第34話 クレスの日記とレイの想い

文字数 2,443文字

 春神殿のあかい神官服をきたレイを見て、クレスは相好を崩した。

「レイが青い服じゃない服を着てるとこって初めて見た」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」
「それもそうだな」

 その時、警笛が鳴った。
 ダリウス朱神官の書斎が荒らされたことを知った警備部のものが、緊急事態の警笛を鳴らしたのだ。
 ネモフィラは焦った。
 この帳簿を無事に仲間に渡さないと、この作戦は失敗だ。

「いまなら裏門から出られる。急いで」

 レイに促されて裏門へ向かった三人は、そこにいる門番に足止めされてしまう。

「侵入者がいたみたいで、今は外にだれもだすなと言いつかっていてね」

 そう言われたネモフィラは身体の裏に帳簿を隠した。が、門番に不審に思われた三人は、そのままダリウス朱神官の前に連れ出されてしまった。帳簿をみとめたダリウス朱神官は猫なで声でネモフィラに言う。

「その帳面をかえしてくれないかな、お嬢さん」

 ネモフィラの持つ帳面を見て、裏帳簿だと気が付いたダリウス朱神官は、帳簿を取り返そうと言葉を吐いた。

「これは……」
「私の帳面と似ているが、まさかさっきの侵入者は君なのかな? 私から盗んだものなのか? 随分と不作法なお嬢さんだ」

 もうクレスにもネモフィラにも逃げ場がないと思ったからだろう、ダリウス朱神官には余裕がある。
 にまりと笑顔を見せながら迫ってきたダリウス朱神官に、クレスは咄嗟に帳簿を手に取って叫んでいた。

「これは俺の日記だ!」

 その場の誰もが、はて、と息を飲んだ。

「に、日記? 日記などなぜ宴にもってくる必要がある! 嘘もほどほどにしろ!」

 ダリウス朱神官は顔をゆがませて怒りの表情を浮かべた。
 隣にいたレイもクレスが何をいいだすのかと、驚愕の表情だ。

「嘘じゃない。嘘じゃない証拠に読んでやるよ」

 クレスは一世一代の演技をした。これは正真正銘の裏帳簿だ。
 その帳簿を広げて高々と声を張り上げる。

「14月25日、季主の道を使って春島についた。レイも一緒だ。春島にはいちど来たことがあったけど、その時と変わらず、美しい緑に溢れている。
 14月26日、ルファさまと逢う。ダリウス朱神官の宴に出席するように言われる。
 14月27日……」

「うるさい、もういい! いいからそれを私によこせ!」
「だからこれは俺の日記なんだ」

 言い張るクレスの持つ帳簿は横からの手ですっと引き抜かれた。

 赤いドレスを纏った、癖のある赤毛の春主に。

「ルファさま……」

 その場のだれもが緊張した。
 この春島の季主、春主ルファがダリウス朱神官の宴に顔を出したのだ。

「春神殿にいたら警笛が聞こえてきたから、何事かと様子を見に来たわ。ネモフィラ、ご苦労様」

 ルファはネモフィラの方へ顔をむけると、意味ありげに言う。
 ネモフィラの顔に、あからさまに安堵の表情が浮かんだ。

「いまちょっと成り行きを見ていたけれど、たしかにこれはクレスの日記ね」

 ルファはぱらぱらと帳面をめくって、中を見ながら溜息を吐いた。

「ダリウス朱神官、この日記で色々なことが分かりそうだわ」

 ルファは視線するどくダリウス朱神官の顔を睨む。

「ルファさま……。それは本当に日記だと……?」
「ええ、そうよ」

 ダリウス朱神官には、それを確かめるすべがなかった。
 ルファがそうと言うなら、そうなのだと認めるしかなかった。
 たとえそれが身を破滅させる裏帳簿なのだとしても。

「貴方の悪事もたくさん書いてあるわね」

 カッと顔が朱に染まったダリウス朱神官だった。

「おのれ……クレス! 次期大神官だかなんだか知らないが、調子に乗りおって! そもそも私はお前たち親子が大嫌いなのだ! 四年前も春島に来て散々と引っ掻き回していきおった!」

「でもそれで小麦の物価は下がった、と聞いた。俺の父は……大神官バレルは間違ったことはしていない」

「何が間違いで、何が間違いではないかを判断するのは、春島筆頭神官の私の仕事だ!」 

「それが間違っていたから大神官の監査がはいったんだろうが!」

 クレスも負けずに声を張り上げる。

「どうしてそんなにお金が必要だったんだ! 人々を苦しめてまで!」
「お前には分からんさ。金はいくらあってもいいものだからな」
「金の亡者め……」

 心底けいべつの意味をこめてクレスは呟いた。
 ダリウス朱神官は憎しみを込めてクレスを怨嗟する。

「お前が! 来なければ! すべてうまく行っていたのに!」

 とぎれとぎれ叫んだダリウス朱神官は、近くにいる警備部の神官の持つボウガンを奪ってクレスに向けて構えた。

「お前がいなければーー!!」

 再度のさけびと同時に、躊躇なく引き金を引く。

 矢はものすごい勢いでクレスの胸へ向かって飛んでいった。
 クレスは棒立ちになって動けなくなる。

「クレス!?」

 とっさにレイはクレスの前に出でいた。

 彼に死んでほしくない。
 ただ、それだけを思って、気が付いたら身体が動いていた。

 レイは生涯、生き物の死という悲しみから逃れられない宿命を背負っている。
 でも、今クレスを失うのは、我慢がならなかった。
 クレスは命の輝き、生き物の強さを教えてくれたから。

 生きものの命への執着はとても強くて、簡単には死なないのだと。
 懸命に生きて、なにかを残していくのだと。

 それを教えてくれたクレスの命を護りたかった。

「レイ……!!」

 レイに覆われたクレスのかすれた声が、朱神官の屋敷の庭に響いた。

 背中から刺さった矢は、レイの胸の心臓の部分に深々と貫通していて、血の付いた矢じりが前方に突き出ていた。

「レイ、レイ……!」
「ああ、失敗しちゃったかな……クレス……私は……」

 レイはクレスの頬に手を伸ばしながら、何かを言いかけた。
 しかし、身体が金色の粒子になって、大気に溶けて行ってしまう。

「わたしは……ね……」

 姿が薄れていくレイが言い終わるまえに。

 さらさらと体が大気に溶けきって、カランと何かがクレスの足元に落ちた。
 それは、レイがいつも身に着けていた、サファイアの耳飾りだった。

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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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