三話 救い主は酒を望む
文字数 2,227文字
お嬢ちゃん……。意図的に挑発しているのか、はたまた本当に間違っているのか。
そう声をかけてきた男を見ると、中年の体格のいい柄の悪い人間だった。私はとっさに笛をふくのを止める。その男は薄ら笑いを浮かべて私の傍へくると、強引に私の顎を片手でつかみ、自分の顔の方へと向けた。
「へえ……間近で見ても綺麗じゃねえか」
下卑た薄ら笑いで私を正面から見ると、にへらと相好を崩した。
面倒なことになった、と思った。治安の悪い場所ならともかく、秋主アレイゼスのお膝元であるこの街で絡まれるとは思っていなかった。
人間のこうした感情が、私はとても苦手だ。こんな男に性的な対象として見られるのも、虫唾が走るほど嫌だ。
さて、どうしようか。
ここで言いなりになるのも癪だし、ヘタに力を使って消耗するのも嫌だ。季主の力は基本、護りの為の力であって、攻撃などは出来ない。人間相手には、出来て相手を数分操ることくらいだが、とても消耗する。
護身術は多少できるから、顎を捕らえている相手の手首をつかみ、ひねりあげて、地面に倒すか。
そう思っていると。
「おい、おまえ」
と野太い男の声がした。
見ると、笛を聴いていた観客の一人だった男が、私の顎をつかむ男の肩を叩いていた。
そして、振り向いた男を拳でがつっと殴り倒したのだ。
「あーあ、ワルターを怒らせちゃったね。運の無いヤツ」
その様子を見ていた黒髪の少年が、パチパチと拍手を贈りながらケラケラと笑っていた。ガラのわるい男を殴ってくれたワルターと呼んだ男に。
「あ、おれはケイ。綺麗なお兄さん、大丈夫だった? こういう輩に目をつけられると厄介だよ」
私はしばらくあっけにとられながら二人を見比べた。
ワルターと呼ばれた男は、警備部の人間のように筋肉で覆われた鋼のような肉体の男だ。
厚い胸板が、薄手の灰色のシャツに覆われていた。ズボンは黒で、外見年齢は私と同じ二十代半ばくらいか。そして、長身である私よりも背が高い。
ケイという少年は十代の半ばあたりだろう。成長期前くらいの容姿だ。短い黒髪に片方の耳にはたくさんの穴をあけて耳飾りをいくつもつけていた。薄い生地の袖なしのシャツに、軽い薄茶色のカーデガンのようなものを羽織っている。
「君たち、私を助けてくれたの? ありがとう」
私はお礼をいいながら地面で伸びている男を見て、いままで掴まれていた顎を片手でさすった。強い力で強引に掴まれていたので、首も痛い。
ケイは地面でのびている男の脇腹を蹴飛ばして、吐き捨てるように言葉を連ねた。
「最低なヤツ。こういうヤツは、獲物を探しては難癖付けて、金にしたがってる。お前の場合も綺麗ってだけで価値があるからな」
ワルターが私の前に来て、私を見下ろす。秋主アレイゼスのように背も大きいのだな、と私は関係の無いことを思った。
「金。帽子がそのままだった。盗まれるぞ」
そう言って、笛を聴いていた観客が金を入れてくれた帽子を、彼は私の方へと持ってきてくれた。
一瞬、金を請求されたのだと思ったが、違うらしい。
彼は、金の入った帽子をそのまま私に渡してくれた。
「ありがとう……」
「それにしても随分と稼いだな」
「ああ、難しい曲とかも吹いたから。だから、お客さんも喜んでくれたのだと思う」
「そうか。じゃあな、これからは気をつけろよ」
そう言うと、私に背を向けて立ち去るワルターと、その腕に楽しそうにしな垂れかかったケイは、私から去って行く。笑いあって去るその姿を見て、ああ、この二人はそういう関係なのかな、と思った。
笛を聴いていた観客は、すでにもういなくなっていた。
私は金の入った帽子を持ちながら、咄嗟に二人を呼び止めた。
「二人とも、待って。お礼がしたい。私はレイ。どうだろう? ちょうど夕食時になるから、君たちに食事をおごらせてくれない?」
するとケイの方が振り返った。
「ワルター、飯だってさ。行ってもいいんじゃね」
ワルターの無骨な腕を引いて、ケイが立ち止まる。
すると、ワルターも足を止めて私の方を見た。
「そうだな……。ちょうど腹も減っていたところだ。何を食わしてくれるんだ?」
「君たちの好きなものでいい。私は酒でもなんでもいいから。好きな店へ案内してくれれば、私がおごる」
「へえ、なんでもいいんだって、ワルター。おれ、酒がいい」
ケイはにやりと笑ってワルターを見た。
「俺も酒だな。好きな店……か……。そうだな、お前が入っても襲われないくらいの店に連れてってやる。そこでメシを奢ってくれ」
ワルターは、私を見て静かに笑む。
この二人の行きつけの店だと、私はやはり身の危険があるらしい。
ケイは溜息をついて、私を訝し気に見た。
「それにしても、お前はどこの上流社会の人間なんだ? いやに綺麗だし、自分のことを『私』なんていう男 と、おれ、はじめて話した」
「ははっ、俺もだ。相手のことを『君』っていう男ともな」
ケイとワルターは私の方を見て笑う。
「それは私にも色々と事情があるんだよ」
「ははっ。事情ってどんな事情だよ」
さらりと返せば、ケイはさらに笑った。
「でもそんなナリして、おれたちを怖がらないところ、よっぽどの世間知らずのバカか、世慣れしたタヌキなのか……。どっちにしてもお前も普通じゃないな」
「そうだね、それは認めるよ」
私は苦笑すると、荷物を手早く纏めた。
「じゃあ行こう」
