大神殿に招かれた夏主

文字数 2,933文字

 次の日、クレスは主島の象徴色である深緑色の制服を着て大神殿の門をくぐった。
 そこから歩いて入口をはいり、入ってすぐの待合室で待機した。初めの日はその部屋へくるように指定があったからだ。
 そこに、今年度の新人がぽつぽつと部屋へ入ってきて、十人ほどが集まった。
 しばらくすると五人の新人の指導教官のような神官が入ってきて、各々の部署に新人を連れて行った。

 クレスは同い年だと思われる女の子と一緒に財務部へと向かう。
 指導教官らしき人は歩きながらクレスとその女の子に話しかけた。

「俺はリーム・バンスター。リームって呼んでくれ。君は大神官殿の息子だね。名前は?」
「クレスです。クレス・クレウリー」
「そっちの女の子は?」

 その時、初めてその女の子は口を開いた。

「アルウェ・トラルトです」

 はきはきとした印象だとクレスは思った。

「じゃあ、クレスとアルウェって呼ぶから」

 リームは二十代半ばほどのまだ若い、男性の先輩だった。
 金色の短髪も、明るい性格も、まるで太陽のようだ。
 そして大神殿の奥にある財務部の部屋へとクレスたちを招き入れた。

 大きい部屋だった。総勢五十人以上はいるのではないだろうか。
 一つの部署にこんなに。それもそのはずかもしれない。ここは主島の行政の金銭管理全般を扱っているのだから。
 なんだか一番難しい場所に来てしまった気がしてクレスは唸りそうになった。

 リームは財務部の奥にある大きな執務机に座る中年の男性に声をかけた。

「レンド・カラル部長、今年の新人二人を連れてきました」
「よし」

 レンド部長は手を打って一同を振り返させるとクレスとアルウェを掌で示した。

「今年の新人だ。二人とも、自己紹介をしなさい」

 その声に「はい」と大きく応えたのは、アルウェだった。

「アルウェ・トラルトです」

 負けずにクレスも声を張り上げる。

「クレス・クレウリーです。よろしくお願いします」

 そう言って頭を下げた。
 つられてアルウェも頭を下げる。

 財務部の先輩神官も丁寧に頭を下げた。

「これから一緒に仕事をする新人だ。面倒をみてやってほしい」

 そうレンド部長が言うと、はい、と答えが帰ってくる。

「二人とも」
『はい』

 レンド部長の声にクレスとアルウェは同時に返事をした。

「新人の教官はリーム・バンスターだ。さっきここまで君たちを案内してきた彼だ。何かあったら彼に聞くといい」
『はい』

 リームはクレスとアルウェを各自の席へ案内すると、取り敢えず一番簡単な数字の合算から仕事を任せた。

「今日はこの書類の数字を合算して数字を出すだけで良い。間違えるなよ」

 そう言うと、ダンボール箱いっぱいの書類を持ってきて、クレスとアルウェの前に置いた。

「こ……これ全部ですか……?」

 クレスが言おうと思った事をアルウェが先に言ってくれた。

「何、今日一日でやれって言ってるんじゃない。一カ月ごとの決算に使うから一カ月でやればいい」

 クレスはほっと息を吐いた。が。

「あの後ろのダンボール箱も全部ね」

 全部で五箱はあるようだった。
 クレスはアルウェと顔を見合わせた。

「がんばろ」

 アルウェが言う。

「そうだな」

 まだ仕事一日目だ。愚痴を言うのもまだ早い。




 家に帰ってきてからクレスは自室の寝台へと寝転がった。
 疲れ果てて、もう数字などみたくないと思った。
 一日目にしてこんなで、この仕事を続けられるのか、俺!
 とクレスは自問自答してしまう。

