6章-10

文字数 1,018文字

 腹に鈍痛を感じた雄太がその場所を一さすりすると、手のひらが血糊(ちのり)で真っ赤に染まっていた。急激に意識が遠のき、雄太は脱力して両膝をついた。そして、両手で美帆の体にしがみつきながら声を絞り出した。

「なぜ?」

「なぜ、って言われても、私にもわからないの。今の私は、私であって私でないの」

「わ、私でない……。それは……、わかってる。でも、う、浮気相手を、こ、殺すんだろう?」

「そうよ。だから、それを今実行してるんじゃない。派遣で働く私の心の支えになってくれた秀吉には確かに感謝してる。だけど、彼とは所詮は浮気。私の恋人はあくまでも雄太……、だった」

「だった?」

「そう。あなたは私の恋人だった。それなのに、雄太は指輪を嬉しそうに左手の薬指にしていた。その女があなたの本命なんでしょう? 婚約指輪をしながら、よく私が抱けたもんね。そんなあなたがさっき私を置き去りに部屋から出て行った瞬間に決心したの。これから私は、遊びでなく本気で秀吉を愛そうと」

「こ、婚約指輪だなんて、誤解だ……。お、俺は……、お前を愛しているからこそ、あの指輪を……」

 雄太の弁明をはねのけるがごとく、美帆の次の一刺しは、雄太の心臓を深くえぐった。

◆◇◆◇◆◇◆◇

「さて。後は、これを完全犯罪に仕立て上げるだけね」

 美帆が片頬だけで笑ったとき、固まった(ろう)のようにうつぶせに横たわった雄太の顔の横で音がした。メールの着信音だった。

 美帆は、雄太のスマートフォンを拾い上げると、雄太の親指をナイフでそぎ落として指紋認証をし、たった今受信したメールに視線を落とした。

――児玉雄太さん、おめでとう!
  児玉さんのコマンドメールの使用料が三百万円を超えました!
  そこで、特典として、もう一度無料でコマンドメールを使うことができます。
  たとえば、こんな使い方、どう?
  あなたの意中の人に対して「自分を好きになれ!」とか。
  もし、浮気している彼女がいるなら、取り戻す絶好のチャンスよ。
  とにかく、せっかくの特典なんだから、有意義に使ってね!

  ヨーコ――

 美帆は、液晶から目を離すと鼻を鳴らした。

「ふん。なにがコマンドメールだか。意味不明、っていうかくだらない。あ、なるほど。このヨーコが雄太の本命ね」

 そして、雄太の腹を蹴り上げるとスマートフォンを放り投げた。

 パタン。

(了)
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