第16話 クレスの迷い

文字数 2,531文字

 今は昼時で、その時刻の市は活気がある。人々の喧騒にクレスは眩暈がするような気がした。 
 魚の市場から暫く歩いたところに、色とりどりのテントの下で、果物と野菜の(いち)がたっていた。


 果物も、魚同様、クレスが見たこともない果実だった。
 星型をしていたり、とげがあったり。

「星型の果物はそのまま食べられるけど、とげのあるやつは実を割って、中を匙ですくって食べるんだ」

 レイはそれらを指さしながらクレスに説明していく。
 野菜も橙色の葉野菜があったり、真っ赤な熟れた夏野菜などがあったり、様々で綺麗だ。

 市を見ていると、氷菓の売店があった。
 クレスはそれを見つけて、レイが氷菓好きなことを思い出し、聞いてみる。

「レイ、氷菓、食べるか?」
「ああ、あそこの店ね。美味しいよ」
「また常連なのか……」

 軽く笑ってクレスはレイのために香草入りの氷菓を買った。
 器に入っていて、さじで食べる形式だ。
 それをレイに渡すと、レイはクレスにお礼を言って嬉しそうに氷菓を食べだす。

「ほんっとうに冷たくて甘いの好きだよな、レイは」
「この夏島は暑いからね」

 それはみんな同じだと思うんだが……。という言葉をクレスは飲み込んだ。
 二人は、夏島海辺のレンガ敷きの広場で、備え付けの長椅子に座った。正面に海が見えた。
 多くの人々がひっきりなしに行き来している。

 海鳥が鳴いている。
 夏島の最果て行きの帆船が、カンカンカンと鐘を鳴らして出航の合図をする。
 海の色は空の紺碧を映して、深く青い。レイの貴石のサファイアのようだった。
 海辺の喧騒が、なぜか心地いい。

 レイは氷菓を、クレスは小魚の揚げ物を食べ、そんな喧騒を聞きながらのんびりとすごした。
 行きかう人々は、黒い肌の人や、茶色の肌の人、そしてクレスたちのような肌の人が雑多に紛れていた。

 広場では、ちょろちょろっと黒いトカゲがレンガの壁を這っているのが見える。
 空には黄色や青、緑の鳥が鳴きながら飛びかっている。広場の隅では芸人に連れられた大きな赤い羽を持った鳥が、人の言葉をマネして観客をにぎわせていた。

「レイ、あれ、人の言葉をしゃべる鳥っているんだな」

 それを見たクレスが驚いてレイに言う。

「感激しているところに水を差すようだけど、あの鳥は言葉の意味は分かってないよ。ただ、口真似をしているんだ。鳥がね。同じことを何度も聞くと、同じ言葉をマネする。真似鳥なんだ」
「へえ!」

 色々なものを見て、聞いて、クレスはこの夏島という浮島がどんなところなのか、少しだけ分かったような気がした。



 陽は傾き、赤い光が差す時刻になった。ゆっくり歩いて夏神殿への道を帰る。

 この、夏島のあらゆるものをレイは護っているのだ。
 クレスは、ゆくゆくはこの世界の人間の長になる、自分に課せられた次期大神官という役職に、戸惑いしか感じられなかった。人間達を護って行く仕事に。
 しかし、レイは息をするように自然と夏島のすべてのものを護っている。

 クレスは純粋にレイを尊敬した。

 自分にはできない。
 いや、レイと同じことはできなくて当たりまえなのだろうけれど。
 そもそも、レイは人間では無いのだから。
 しかし、どこをとっても人間とそう変わりないように見えるレイが、この広大な夏島を護っているのだと思うと、クレスは自分も泣き言ばかり言ってはいられないと思った。  

 クレスは何気なくレイに今日、不思議に思ったことを聞いてみた。

「なあ、レイ。夏主っていうのは、夏島のあらゆる生命を守っているんだよな」
「まあ、そうだね」
「人間のせいで大量の魚とか家畜とか殺されてるけど、それは夏主としてどう思ってるんだ?」

 それを聞いてレイはふっと笑った。

「生き物が食べるために狩りや漁をするのは当たり前のことだ。それにそこは採り過ぎないように蒼神官が目を光らせているしね。将来の大神官はやっぱりそういう事が気になるところ?」

 大神官になる決意もないクレスには何もいえなかった。
 その代わりに己の気持ちを正直にレイに伝える。

「なあ、レイ。俺、大神官になるのが怖いんだ。大神官という役職がすごく重くて……」

 自然に口に出していた。

「知ってる」
「……え?」

 意外な言葉を聞いて、クレスは戸惑った。
 知っている? クレスが大神官になるのを嫌がっていることを?
 どういうことかとクレスはレイの顔をのぞいた。
 レイは苦笑いして言葉を続ける。

「大神官の跡取りは放蕩息子、という噂を聞いたことがある」
「~~~~」

 クレスは目を見開き、声にならない声を出した。

「クレスが大神官の息子だって知った時、意外だと思った。噂に聞くかぎり大神官の息子はもっとどうしようもないバカで、大神官はきっとその弟が継ぐのかと思ってた」

 真剣な顔でそんなことを言うレイの顔が、クレスには直視できず、思わず目をそらせてしまう。

「でも、クレスは性根が真面目で優しい。旅をしていて、生活の規則はきちんと守っていたし、私にもコハクにもサリちゃんにも優しかった。泥棒の件では正義感が強いとも思った。どうして大神官の放蕩息子をみんなが責めないのか、クレスを見ていて分かったような気がする。みんな、クレスが立ち直るのを待ってるんだ。今は迷っていい。迷って当然なんだよ。十七歳で世界は背負えない」

 クレスはレイの言葉に涙がこぼれそうになった。
 自分は自分の運命から逃げて、酒にまで手を出した。
 それでも、こうして自分を待っていてくれる。

「自分が守らなければならないものが詳しく分からないから、怖いんじゃないかな」

 レイはクレスに優しく諭した。
 クレスは涙が溜まった瞳を腕で強くこすると、叫んだ。

「ならば、俺、世界を見たい。俺の護る世界を!」

 大神官になることへの苦しみが少しでも薄らぐなら何でもやる、とクレスは思った。

「そう。じゃ、明日は一緒に秋島へ行こう。色々みせてあげる」

 レイはにこやかにクレスに答えた。


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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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