5章-3

文字数 1,295文字

 江利子は、今日購入した、女スパイが活躍するアクション映画をブルーレイディスクにセットするとソファーに腰掛けた。隣には、先ほどまで円形シールで弄ばれていたレオがちょこんと座っている。

 物語はテンポよく進み、女スパイは首尾よく敵陣に乗り込んで秘密情報を盗み出した。そこまでもどんでん返しの連続だったが、クライマックスはこれからだ。敵もこのまま黙ってはいないだろう。主人公は、はたしてどうやって敵に立ち向かうのか。

(へえ。日本映画でもこんなの作れるんだ。これは大当たりね。さあ、この後どうなる?)

 江利子は固唾をのんで身を乗り出した。と、そのときであった。映画以上のどんでん返しが起きた。なんと――、レオが吠えたのだ。それも、半端な吠え方ではない。威圧感も凄まじいが、なによりも声量が凄い。まるで、狼の大群が一斉に雄たけびを上げているかのようであった。江利子は、真剣に、これでは防音壁など役に立たないのではないかと焦った。

(なぜ!? レオは吠えることはできないはず……)

 いずれにせよ非常事態だ。サラウンドスピーカーだけでも相当な音量なのに、そこに人体の限界を超えたレオの叫喚(きょうかん)が加わり、もはや鼓膜は破れる寸前だ。江利子は、半ばパニック状態に陥りながらも、慌ててリモコンのストップボタンを押した。

 これで、とりあえずスピーカーは無音になった。あとは、レオを静めなければならない。しかし、その必要はなかった。画像が中心で点を結んで黒くなった途端、レオは何事もなかったかのようにおとなしくなったからだ。

(なに? どういうこと?)

 吠えられないはずのレオが確かに吠えた。決して夢ではなく。江利子は、試しにレオの顔に平手を食らわしてみた。あんなわめき声が出せるのなら、ひょっとしたら声を発するかもしれない。

 しかし、レオは痛みに顔を歪めるだけで、まったく声は発しなかった。代りに、つぶらな瞳でなにかを訴えているようにも見える。その様子はとても健気で、だからこそ江利子の癪に障った。頭に血が上り、江利子はさらに数発、平手を放った。だが、やはりレオは無声だった。

(やっぱり、レオは声が出せないんだ。じゃあ、さっきの狂気に満ちたあの雄たけびはなんだったの? ……。まあ、考えてもしかたない。それより、映画の続きを見よう)

 江利子は、胸中呟くとリモコンを手に取った。テレビには、先ほどストップしたシーンが映し出される。しかし、また悪夢が江利子を襲った。レオが再び吠え始めたのだ。

 江利子はすぐさま映像を止めた。同時に、レオも唖者(あしゃ)のように静かになった。理由はわからないが、レオがこの映画の、このシーンに反応していることは明らかだった。いずれにせよ、これ以上吠えられてはたまらない。

(しかたない。今日は寝よう)

 江利子は、羽織っていた白いカーディガンを脱いで、深紅のパジャマ姿になると寝室に向かった。だが、心中はどうにも解せない思いで満たされていた。

(レオを譲ってくれたあの子も「レオは絶対に吠えない」って言ってたのに……。なぜ?)
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