の足はペニーレインに向いていた。期待などという生易しいものではない。雄太は人生を賭していた。とにかく、自分には美帆しかいないのだ。美帆を、確実に三田から取り戻すのだ。

 そんな思いでペニーレインの扉のドアノブに手をかけたとき、雄太は心音を聞いた。

 ドキリ。
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