出逢いは一期一会
文字数 2,170文字
「マデさんの料理は最高ですね。美味しかった、ありがとう」
レイは礼儀正しく民宿のおかみのマデに礼を言った。
「俺も、美味しかったです。ココナッツの料理って初めて食べました」
クレスもレイにならってマデに礼を言った。
「ありがとな。こっちも景気よく食べてくれて気持ちがいいよ」
マデはにこやかに言うと、大きな葉の皿を片付けはじめた。
二人は離れの食堂から宿泊先まで戻り、寝台に寝転がって人心地つく。
見上げるとヤシの葉の天井には、やっぱりヤモリが這っていた。
「なんか……夏島って野性的なとこだよな」
「そうだね。そこがいいところなのだけど」
ロウソクの灯火が寝台の横の台と窓際にある台で揺れている。寝台の横では小さな羽虫が光に吸い寄せられていて、窓にはさっきより多くの大きな蛾がガラスに阻まれながらもつどっていた。
クレスはさっきの食事の様子を思い出して、レイがおかみのマデの名前をきちんと呼んでいたことに気がついた。君、とは言っていなかったと。
クレスには分からない基準で、レイは名前を呼ぶ人と呼ばない人がいるのだ。
それに気が付くと、クレスはレイにそのことを聞きたくなった。
「なあ、レイ」
「なに?」
「ちょっと……込み入ったことを聞くかもしれないけど……」
「ああ。なに?」
「レイってどうして名前を呼ぶ人と呼ばない人がいるんだ? さっきのマデさんはちゃんと名前で呼んでたのに、ルミレラ蒼神官は名前で呼ばないよな」
灯火だけの薄闇の中、寝転がりながら真剣な目でクレスは隣の寝台のレイの瞳を見た。
レイは少し固まったようだった。
そして、ふっとクレスから瞳をそらす。
「答えて欲しい?」
「ああ」
答えづらそうなのは百も承知なのだけど、クレスは聞きたいと思った。
「旅で出会った人とは……もう、きっと一生出会わないから。蒼神官は……私の近くにいすぎるから」
クレスはいまいち、今の言葉の意味が分からなかった。
「どうして一生出会わない人は名前を呼ぶのに、ルミレラ蒼神官は駄目なんだ? 近くにいすぎる?」
レイはふっと大きく息を吐いて、身体を起こして寝台へ腰をかけた。クレスも姿勢を正して寝台へ腰かける。レイから発せられる言葉を待って。
「私はあまり『人間』と深く関わりたくないんだ。たった一度の出会いなら別だけれど、長く付き合う相手との別れはつらいから。特に蒼神官は私の近くにいすぎる。距離を取りたいんだ」
「あ……」
クレスはレイの気持ちを理解した。人と深く関わると、別れがつらい……長く生きる季主につきまとう、こころの問題だ。
「でも……それって寂しくないか? 両方とも。レイもルミレラ蒼神官も」
「私たちは、今までこれでやってきた」
顔をあげたレイの瞳は、強い光を放っていた。
「でも……ルミレラ蒼神官に失礼だと思う」
「……!」
レイの眉尻が少し上がった。
穏やかな彼らしくない、怒った表情を見て、クレスは少しうろたえる。
「クレスには分からない、私の気持ちなんて。クレスだって私を残して逝ってしまうじゃないか」
「レイ……」
「ルミレラだってそうだ。私はそれが怖いんだ……!」
レイは初めてクレスに己の心をぶつけた。ずっと心の奥にくすぶっていた感情を。
怖いのだと。
眉を寄せて叫んだレイに、クレスは穏やかにある話をしだした。
「なあ、レイ。この夏島の昔話で『蝶は舞い戻る』って話、知ってるか?」
クレスはつい最近読んだ夏島の昔話を思い出した。
この話を読んだとき、レイを思い出したことも。
死んでさえも蝶になって恋しい人のもとへと舞い戻る。
そういう昔話だった。
「知っている……夏島の昔話や伝承はだいたいね。それが何か関係あるの?」
急にクレスが別のことを言い出したので、レイは戸惑った。
「その話で、生まれ変わりってあるだろ? 俺、あの話を読んだとき、レイを思い出したんだ。俺、もし叶うなら、死んだあと、生まれ変わってレイのところへ戻りたいって」
クレスは寝台から立ち上がり、レイのもとへ行って片手を彼の頬にあてた。
しかしレイは頑なにクレスから顔をそらす。
「そんな力はこの世界に存在しない。生まれ変わりの思想は人間の作った夢だ。創造主と私たち季主に及ばない力なんて、ない。だから、信じられない」
レイの考えにも一理あるな、と思いながらもクレスは続けた。
「でもレイの知らないことだってあるかもしれないだろ? 信じてみろよ」
「信じたら何かが変わるの?」
不貞腐 れたようなレイの言葉にクレスは優しく諭した。
「そうすれば、心が楽になる。俺が死んでも、きっとどこかに戻ってきていてレイを見てるって」
「……どうしてそこまで名前を呼ぶことにこだわるの?」
レイはクレスを見上げた。するとクレスはレイの顔を両手で包みこむ。
「レイが人間の中で暮らすなら、俺はレイに人並に人を愛して欲しいと思うから。その方がレイのこころが楽しくなると思うから。名前を呼ぶのは人と人との関係の基本だ」
「私は人じゃない。人間じゃない」
「そんなことは関係ないんだよ」
何を言われているのか、レイは理解している。
人の中で暮らすなら、もっと人を愛して欲しい。
クレスはそう言う。
レイが言ったように、人と関わりたくない、というのではなく。