二人の案内で『私が入っても襲われないくらいの店』とやらに行くことになった。
そう声をかけてきた男を見ると、中年の体格のいい柄の悪い人間だった。私はとっさに笛をふくのを止める。その男は薄ら笑いを浮かべて私の傍へくると、強引に私の顎を片手でつかみ、自分の顔の方へと向けた。
「へえ……間近で見ても綺麗じゃねえか」
下卑た薄ら笑いで私を正面から見ると、にへらと相好を崩した。
面倒なことになった、と思った。治安の悪い場所ならともかく、秋主アレイゼスのお膝元であるこの街で絡まれるとは思っていなかった。
人間のこうした感情が、私はとても苦手だ。こんな男に性的な対象として見られるのも、虫唾が走るほど嫌だ。
さて、どうしようか。
ここで言いなりになるのも癪だし、ヘタに力を使って消耗するのも嫌だ。季主の力は基本、護りの為の力であって、攻撃などは出来ない。人間相手には、出来て相手を数分操ることくらいだが、とても消耗する。
護身術は多少できるから、顎を捕らえている相手の手首をつかみ、ひねりあげて、地面に倒すか。
そう思っていると。
「おい、おまえ」
と野太い男の声がした。
見ると、笛を聴いていた観客の一人だった男が、私の顎をつかむ男の肩を叩いていた。
そして、振り向いた男を拳でがつっと殴り倒したのだ。
「あーあ、ワルターを怒らせちゃったね。運の無いヤツ」
その様子を見ていた黒髪の少年が、パチパチと拍手を贈りながらケラケラと笑っていた。ガラのわるい男を殴ってくれたワルターと呼んだ男に。
「あ、おれはケイ。綺麗なお兄さん、大丈夫だった? こういう輩に目をつけられると厄介だよ」
私はしばらくあっけにとられながら二人を見比べた。
ワルターと呼ばれた男は、警備部の人間のように筋肉で覆われた鋼のような肉体の男だ。
厚い胸板が、薄手の灰色のシャツに覆われていた。ズボンは黒で、外見年齢は私と同じ二十代半ばくらいか。そして、長身である私よりも背が高い。
ケイという少年は十代の半ばあたりだろう。成長期前くらいの容姿だ。短い黒髪に片方の耳にはたくさんの穴をあけて耳飾りをいくつもつけていた。薄い生地の袖なしのシャツに、軽い薄茶色のカーデガンのようなものを羽織っている。
「君たち、私を助けてくれたの? ありがとう」
私はお礼をいいながら地面で伸びている男を見て、いままで掴まれていた顎を片手でさすった。強い力で強引に掴まれていたので、首も痛い。
ケイは地面でのびている男の脇腹を蹴飛ばして、吐き捨てるように言葉を連ねた。
「最低なヤツ。こういうヤツは、獲物を探しては難癖付けて、金にしたがってる。お前の場合も綺麗ってだけで価値があるからな」
ワルターが私の前に来て、私を見下ろす。秋主アレイゼスのように背も大きいのだな、と私は関係の無いことを思った。
「金。帽子がそのままだった。盗まれるぞ」
そう言って、笛を聴いていた観客が金を入れてくれた帽子を、彼は私の方へと持ってきてくれた。
一瞬、金を請求されたのだと思ったが、違うらしい。
彼は、金の入った帽子をそのまま私に渡してくれた。
「ありがとう……」
「それにしても随分と稼いだな」
「ああ、難しい曲とかも吹いたから。だから、お客さんも喜んでくれたのだと思う」
「そうか。じゃあな、これからは気をつけろよ」
そう言うと、私に背を向けて立ち去るワルターと、その腕に楽しそうにしな垂れかかったケイは、私から去って行く。笑いあって去るその姿を見て、ああ、この二人はそういう関係なのかな、と思った。
笛を聴いていた観客は、すでにもういなくなっていた。
私は金の入った帽子を持ちながら、咄嗟に二人を呼び止めた。
「二人とも、待って。お礼がしたい。私はレイ。どうだろう? ちょうど夕食時になるから、君たちに食事をおごらせてくれない?」
するとケイの方が振り返った。
「ワルター、飯だってさ。行ってもいいんじゃね」
ワルターの無骨な腕を引いて、ケイが立ち止まる。
すると、ワルターも足を止めて私の方を見た。
「そうだな……。ちょうど腹も減っていたところだ。何を食わしてくれるんだ?」
「君たちの好きなものでいい。私は酒でもなんでもいいから。好きな店へ案内してくれれば、私がおごる」
「へえ、なんでもいいんだって、ワルター。おれ、酒がいい」
ケイはにやりと笑ってワルターを見た。
「俺も酒だな。好きな店……か……。そうだな、お前が入っても襲われないくらいの店に連れてってやる。そこでメシを奢ってくれ」
ワルターは、私を見て静かに笑む。
この二人の行きつけの店だと、私はやはり身の危険があるらしい。
ケイは溜息をついて、私を訝し気に見た。
「それにしても、お前はどこの上流社会の人間なんだ? いやに綺麗だし、自分のことを『私』なんていう
「ははっ、俺もだ。相手のことを『君』っていう男ともな」
ケイとワルターは私の方を見て笑う。
「それは私にも色々と事情があるんだよ」
「ははっ。事情ってどんな事情だよ」
さらりと返せば、ケイはさらに笑った。
「でもそんなナリして、おれたちを怖がらないところ、よっぽどの世間知らずのバカか、世慣れしたタヌキなのか……。どっちにしてもお前も普通じゃないな」
「そうだね、それは認めるよ」
私は苦笑すると、荷物を手早く纏めた。
「じゃあ行こう」
二人の案内で『私が入っても襲われないくらいの店』とやらに行くことになった。