4章-8

文字数 1,991文字

「さあ、教えてもらおうか。あの成績でどうしてお前が都清大学に合格できたんだ」

 とても人に教えを乞う態度ではない。しかし、それが井上という男だ。そして、後輩からこんな屈辱的な圧力を受けても反発できない。それが直人である。

 二人はペニーレインにいた。直人が井上を誘ったのだ。直人が井上の友人にこっそりと井上の志望校を尋ねたら、幸運なことに都清大学であると判明した。さらに強運なことに、井上が直人の都清大学合格を気に掛けていることを知った。

「なぜ、あんな奴が、教和大学ですら怪しかった奴が都清大学に合格できたんだ。特別な勉強方法でもあんのかな」

 そして、井上をペニーレインに呼び出した。

「合格できたのはこのおかげだよ」
 直人は、持参した紙袋からダルマと専用マジックを取り出した。

「なんだ、そりゃ? お前、まさか、ダルマに祈願した、とか言い出すんじゃねえだろうな」

「その前に。ねえ、井上くん。きみ、ハーバード大学に入りたいと思わない?」

「質問に質問で返すんじゃねえよ。むかつく野郎だな」

「お願いだから答えてよ」

「ハーバード大学? そりゃあ、入りたいに決まってるだろう。世界一の一流校だ。日本一と言われる国立大学でも、世界ランクでは二十位に入れるかどうかなんだ。だけど、ハーバード大学を目指す気はねえよ。俺、英語、話せないから。学力もまったく不足してるしな。俺は都清大学で十分なんだよ」

 そのとき、ヨーコが注文を取りにきた。すると、井上の頬に赤みがさした。

「ヨーコさん、久しぶり」
 直人が声を掛ける。

「本当に。十ヵ月ぶりかしら。都清大学、合格おめでとう」

「ありがとう。すべては、ヨーコさんから買ったダルマのおかげだよ。なんたって、願うだけで合格しちゃうんだから」

 ヨーコは怪訝そうに、しかし美しい微笑を浮かべた。

「そうだ。ねえ、ヨーコさん。ハーバード大学に合格しちゃうような人ってどう思う?」
「なによ、突然」

「いいから答えてよ」
「そうね……。そんな人に(こく)られたら、一発で落ちちゃうわね。アメリカまでついて行っちゃうかも。フフフ」

「だよね。あ、コーヒー、二つお願い」
「かしこまり!」

 井上は、目と口をだらしなく開いて二人のやり取りを聞いていた。そして、開けた口を一度閉じると、今度は言葉を発するために口を開いた。

「お前なんかが、どうしてあんな美人と……」

「まあまあ。それよりも本題に入ろう。信じる信じないは井上くんの勝手だ。だけど、僕は信じたよ。その結果、都清大学に合格できた。このダルマは必ず願いが叶う奇跡のダルマ、『百パーセント合格ダルマ』なんだ」

 直人は井上に力説した。「ハーバード大学」と三回唱えて、ダルマの左目を専用マジックで黒く塗ると、絶対に合格できると。

「馬鹿か、お前。俺がそんなおとぎ話を信じると思うのか。ふざけたことで呼び出しやがって。人目がなければぶん殴ってるところだ!」

「まあ。きみ、穏やかじゃないね」
 コーヒーをトレーに載せたヨーコだった。ヨーコは、カップをテーブルに置きながら続けた。

「直人くんの言ってること、本当よ。これは百パーセント合格ダルマなの」

 そう言って、ヨーコはダルマに手を置いた。粗野な井上も、ヨーコの前では小犬のように従順になる。顔など、ダルマよりも赤いくらいだ。

「でも、そんな話、とても信じられません」

「なら、信じなくてもいいんじゃない。でも、よく考えて。ダルマもタダ。マジックもタダ。それに、願い事をするのもタダ。なにも損はないじゃない。なんなら、ここは余興のつもりで騙されてみたら?」

――ハーバード大学に合格しちゃうような人に告られたら、一発で落ちちゃうわね。フフフ――

 井上は、ヨーコの瞳に映る自分の姿でも探すかのごとく、彼女の美麗な顔に視線を置いていた。そして、コーヒーを一口流し込むと直人に言い放った。

「わかったよ。騙されてやるよ」

「おめでとう、井上くん。これできみはハーバード大学に合格だ」

 直人の一言に、井上は「ふん」と鼻を鳴らした。

「本当におめでとう、井上くん。世界大学ランキング一位の学校よ。ハーバードに受かったら、真っ先に私に教えてね。ケンブリッジキャンパス、井上くんと指を絡ませて私も歩きたいなー。あー。なんか、私まで興奮してきちゃった」

 しなだれながら甘い声を出すヨーコを見て、井上はたった今鳴らした鼻の下を長くした。そして、口元から垂れかけたよだれを吸い込むように言った。

「は、は、早く、そのダルマとマジック、よこせよ!」

 ダルマとマジックを直人から受け取ると、井上はヨーコにウィンクを投げた。ヨーコは、そのウィンクをキャッチすると、もう一度しなを作った。
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