呼ばれない名

文字数 1,604文字

「ああ、蒼神官。入ってもいいよ」

 レイの言葉を聞いてルミレラ蒼神官が室内に入ってくる。
 褐色の肌に黒髪、黒目の大きい彼女は、青い神官服を着た三十歳になったばかりの女性だった。

「クレスさん、夕食を召し上がっていきますか? どういたしましょうか」
「いや、いま氷菓を食べたばかりだから。今日は帰ります、ルミレラ蒼神官」

 そう言うとクレスは席を立とうとした。

「帰るなら私もいま支度をしてくるから、ここで待っていて」

 レイはクレスを制して自分が席を立つ。
 クレスを主島へ帰すために、レイは夏神殿内の林にある『季主の道』でクレスを送る用意をしなければならない。季主の道は季主しか使えないので、レイはわざわざクレスを主島の大神殿まで送るのだ。

「ああ、そうだったな。分かった、待ってる」

 クレスが返事をすると、レイは自分の私室から出ていった。
 きっと聖殿の奥にある、貴石のある部屋へ行くのだろう。
 クレスを主島へ送るために夏島を離れるから、夏島を護る貴石へ季主の力を移すために。

 ルミレラ蒼神官と二人になったクレスは、ぶしつけかと思いながらも、さっきのことを聞いてみた。

「ルミレラ蒼神官。あのさ……」
「なんですか、クレスさん」
「レイって……ルミレラ蒼神官の名前を呼んだこと、ありますか?」

 そう聞くと、ルミレラ蒼神官の顔はわずかにこわばったように見えた。
 それはわずかな変化だったけれど。

 そして、あきらめたような笑顔を見せた。

「いいえ、一度もありません」

 その声は悲しそうで、切なそうにクレスには聞こえた。
 実際のルミレラ蒼神官はいつも通りの顔だったけれど。
 クレスは、どうしてレイはルミレラ蒼神官の名前を呼ばないのだろうと、不思議に思った。
 名前を呼ばない、というのは、とても失礼だ。

「一度もないんですか? どうして?」
「分かりません。たいてい、『君』か、『蒼神官』と呼ばれますね。思うに……レイファルナス様は、私ととても距離を取りたがっているように見受けられます」

 たんたんとルミレラ蒼神官は言う。

 距離を取りたがっている……。
 そういえば、レイは三十年ほど前の蒼神官と恋仲だった。
 もう亡くなってしまった彼女の影が、蒼神官という役職について回っているのだろうか。

「でも……それでもルミレラ蒼神官に失礼ですよ」
「もう慣れました。それに、レイファルナス様には何か深い考えがあるのかもしれないですし」

 彼女は笑う。
 
 季主とその筆頭神官の距離感。
 それは、他のものが口をだす類のものではないだろう。
 
 でも、クレスは何かモヤモヤとしたものが胸の奥に残ってしまっていた。

 そのうちにレイがクレスとルミレラ蒼神官のもとへ帰ってくると、夏神殿前の林にある季主の道までルミレラ蒼神官は送ってくれた。

 レイはクレスを主島に送るために、季主の道を開く。
 片手を扉の前で振りかざすと、取っ手を回して二人は内部へと入った。
 洞窟のような道は、サファイアのような青い光を放つ石が周りを覆っている。いつも通りの光景だ。そして、少し進むと周りは深緑色の石に変わって行く。主島の象徴色である深緑色は大地の緑の色だ。この色になると、もう主島についている。

「大神殿前の季主の道の扉にでるけど、主島は真冬の夜だし、きっとすごく寒いよ」

 先に行くレイが言う。

「ああ。そうだな……」

 うつむき加減に返事をしたクレスを、レイはいぶかしく思った。

「クレス? どうしたの? なんだか……不機嫌そう」
「いや……別になんでもない」

 レイに鋭く見抜かれて、クレスは少しきまり悪く返事をした。
 
 レイは俺の名前だってちゃんと言うのに。
 なんでルミレラ蒼神官の名前だけ、言わないんだろう。
 でも、きっとレイにも何か考えがあるんだろう。
 俺が口出しすることじゃないんだ。

 そう思いなおして、余計なことを言わない為に口を閉じる。

 クレスはルミレラ蒼神官が、気の毒に思えた。
  
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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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