 その時、また耳飾りが光った。
 レイも仕事が終わったのだろう。
 サファイアの耳飾りから声が聞こえる。

「クレス、行っていいかい?」
「……いいよ」
「疲れてるみたいだね。やっぱり止めておこうか」
「いや、来いよ」

 今、無性にレイの体をぎゅっと抱きしめたい。
 いつものように像が焦点を合わせて体が見えた。
 現れたレイにクレスは思いっきり抱きついた。

「な、何? 急に!」

 驚くレイにクレスは「ごめん」と謝る。

「今、凄くレイに会いたかったから」

 抱きしめながらそう答える。
 ああ、なごむ。疲れている時に好きな人を抱きしめられるこの幸福。
 レイもクレスを抱きしめ返してくれた。

「今度近いうち、私は夏主として主島に行く。リアス様に呼ばれているんだ」
「リアス様に?」

 リアス様、とは、この世界を作った創造主、神のような方だ。
 ウェルファーの民はこの創造主リアスと、創造主の眷属にあたる四人の季主をあがめている為、官職にあたる人物を『神官』と称す。

「そう、五月あたりにはもう、私は大神殿に呼ばれている」
「やった! 楽しみにしてるから! 昼間に会えるんならどっか行こうぜ」
「うーん、それはまだ主島に行ってみないと分からないけど……。一応仕事で行くのだし」
「時間か……休日くらいあるだろ?」
「じゃあ、休日が取れたらどこかに行こう」
「ああ! 約束だぞ!」

 仕事の疲れが吹っ飛ぶ。クレスはその日から、指折りレイが主島に招かれるのを待った。
 今までも休日の昼間に会ってはいたが、時間が合わなくて逢えない事が多かったからだ。



 あっという間に四月は過ぎて五月の末になった。

 予告通りレイは季主の道を使って大神殿へとやってきた。
 大神殿の神官たちは、歓迎の意をこめて大神殿の入り口へ集まっていた。
 レイは夏主として来たので、供の者を数人連れて来ていて、大神殿ではレイの訪問を歓迎する為の晩さん会が開かれる予定だ

 創造主リアスや大神官バレル、上位の神官たちがその晩さん会に出るらしい。
 クレスには手の届かない所だ。
 レイは青を基調としたいつもの長衣のような服装で長い髪を青い髪飾りで後ろに縛っていた。
 大神殿に着くと、そこから大神殿の神官が先にたってレイを内部へ恭しく促す。
 レイは背筋を伸ばして真っすぐに前を見て大神殿へ入って行った。

(なんか、こうして見るとレイって手の届かない人だったんだなあ)

 改めてクレスは思うのだった。




 その日はなかなか仕事が終わらなかった。

 先輩の神官が机をドンと叩く。

「どうなってるの!?」
「こっちもだ。全然合わない」

 隣の神官も根をあげる。
 レンド部長が仕事をいったん、中止させた。

「いくら合わないんだ」

 それに答えたのはリームだった。

「五十万ビルクです」
「五十万だと!?」

 レンド部長は悲鳴のような声をあげた。
 みんな目を真っ赤にして計算機とたたかっている。
 クレスもアルウェも簡単な計算を今まで手伝っていた。

 ふいに、誰かがふらついた。

「な…なんだか……俺、立っていられ…ない」
「私……も…」
「俺も……」

 次々とばたばた財務部の面々が倒れて行く。クレスも強烈な眩暈に襲われて立っていられなくなった。
 そして、その時に確かに声を聞いた、と思った。

『全部忘れてしまえ。計算が五十万ビルク合わなかった事は、忘れてしまえ』

 何度も何度も耳元でささやかれているような感覚がした。
 財務部はこの時、だれも起きてはいなかった。

『そしてクレス……君はレイファルナスの事も忘れてしまえ』

 この暗示も何度も何度も耳元でささやかれているように思えた。

 何を言っているんだ。
 俺がレイを忘れるわけないじゃないか。

 クレスは夢の中のようなこの声にあらがった。
 そうだ、忘れるわけ、ない……。
 決して――
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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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