レイは、自分とは正反対のクレスの考え方に、とても困惑していた。
レイは礼儀正しく民宿のおかみのマデに礼を言った。
「俺も、美味しかったです。ココナッツの料理って初めて食べました」
クレスもレイにならってマデに礼を言った。
「ありがとな。こっちも景気よく食べてくれて気持ちがいいよ」
マデはにこやかに言うと、大きな葉の皿を片付けはじめた。
二人は離れの食堂から宿泊先まで戻り、寝台に寝転がって人心地つく。
見上げるとヤシの葉の天井には、やっぱりヤモリが這っていた。
「なんか……夏島って野性的なとこだよな」
「そうだね。そこがいいところなのだけど」
ロウソクの灯火が寝台の横の台と窓際にある台で揺れている。寝台の横では小さな羽虫が光に吸い寄せられていて、窓にはさっきより多くの大きな蛾がガラスに阻まれながらもつどっていた。
クレスはさっきの食事の様子を思い出して、レイがおかみのマデの名前をきちんと呼んでいたことに気がついた。君、とは言っていなかったと。
クレスには分からない基準で、レイは名前を呼ぶ人と呼ばない人がいるのだ。
それに気が付くと、クレスはレイにそのことを聞きたくなった。
「なあ、レイ」
「なに?」
「ちょっと……込み入ったことを聞くかもしれないけど……」
「ああ。なに?」
「レイってどうして名前を呼ぶ人と呼ばない人がいるんだ? さっきのマデさんはちゃんと名前で呼んでたのに、ルミレラ蒼神官は名前で呼ばないよな」
灯火だけの薄闇の中、寝転がりながら真剣な目でクレスは隣の寝台のレイの瞳を見た。
レイは少し固まったようだった。
そして、ふっとクレスから瞳をそらす。
「答えて欲しい?」
「ああ」
答えづらそうなのは百も承知なのだけど、クレスは聞きたいと思った。
「旅で出会った人とは……もう、きっと一生出会わないから。蒼神官は……私の近くにいすぎるから」
クレスはいまいち、今の言葉の意味が分からなかった。
「どうして一生出会わない人は名前を呼ぶのに、ルミレラ蒼神官は駄目なんだ? 近くにいすぎる?」
レイはふっと大きく息を吐いて、身体を起こして寝台へ腰をかけた。クレスも姿勢を正して寝台へ腰かける。レイから発せられる言葉を待って。
「私はあまり『人間』と深く関わりたくないんだ。たった一度の出会いなら別だけれど、長く付き合う相手との別れはつらいから。特に蒼神官は私の近くにいすぎる。距離を取りたいんだ」
「あ……」
クレスはレイの気持ちを理解した。人と深く関わると、別れがつらい……長く生きる季主につきまとう、こころの問題だ。
「でも……それって寂しくないか? 両方とも。レイもルミレラ蒼神官も」
「私たちは、今までこれでやってきた」
顔をあげたレイの瞳は、強い光を放っていた。
「でも……ルミレラ蒼神官に失礼だと思う」
「……!」
レイの眉尻が少し上がった。
穏やかな彼らしくない、怒った表情を見て、クレスは少しうろたえる。
「クレスには分からない、私の気持ちなんて。クレスだって私を残して逝ってしまうじゃないか」
「レイ……」
「ルミレラだってそうだ。私はそれが怖いんだ……!」
レイは初めてクレスに己の心をぶつけた。ずっと心の奥にくすぶっていた感情を。
怖いのだと。
眉を寄せて叫んだレイに、クレスは穏やかにある話をしだした。
「なあ、レイ。この夏島の昔話で『蝶は舞い戻る』って話、知ってるか?」
クレスはつい最近読んだ夏島の昔話を思い出した。
この話を読んだとき、レイを思い出したことも。
死んでさえも蝶になって恋しい人のもとへと舞い戻る。
そういう昔話だった。
「知っている……夏島の昔話や伝承はだいたいね。それが何か関係あるの?」
急にクレスが別のことを言い出したので、レイは戸惑った。
「その話で、生まれ変わりってあるだろ? 俺、あの話を読んだとき、レイを思い出したんだ。俺、もし叶うなら、死んだあと、生まれ変わってレイのところへ戻りたいって」
クレスは寝台から立ち上がり、レイのもとへ行って片手を彼の頬にあてた。
しかしレイは頑なにクレスから顔をそらす。
「そんな力はこの世界に存在しない。生まれ変わりの思想は人間の作った夢だ。創造主と私たち季主に及ばない力なんて、ない。だから、信じられない」
レイの考えにも一理あるな、と思いながらもクレスは続けた。
「でもレイの知らないことだってあるかもしれないだろ? 信じてみろよ」
「信じたら何かが変わるの?」
「そうすれば、心が楽になる。俺が死んでも、きっとどこかに戻ってきていてレイを見てるって」
「……どうしてそこまで名前を呼ぶことにこだわるの?」
レイはクレスを見上げた。するとクレスはレイの顔を両手で包みこむ。
「レイが人間の中で暮らすなら、俺はレイに人並に人を愛して欲しいと思うから。その方がレイのこころが楽しくなると思うから。名前を呼ぶのは人と人との関係の基本だ」
「私は人じゃない。人間じゃない」
「そんなことは関係ないんだよ」
何を言われているのか、レイは理解している。
人の中で暮らすなら、もっと人を愛して欲しい。
クレスはそう言う。
レイが言ったように、人と関わりたくない、というのではなく。
レイは、自分とは正反対のクレスの考え方に、とても困惑していた。