第5話 旅立ち (ウェルファー全景図掲載)
文字数 2,829文字
きのう家で確認した地図の通りに、クレスは高速長距離馬車の待合所へと向かっていた。
父、母、弟とはもう別れをすませ、意気揚々と出発だ。
服装は動きやすい旅装束だ。深緑色の短衣に脚衣、それに歩きやすい
昨日、初めにどの浮島へ行くか、考えた。
けれど、さほど悩まずにクレスは夏島に行こう、と思った。
いま、主島は真冬だ。そんな中、さらに寒い冬島に行くのは嫌だ。
秋島も捨てがたかったし、春島には行ったことがあった分、安心感があった。
クレスは秋島と春島と夏島ですこし迷った。
でも、いま行くのなら、暑いところがいい。
常夏の夏島。それが良い、と夏島に決めた。
ウェルファーの季節の浮島は、主島を中心に四季の順番で浮いている。そして、季主の守護する飛行船で主島と各となりの浮島をつないでいる。夏島なら、主島と、春島と、秋島に、三本の連絡飛行船が出ているのだ。
なので、クレスのいる主島首都ガルダから夏島に行くには、馬車で二日ほどかけて主島の端にある飛行船乗り場までいく。そして飛行船に乗り、夏島まで一日半の空の旅になる。
さらに夏島について夏神殿まで行くには、主島から行くと、広大な海を渡らなければならない。海をわたって港につくと、そこが夏神殿のある夏島首都、キリブという街なのだ。
主島首都ガルダのはずれまで馬車に短時間揺られ、その降車口あたりで長距離馬車の待合所についた。
木製の黒塗りの小屋で、中ではストーブがたかれている。
上に薬缶がのっていて、それがしゅんしゅんと白い湯気をたてていた。
ここでは首都の中央冷暖房装置の範囲外なのだ。
暖房が使えないのでストーブが使われ、窓には結露した水分がだいぶ溜まっていた。
クレスはそこの扉を引き開けると、中に入った。
むあっとした水蒸気を感じる。室内は暖かい。
「こんにちは」
一応、大きな声で挨拶をしてかるく頭をさげる。
中には三人の親子だろう人々と、もう一人、飛びぬけて綺麗な人が座っていた。
親子の方は十歳くらいの女の子とその母親、それに体格のいい父親だった。
そして、もう一人の人は、青い瞳で飴色の髪を三つ編みにして腰まで垂らしている。
やはりクレスのように旅装束で、耳には瞳の色と同じ、青い石のついた耳飾りをしていた。
肌はクレスと同じ色だが、とてもきめ細かい。そして、女性のように綺麗だけれど、化粧をしている訳でもないし、胸は平らだった。
そんな観察をしていると、待合所にいた親子の父親がクレスに握手を求めてきた。
「俺はシーナ。こっちは妻のマリーと娘のサリだ。よろしく」
クレスは咄嗟に握手に応じ、よろしくと返した。
彼(か)の人もクレスに手を伸ばして握手を求めた。
「私はレイ。これから夏島までよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします。俺はクレスだ。……レイさんも夏島に行くのか」
「ああ。というか、ここにいる人はおおむね夏島に行くのだと思うけどね」
レイと名乗った青年は微笑んで、きゅっとクレスと握手をする。
そして、背を黒塗りの壁につけて、両手を組んだ膝の上にのせた。
「そうなのか? 途中下車する人とかもいると思ったんだけど」
『夏島行きの飛行船乗り場行き』直行の馬車だが、この馬車は大きな宿場町を経由する。その際に用事のある者も少なからずいるのでは、とクレスは思ったのだ。
「さっき、シーナさんとも少し話したけど、彼らも夏島へ行くんだそうだ。それにここから出る馬車は直行馬車だしね」
「そうか」
クレスは納得した。
それにしてもこのレイという人物は、声も中性的だとクレスは思った。
何にもまして、仕種が優美である。
神殿関係者かな、とクレスは思った。
ウェルファーの上流階級というのは、主に高位の神官のことを言う。
だから、それ相応の教育を受けた上流階級の者ならば、神殿関係者が多い。
似合わないがクレスもその一人だった。
クレスはレイの隣に座って、馬車が来るのを待った。
馬車は六人乗りで、予約が必要だった。クレスは事前に自分で予約券を買っておいたので、その乗車券を握りしめて馬車を待つ。
「ねえ、君」
しばらく馬車を待っていると、隣から声を掛けられた。
「なんですか、レイさん」
顔をレイの方へ向ける。
見惚れてしまうような美しい人に声を掛けられて、クレスは少し戸惑ってしまう。
「レイでいいよ」
「じゃあ、俺のこともクレスって呼んでくれ。俺、君って呼ばれるの、慣れてないから」
「クレスの荷物はそれだけなの?」
純粋な疑問だというように、レイは心配そうにクレスの荷物を見た。
クレスの荷物は、
お金とハンカチと紙と水筒、あと地図くらいしか入ってない。
「現地で必要なものは送ってあるから。だからあんまり必要ないと思って」
「そう……。でも今は真冬だよ。馬車で寝るときの毛布とか、入ってるの?」
「も、毛布? 馬車の中で寝るのか?」
初めて知った事実に、クレスは少し慌てる。
「そうだよ。馬車に乗ると一度宿場町で食事休憩になるけど、その後は夜通しに馬車は走り続ける。宿場町で馬を取り替えるからね。そうやって走り通して、二日でこの主島のはし、飛行船乗り場に着くんだよ」
「……そうか……」
「夜の馬車は冷えるよ?」
少しクレスの顔は蒼くなった。馬車の中で寝る。考えれば当たり前のような気がしてきた。
何のための高速長距離馬車なのだ。馬を取り替えながら、最速で主島のはしまで行くのだ。
宿場町で呑気に寝台の上で寝るのではない。
クレスの沈黙の意味を理解したレイは、親切心で彼に教えた。
「ああ、毛布がなくても宿場町で買えるよ」
「そ、そうか! 良かった! 凍え死ぬかと思った……」
安心した表情のクレスにレイは苦笑する。
そのとき、待合所の扉が開かれた。
黒い制服と帽子の、壮年の男性御者が、待合所の中に入ってきたのだ。
そして間延びした胴間声を張り上げた。
「これより夏島飛行船乗り場行き、高速長距離馬車が出ます~。お客さんたち、馬車に乗ってください~」
レイがクレスを見て席をたった。
「出発だそうだよ」
「ああ」
レイに促され、クレスも席をたつと、レイの背はとても高かった。
クレスの顔がレイの首あたりなのだ。
扉を開けると、茶色の馬が四頭、白い息を吐いていた。
黒塗りの六人乗り馬車が、光りを反射してそこにあった。