6章-8

文字数 1,473文字

 美帆は、失神するほどのトランス状態の中で浮気相手の名を叫び、そして果てた。昇天したその表情には充足感と幸福感が見てとれる。雄太は、カウント10直前のボクサーのようによろけながら立ち上がると、急いで衣類を身につけ始めた。

 その様子を見て、美帆は朦朧(もうろう)とした意識で雄太に二回目をせがんできた。雄太の腰に手を回し、先ほどまで自分を突き上げていた逸物(いつぶつ)に頬ずりをした。だが、雄太は美帆の手を振りほどくと、着衣を済ませ、指輪を外して壁に放り投げ、そのまま美帆の部屋を出た。

「雄太! 行かないで! お願い! もう一度抱いて! あなた、私の恋人でしょう!」

 ドアの向こうから美帆の哀願が聞こえてきたが、雄太は構わずに一目散に自分のマンションに向かった。自室に戻り、スマートフォンの液晶画面を見詰めた。

 コマンドメールは三回まで使える。すでに二回使っているが、あと一回効力は残っている。もっとも、その代償は雄太の全財産だ。しかし、すでに雄太は金には頓着を失くしていた。美帆を取り戻せればそれでよかった。そのために雄太に残された手段は一つしかない。

 雄太に迷いはなかった。

 件名に、美帆のメールアドレスを書くと、本文にコマンドを書いた。

 そして、そのメールをヨーコに送った。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 二時間が経過した。だが、雄太にはその間の記憶がなかった。しかし、出掛けるときには空だった灰皿に吸殻が積まれているのを見て、雄太は一定の時間が経過したことを把握し、やがては脳細胞が一つ、また一つと活動を始めた。

 皮肉なことに、冷静さを取り戻した雄太の心に、その悠揚(ゆうよう)を邪魔するように怖気(おじけ)が宿った。頭で自分のしたことを理解すると、それに体が反応し、肌は粟立(あわだ)った。十本の指が硬直したまま両手が震え出した。

 雄太は、渾身の力で揺れる手を引き寄せ顔に置くと、声にならない叫びを上げた。

 これで二人目の殺害だ。親友の田川に続いて、今度はあの憎むべき三田を殺した。

(三田……。俺のプライドを踏みにじった男……)

 雄太は大きくため息をついた。

(そもそも、あいつが美帆に近付かなければ、美帆が浮気をすることもなければ、誤って田川を殺してしまうこともなかったんだ)

 再びため息をつくと、吐き出した空気の分だけ罪悪感が軽くなった気がした。逆に、息を吸い込むと、おののく心にアロマのような成分が広がった。しだいに、雄太の呼吸は深呼吸に変わっていき、やがては穏やかに目を閉じた。空気清浄機の音が、打ち寄せる波のように鼓膜を撫でた。

「そうだよ。これでよかったんだ。三田は、死ぬべくして死んだんだ。確かに、また美帆に殺しをさせたのは胸が痛むけど……。なーに、あの指輪があれば、美帆は俺からはもはや離れられない。三田のことなどすぐに忘れるさ。自分で殺した田川のことをすぐに忘れたときのように」

 自分を納得させるように呟くと、雄太はライターに火をつけた。と、そのときだ。思わず雄太はソファーから腰を浮かせた。

「しまった! 完全犯罪でなければ美帆が捕まってしまう……」

 雄太は、送信箱に入ったコマンドメールを慌てて開いた。そこにはこう書かれていた。

――お前の浮気相手を完全犯罪で殺せ!――

「よかった。ちゃんと、『完全犯罪で』の五文字が入っている。興奮していたようでいて、意外に冷静だったんだな、俺」

 雄太は、思わず脱力して再びソファーに腰を下ろした。

 フウー。
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