忘却

文字数 2,324文字

 朝起きる。
 普通に起きたつもりだったが、何か胸が痛いような気がする。
 鏡を見て耳に青い耳飾りが入っている事に気が付き、それが頬の横で揺れていた。
 邪魔だったので取ろうと思ったけれど、どうしてもそれは出来なかった。
 してはいけない事。
 そうクレスの中で強烈に刷り込まれているような感覚がする。

 仕方がないので青い耳飾りをそのままに財務部へ出勤する。

「おはようございます」

 そう言うと、にっこり笑って同僚のアルウェが真っ先に返事を返してくれる。
 今まで気がつかなかったけれど、アルウェは可愛い。
 真っ黒なセミロングの髪に天使の輪が見える。
 背はクレスよりも頭一つ分も低い。体のつくりも小さくて、小柄で華奢だ。
 しばらくアルウェに見とれていたクレスにアルウェは赤くなった。

「何? そんなに見つめて」
「え、いや、アルウェって結構可愛かったんだなって思って」
「え? 今更? だって初めて会ってからもう一カ月くらいたってるじゃない」
「そうだよな、俺、どうかしてるのかな」
「変な人ね」

 アルウェはクスクスと笑った。



 その頃、レイは創造主リアスと人払いをした聖殿で話をしていた。
 聖殿は天井から光が入り込むように出来ていて、ステンドグラスが部屋を不思議な色彩で彩っていた。

 リアスは創造主の為の椅子に座り、レイはその前に立っていた。

「御用とはなんでしょうか。私に直接言いたい事がおありなのでしょう」

 レイは単刀直入に創造主リアスに聞いた。

「そうじゃな」

 老年の男性の姿をしたリアスはレイに厳しい眼を向けて語りだした。

「レイファルナス、他でもないお前の恋人、クレスのことじゃ」
「はい。それで何か問題でも?」
「別れる気はないか」
「は……?」
「クレスはそのうち大神官になる。お前たちはそれぞれ夏島と主島の重要職同士だ。いまのうちに関係を清算してしまった方が後々苦しまずにすむというもの」
「なぜ、苦しむと思うのですか、リアス様」
「いくら本体の一部である耳飾りをクレスが持っていても、そう頻繁には逢えなくなるだろう」

 レイはふわりと、幸せそうな笑みを見せた。

「それでも良いんです。私は幸せです。クレスが生きているのなら」

 リアスが目を見張る。

「そこまであの子が恋しいか」
「大事です。クレスが生きている間、ずっと私は彼の幸せを考えます。この話は聞かなかった事にします。この話を呑むなんて無理な事ですから。それにリアス様、人の恋路は邪魔するものではないですよ」
「うむ……。……もう良い。のろけはいいから早く行け」

 リアスは苦々しくレイを見て、溜息を一つ吐いた。

「では退席させていただきます」

 レイが大神殿の聖殿を出る間際、創造主リアスはレイの背中に試すような目線を向けて彼を見送った。



 レイは季主の正装からシャツとズボンに着替えると、大神殿の門の脇で帽子を目深にかぶってクレスが帰ってくるのを待っていた。
 以前にも神官学校の前でクレスを待っていた事があったが、その時はレイの顔を知るものはいなかった。だが、今は大神殿の中だ。夏主だと分からないよう、顔をみられないようにクレスを待つのは骨だった。

 するとクレスが女の子とつれだって歩いてくる。
 レイは少しだけ嫉妬した。
 女の子が結構可愛かったからだ。

「クレス」

 声をかけて近づく。
 先に気がついたのはアルウェの方だった。
 レイはアルウェにも声をかけた。

「こんにちは、お嬢さん。ちょっとクレスと話がしたいから借りてもいい?」
「レイファルナス様!? クレス、レイファルナス様がお呼びよ」

 アルウェはすこし興奮気味にクレスのそでを引っ張った。

「レイファルナス様? 夏主さまの? なんで俺なんかをお呼びになったんだろう」

 そうアルウェに言う言葉がレイにも聞こえた。

「クレス? 私のことを忘れた?」

 レイは冗談でそう言ってみた。
 しかしクレスは恐縮するばかりだ。

「私がどうして夏主のレイファルナス様を知っているというのでしょう。人違いでは?」
「は……?」

 レイは血の気が引く思いでクレスを凝視した。

「どうしたっていうんだ。本当に忘れたの?」

 レイはクレスの両腕を手でつかみ、眼をしっかりと見た。

 ほのかに暗示がかけられている気配がする。
 それで少し事態が呑み込めたレイはクレスを離し、引く事にした。

「クレス、私はもう帰る。今日はね。また来るから」

 そう言ってレイはクレスから離れた。

 大神殿に戻る途中、レイはクレスをかえりみた。
 可愛い女の子と話をしているクレスを見てレイの胸は少し痛んだ。



「なんだったんだろう……」

 クレスはアルウェに聞いてみたが、アルウェだって知るわけがない。

「でも夏主様がじきじきに声をかけてくださるなんて、やっぱりクレスは凄いのね!」

 アルウェは、はしゃいだ。

「お嬢さん、だって。素敵な方だったわね……レイファルナス様って」

 夢見心地にアルウェはクレスに言った。

「ああ、綺麗な方だよな」

 クレスもそれに同意した。


 家に帰っても、クレスはさっきの夏主さまの事が頭から離れなくて困っていた。 
 初めに見た時は、大神殿に入ってくる時だった。
 あれ? そうだっけ? 
 記憶があいまいになっている。
 遠目に見ただけなのに、あの夏主さまの笑った顔が間近で思い描ける。
 それなのに、自分はあの夏主さまとの事を何も思い出せないのだ。

 たぶん、知らない人物だからだろう。
 だけど、それにしてはあの夏主さまの悲しい顔を見ると胸が痛むのだ。
 何か……重要な事が、すっぽりと抜け落ちているような感覚。
 それはあの夏主さまと関係があるのだろうか。
 クレスは無意識にサファイアの耳飾りを触っていた。
 それはクレスの頬の横で無機質に光っていた。
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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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