1章-2
文字数 1,555文字
とにかく、田川はまるで幼稚園児のように自分の持ち物に名前を書く。こちらは、趣味ではなく癖であろう。そんな田川がしおりの裏の真っ白なスペースを見つけたら、どうぞご自由に自分の名前を書いてくださいと懇願されたも同然である。さぞや、ペンを持つ指がうずいたに違いない。
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三年前、雄太はその田川に、二対二の合コンに誘われた。日々の仕事に追われ、女日照りであった二十五歳の雄太は、当然にして二つ返事で飛び付いた。しかも、相手の二人はどちらも二十二歳の受付嬢と聞いては、胸中は期待で満たされるばかりだった。
さらに幸いなことに、雄太と田川の女の趣味は完璧なまでに異なっていた。田川は、額を広告スペースにしてしまうような陽気な男だ。結果、決まって度が過ぎるくらいに明るい、軽い性格の女を好んだ。
一方の雄太は、根暗ではないが、比較的控え目かつ寡黙な男で、田川とのその真逆さが、磁石のS極とN極のように互いを引き合わせていた。もっとも、「控え目」の部分は多分に計算めいていて、実はプライドが高く、相当な
雄太のそんな性格は、そのまま女選びにも反映されていた。奥ゆかしくて、自分をとことん持ち上げプライドを満たしてくれる女。さらには、自分のような狡猾さとは無縁の馬鹿正直な女。
合コンに現れた美帆は、そうした条件を見事に兼ね備えていた。とはいえ、どれほど女を欲していても、恋愛にも戦略を持ち込む慎重な雄太が、すぐに美帆と恋仲になることはなかった。じっくりと信頼関係を築きつつも、美帆に意識させることなく主従関係を育み、四ヵ月かけて愛情へと昇華させたときには美帆は自分の支配下にいた。
ところが、そのタイミングで、雄太は田川から驚きの報告をされる。田川は、くだんの合コンで手に入れていた女と結婚すると宣言したのだ。スピード婚の理由は、当然にしてできてしまった子どもであった。
雄太は、心の中で田川を
(馬鹿な奴だ。勢いだけで結婚なんて。もっとも、俺は焦る必要はなにもない。子どもなどいなくても、結婚などしなくても、美帆が俺以外の男になびくはずがない。いや、美帆には俺以外の男を愛する資格はない。もはや、美帆は俺の所有物も同然だ)
友人の拙速な決断を横目に、雄太は揺るぎない自信と独占欲にその身を任せていた。
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恋人の部屋で『愛楽園』を目にし、束の間、浮気の線が頭をよぎったが、貸し借りの相手が田川なら過剰な心配は無用だ。思わず安堵の吐息が漏れる。胸のしこりも呼応して柔らかく溶けた。が、親指大ほどの固さが残った。やはり、恋人が不倫小説を読んでいる現実は愉快なものではない。
美帆。この『愛楽園』って面白いのか? 性描写が過激なんじゃないのか?
看過する気にはなれないのに、雄太が恋人にそう問いただすことはなかった。理由はどうあれ、彼女はそれをベッドの下に隠していたのだ。ここは、気付いていないふりをするのが男の甲斐性というものだろう。
翌日、雄太は書店で『愛楽園』を買い求めていた。