第6話 コハク

文字数 3,202文字

 馬車には一番前にシーナが乗った。大柄な彼が乗ると一列目の座席にはもう人は乗れなかった。
 二列目に妻のマリーと娘のサリ、三列目にクレスとレイが乗った。
 馬車の中は厚い赤色の敷物があり、乗り心地も悪くない。
 馬車に乗り込んだクレスは、宿場町につくまで、何気なくレイに話しかけてみた。

「なあ、レイ。レイは何しに夏島まで行くんだ」

 世間話ていどの話題である。
 レイは少しびっくりしたようにクレスを見ると、何か緊張している様子で話し出した。

「ああ。私はね、帰るところなんだ。私は夏島生まれだから」
「へえ。夏島ってどんなところ? 俺まだ一度も行ったことがないんだよ」
「綺麗で雑多なところ、かな。夏島の首都、キリブは原色の大きな花がたくさん咲いていて、人々は市なんかをたててがやがやと買い物をしている。中央に夏神殿を構えていて、正面は海に面しているんだ」

 そこでクレスはほうっと息をついた。

「海……」
「海はみたことない?」

 レイがそう言ったので、クレスは素直にうなずいた。

「見たことないな。海って大きいんだよな」
「大きいね。主島からだと夏島は、海を渡って行かないと人のすむ場所まで行けないから、嫌でも見ることになると思うよ。夏島の海は七色に光って、とても綺麗だ」
「七色に光る?」
「夏島の海は時間と天気で色が変わる」
「へえ……」

 クレスはまだ見ぬ夏島の海を眺めることが楽しみになってきて、自然と顔がほころんだ。



 昼頃に出発した馬車は、夜になり宿場町へとついた。
 主島の中心と端の中程にあるこの宿場町は、宿泊施設もかねた大きな街だった。
 食事もとれるし、買い物もできる。
 クレスは売店で牛乳とサンドウィッチを買い、旅用の薄型毛布も購入した。
 これで夜中に馬車で寝ても寒くない。

 毛布は背嚢へ入れておいた。そして、宿場町の広場にある長いすで、サンドウィッチを食べる。
 すると、クレスの後ろからみゃーお、と何かの鳴き声が聞こえた。

 そちらを見ると腹を空かせているのか、よたよたとした足取りの茶色の仔ネコが、とぼとぼと歩いてくる。毛並みは綺麗だし、身体はとても小さい。飼い猫だったのを捨てられたような感じだ。大方、子供を産んだ親猫の飼い主が、仔ネコを捨てたのだろう。

 仔ネコは、クレスに身をすり寄せると、またみゃーおと鳴いた。
 何か物欲しげにサンドウィッチを見ている仔ネコに、クレスは溜息を一つつく。

「分かったよ。少しやる」

 サンドウィッチをちぎって牛乳に浸し、それを仔ネコの口もとへ置いた。
 すると仔ネコは少し匂いをかいで、ばくりとそれを食べはじめる。

「うまいか?」
「みゃーおん」

 もっとくれ、と催促するように身をすり寄せる仔ネコに、クレスはまた同じようにして食事を与える。
 気がついたときには、手の中のサンドウィッチはもう無くなってしまっていた。

「また買うか。お前も腹いっぱいになっただろ。じゃあな」
「みゃお!」

 長いすをたったクレスの声に驚いたような返事をした。
 仔ネコは、歩き出したクレスのあとをついて来たのだった。

 そうとは知らず、食堂に入ったクレスは、店のおばさんに動物を連れて入るな、と怒られた。そこで初めて自分についてきた仔ネコに気がついて、クレスは困った。
 抱き上げると、仔ネコはみゃおみゃお鳴いてクレスの顔を舐める。


 この仔ネコのせいで、食堂に入れない。
 仕方がないのでまたサンドウィッチを買って、それをさっきの長いすで食べた。

 食べ終わったころには馬車の集合時間になっていたので、クレスは馬車乗り場まで急いだ。

 宿場町を出発予定のクレスたちの馬車は、御者によって馬が替えられたようだ。寒さで白い息を吐きだす馬たちは、陽の落ちた暗がりでも力強く見えた。

 馬車まで来ても、さっきの仔ネコはクレスのあとを着いてきた。
 いま、クレスが見捨てたら明日には死んでしまいそうな弱い仔ネコだ。だから、クレスは御者に伺いをたてた。

