2章-9

文字数 928文字

「ありがとうございました。お兄さん、またきてね」
「もちろん、またくるよ」

 隆が投げたウィンクをヨーコが微笑とともに受け止める。
「で、お会計は、77,643円になります」

 その一言に、隆はだらしなく口を開いた。確かに、昨晩は随分と酒を飲んだ。そして、今日はコーヒーを二杯飲んだ。だが、逆にいえばそれだけだ。銀座のクラブに来たわけではない。明らかに高過ぎだ。

「ちょっと、ぼったくりじゃないか」

「いいえ。酒代が三万円。マスターにそう言われてます。それに、ビター&スイートが47,643円。妥当な値段じゃないの。っていうか、これでもまけてあげてるんだよ。千円残さなければ、家まで帰るのに心もとないでしょう?」

「千円残さなければ?」

 隆が所持金を慌てて確認すると、ヨーコの言うとおりの金額であったが、隆は別段驚きはしなかった。

――後ろめたさがある人間は、必ず証拠は隠滅しようとするものなの――

 先ほどのヨーコのセリフだ。

 隆は、一瞬、可愛いくせに手癖が悪いのかな、と想像しかけたが、ヨーコは一円も()っていないから堂々と証拠を開示できる、金額の話ができるのだと思い直した。きっと、酔い潰れている間に、興味本位で財布の中を見てしまったのだろう。まさか、他人の所持金をどんぴしゃりと言い当てる能力などあろうはずがない。

 それに、この世に存在するあらゆる美味を超越するビター&スイート二杯と、ヨーコと過ごした楽しい時間の対価が47,643円は、ヨーコの言うとおり妥当どころか安いくらいだ。

 隆は、それまでの人生でも数本の指に入る笑顔を作ると、最後にヨーコにおどけて質問をした。

「ところで、二杯目のビター&スイートの豆はどんな人から抽出したの? きっと、その人にとって、ヨーコちゃんに売った『苦い思い出』は、将来はとても楽しい思い出になるはずだったに違いないよ。でなければ、あれだけの『甘み』が鼓膜に広がるはずがない」

「うん。実は、今朝、お兄さんが酔い潰れている間に来店した女性なんだけど、なんでも、写真盾がどうのと昨晩、婚約者と大喧嘩したらしくて、その婚約者にまつわるこの十年間のすべての思い出を売っていったわ」
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