第12話 夏主

文字数 2,831文字

 コハクが船室にいない。
 不思議に思ったクレスは、船の中を探して回っていた。
 そして最後に行った帆船中央広場でレイと会ったクレスは、レイにもコハクのことを聞いてみた。

「コハクね。私のところに遊びにきていたよ」
「は…あ……?」

 意外な返事を聞かされ、驚いたクレスだ。

「あとでクレスの部屋へ帰そうかと思っていたんだ。今も私の部屋で寝てる」
「あ、っそうか。それならいいんだ。悪いな。部屋から出すと船員にうるさく言われるかもしれないから、気を付けていたんだ」

 コハクの件が分かったら、安心して急に腹が減ってきた。 
 朝に水を飲んだきり、今日は何も食べていない。

「レイ、昼飯食おうぜ」
「……、私は本当に食事はいらないのだけど……」
「いいから食え」

 遠慮しているだろうレイを制して、問答無用でクレスは断言する。
 いくらレイの身体が細くても、自分よりも身長のある彼が、自分より食べないでいられるわけがないと思う。

 売店で昨日と同じパンと牛乳を買うと、それを帆船中央広場の食卓へもってきた。そして、昨日のように備え付けの透明な器に牛乳をそそぎ、パンを二つに割る。
 片方をレイに渡した。
 レイは大事そうにそれを受け取ると、目元を緩ませてなめらかな声で礼を言う。

「ありがとう、クレス」
「いいって。気にすんな」
「明日の昼には船は夏島首都につく。そうしたら、お礼をするよ」
「だから、いいって。それよりも食え」

 わかった、と言ってレイは食事を始めた。
 クレスもそれを見て、パンにかじりついた。

「なあ、あの泥棒の件、結局お金は帰ってこなかったな。がっかりだ」
「そうだね。取ったお金は全部使ってしまったらしいから。泥棒らしいというか何というか」

 そう、泥棒はいま船の警備部の詰め所で拘束されている。夏島首都についたら、それ相応の牢屋へと入れられるだろう。
 そして、お金は一銭もクレスたちの元には返って来なかった。
 なので、クレスたちはまだひもじい食生活を続けているのだった。



 食事のあとクレスは、コハクを連れ戻すためにレイの部屋へ寄った。
 コハクはみゃあみゃあ鳴いてレイに身を摺り寄せている。

「お前、人懐っこいなあ。でもレイは命の恩人だから当然か」
「匂いで私の部屋に来ちゃったのだろうね」

 クレスはコハクを抱いて、それじゃあ、と扉に手をかけた。

「クレス」
「なんだ?」

 突然、何か真剣に名前を呼ばれ、クレスはレイを振り返った。

「ありがとう」
「……なんだよ、改まって」

 急に言われてクレスも戸惑う。

「べつに。それだけ言おうと思って」

 にこりと綺麗な笑顔を見せるレイが、何を考えているのかクレスには分からなかった。

「そうか……? じゃあな」

 クレスは不思議に思いながらレイの部屋を出たのだった。



 部屋に残ったレイは寝台に腰をかけて、少しのあいだ目をつむった。
 自分は食べ物を必要としない生き物だ。
 食べることはできるが、食べなくても生きていける。
 でも、それもなぜか言い出せなかった。
 自分が他の『人』とは違うことも。そして、クレスの食事を不必要に減らしてしまった自分を、少し後ろめたく思った。

 久しぶりに個人として他人の情に触れたレイは、クレスにとても好感を持った。

 瀕死だったコハクを放っておけないところも。
 自分が悪夢に襲われていたときに、『おまじない』をしてくれたところも。
 食事をわけてくれたところも。

 好感が持てる。
 クレスは天真爛漫で、優しくて、元気で、活力の塊みたいな少年だ。
 でもそれは、レイの心を鋭く貫く痛みをともなう『想い』を思いださせるのだった。



 カンカンカンと鐘が三回鳴った。
 次の日の昼、帆船は夏島の首都、キリブの港へとついた。
 船から続々と人が降りていく。
 夏島では、半分ほどの人が肌の色が濃い、とクレスは神官学校でならっていた。
 そのとおりで、肌の色が濃い人たちがいる。そして、半分はクレスのように肌の色が少しついた人々だった。色々な人達がいる浮島だ。
 港町では漁をする舟もでていた。
 帆船はこの夏島では三隻しかないらしい。クレスはレイにそう聞いていた。それが交代で運行している。

「よし、じゃあ、行くか」
「みゃー」

 コハクが返事をするように鳴いた。
 クレスはコハクを背嚢に隠して、桟橋を通って船を降りる。

 すると、サリとシーナ夫婦もクレスの横を通って行った。

「お兄ちゃんたち、こんどこそ、バイバイ! またどこかで会えるといいね!」
「ああ。サリちゃん、またどこかで、会えるといいな。元気でな」

 サリは手を振りながらシーナ夫婦と手を繋いで桟橋を陸の方へ歩いていく。
 それを見送ってクレスはゆったりと夏島の海を見渡し、空を見上げた。
 海は、灰色の空を映していた。
 本当に夏島の海は色が変わる。
 見上げた空は、何か雲行きが怪しくなってきている。
 さっきまで青い空だったのに。

「これから夕立があるよ、きっと」

 後ろを歩くレイが空を見上げながらつぶやく。

「夕立か。やっかいだな」
「私の家はこの街にあるし、ここからすぐだから、取り敢えずうちにおいでよ」
「え、でも……いいのか? それに、俺、宿もとってあるんだ」
「うちで雨宿りしてから、宿にいけばいい」

 近いらしいし、レイがいいと言っているなら、とクレスはそれに同意した。
 夏島の大通りをまっすぐ歩いていくと、そこには小高い丘に夏神殿がある。
 三階建ての建物の四隅に青い三角屋根の尖塔を四つ持ち、外壁は白で一階部分に波の彫刻があしらわれている。
 港から見るとその夏神殿は、小高い丘の上に建つ童話の中の城のようだった。

 港の喧騒を聞きながら、商店のならぶ大通りをまっすぐに歩いていく。
 ぽつりぽつりと雨が降り出してきた。
 レイは速足になり、夏神殿のある丘を登って行った。

「急ごう。本格的に降り出す前につきたい」
「ま、まてよ、このまま行ったら、夏神殿にいくんじゃないのか?」

 不安に思ったクレスはレイにそう聞いた。

「そうだよ。そこが私のうちだから」

 いま、凄いことを聞いた、とクレスは思った。

「え?」

 理解が追い付かずに聞き返す。

「夏神殿が私のうちなんだ」
「だってそれじゃあ……夏主(かしゅ)さまじゃないか……え?」

 夏島の夏主はレイファルナス様という。レイ、ファルナス?

「まさか、レイって……、夏主レイファルナス様!?」

 度肝を抜かれてクレスは叫んだ。

「そう、当たり。久しぶりに個人的に知り合った人間を、少しもてなしてみたくなった」

 レイはクレスの方へ振り返り、サファイアのような青い瞳をきらめかせて悪戯っぽく笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み