「困ったな。なあ、このネコ、一緒に連れてってもいいか?」

 すると御者は仔ネコをみとめ、眉を寄せる。

「原則的に禁止だ! けど、一緒に乗るお客さんがいいっていうなら、別にかまわねえよ」

 御者はぶっきらぼうに胴間声を張り上げた。
 御者がそういうなら、とクレスはシーナ親子とレイに伺いをたててみる。
 シーナ親子はべつに構わない、といった。
 レイもいいよ、と言ってくれたので、クレスはこの仔ネコを連れて行くことにした。
 なによりも弱々しいこの仔ネコを、放っておけなかったから。

 今にも死んでしまいそうなほど、衰弱しているように見える。
 さっき食べ物を与えたから、明日には元気になっていればいいと思った。
 仔ネコを抱き上げて馬車に乗り込む。隣のレイがクレスの膝にのる仔ネコを覗いて聞いた。

「ねえ、その子に名前はないの?」
「えーと、名前、ね。何か良いのないかな」

 名前が思いつかず、そう聞いてみる。

「茶色の仔ネコ、ね。良いのないかなって、私が名前をつけてもいいの?」
「ああ。俺、ネコの名前とか良くわからないし」
「そんなに構えなくてもいいと思うけどね」

 するとレイは少し考えた。

「コハクはどうだろう」
「コハク? どういう意味?」
「茶色の宝石の名前さ。その子、毛並みが茶色でしょう?」

 レイはコハクの喉元を指で撫でた。
 すると、コハクはごろごろと喉を鳴らして喜んでいる。

「お前の名前は今日からコハクだ」

 クレスがコハクを抱き上げると、コハクはまたみゃお、と鳴いてクレスの鼻の頭を舐めた。

 シーナ親子の娘、サリが前の座席から顔をクレスの方へとのぞかせる。

「かわいいね。お兄ちゃん、その猫、コハクって名前になったの?」

 可愛らしい女の子に話しかけられ、クレスはにこりと笑って「ああ」と返事をした。

 娘がクレスに話しかけたことで、妻のマリーも笑顔になる。
 一番前に座ったシーナも猫は嫌いじゃないらしい。

「コハクか。いい名前じゃないか。宝石の名前なんて、上等だな」

 がはは、と笑ってシーナは毛布を物入れから出した。

「さあ、サリ、もう寝るぞ。明日にそなえてな」
「はーい、お父さん。じゃあね、クレスお兄ちゃん。あたしももう寝る」

 仲のいい親子の会話を聞いて、クレスは微笑ましくなる。

「お休み、サリちゃん。また明日」
「お休み、お兄ちゃんたちも」

 そう言ってサリはクレスとレイに先ほどのようににこりと笑うと、毛布にくるまって目をつむった。

 サリが目をつむって寝入ると、レイがクレスに向いて言う。

「お人よし、なのかな」
「え……?」
「コハクが死んでしまったら、君はどうするの?」

 不吉なことを言われ、クレスは一瞬口ごもった。
 しかし、すぐに返事を返した。

「少しだけ馬車を停めてもらって、街道の脇に埋めさせてもらう」
「君は旅の途中なんでしょう? どうしてそんな面倒事を……。動物を飼うのは大変だよ?」
「そうだけど……放っておけなかったから。俺から離れないし、とても寂しそうに鳴いていたから」

 クレスも先ほど買った毛布を物入れから出した。

「俺ももう寝る。お休み、レイ。それと俺のことは君って言うな。クレスでいい」
「……分かった」

 小さくまとまっている毛布は、広げるとかなり大きくなり、身を包むととても暖かい。
 クレスは仔ネコと一緒にそれにくるまると、馬車の中で眠りについた。



 痛いくらいの日差しが肌を焼く
 空は真っ青に晴れ渡り、真っ白な積乱雲が目にまぶしい
 原色の花々
 深い木々の青
 主島の夏よりも、もっと夏らしい
 見た事が無い『夏』の浮島

 ああ、夢を見ているんだ、とクレスは思った。そう意識した途端、頭の中で焦点をあわせていた『夏』のくにはぼやけてしまった。

 もう少し、ここにいさせて。
 活気溢れる『夏』を感じていたい。

 そう思った瞬間にまた夢は焦点を結び始めた。クレスはまた、深く眠りにつき、真冬の主島で不思議な夏の夢を見た。
 
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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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