第7話 瀕死の仔猫

文字数 2,667文字

 がたがたと馬車に揺られ、クレスは目をあけた。
 窓から見える青い空が目に入る。
 クレスが起きたことにより、膝の上にある熱の塊が身じろいだ。

「コハク、おはよう」

 優しく声を掛ければ、コハクは小さな弱々しい声でみゃおと鳴いた。

「なんか元気がないな」

 クレスはコハクを抱いてみた。何かぐったりしているように見える。
 元から元気のなかった仔ネコだが、さらに具合が悪そうだ。
 コハクはさっき鳴いたきり、もう鳴かなかった。

 隣のレイも起きだして、クレスの方を見た。

「クレス、おはよう」
「おはよう、レイ。なあ、なんかコハクの様子が変なんだ」
「コハク? ああ、あの仔ネコか。どう変なの?」

 レイは目をこすって狭い馬車の中でできるだけ身体を伸ばした。

「なんか、元気がない」

 レイと会話をしたことで、前の座席のサリも起きだした。

「お兄ちゃん、コハク元気ないの?」
「うん……。困ったな」

 サリも心配そうにクレスの胸に抱かれているコハクの顔を見た。
 レイもクレスの腕の中のコハクを見る。

「ちょっと私に診させてくれる?」
「あ、ああ」

 レイはコハクを抱き上げ、自分の膝の上に置く。
 ぐったりしているコハクの瞳を見て、何度かコハクの身体を撫でた。

「レイお兄ちゃん、コハク、元気にならない?」
 
 サリの心配そうな顔を見て、レイの顔も困っていた。
 しかし、すぐにサリに笑顔を向ける。

「大丈夫だと思う」

 そしてクレスの方へ向いた。

「これから朝食休憩でまた宿場町に入る。その間、コハクを私に預けてくれないかな」
「え、でも何するんだ?」
「ははっ、取って食うわけじゃないんだから。焦らなくても大丈夫。心配なのは分かるけど、私に少し任せてくれる? そうしたら少しは元気になると思うんだ」

 レイは白くて細い指で愛おし気にコハクの背を撫でた。
 コハクは気持ちよさそうに目を細める。
 その様子を見て、クレスはレイを信用することにした。

「……わかった。そう言うんなら、レイに預ける」
「信用してくれて、ありがとう」

 馬車はまた朝食休憩と馬を取り替えるために、大きな宿場町へと入って行った。



 この宿場町は、平屋の店が立ち並び、旅館なども多い街だった。
 クレスはコハクの為に、仔ネコ用の乾燥した餌を買っておいた。日持ちのするもので、飛行船の中でも食べていけそうな餌だ。ネコのトイレにする手頃な箱も買い、砂も集めておいた。明日には飛行船に乗っている予定なので、そのときのことも考えての買い物だった。

 そして、宿場町の食堂で適当に軽食をとって、そこの湯屋で風呂にも入った。
 さっぱりと洗って出てくると、もう馬車の出発時間になっている。クレスはまた高速長距離馬車の待合所へと向かった。

 そこにはすでにレイが来ていた。
 クレスが近づくと、レイの腕の中からコハクが勢いよく駆けてくる。

「みゃーお!」

 力強く鳴いて、クレスの足に身体を摺り寄せた。

「コハク!」

 さっきとのあまりの違いに、クレスはあっけにとられた。
 コハクを抱きあげて胸に抱くと、レイのもとへと向かう。

「レイ、コハクのヤツ、すごく元気になったな。どうやったんだ?」

 喜色満面なクレスにレイは「内緒だよ」と言った。

「レイって獣医か何かなのか?」
「違うけど、今回はちょっとそんな感じかな」

 苦笑気味にレイは応える。

 一緒に馬車を待っていたサリも大喜びだ。

「レイお兄ちゃん、すごい! コハク本当に元気になったよ!」
 
 にこにことレイを見てそう言うと、クレスの腕の中のコハクの喉を撫でている。

「本当にすごい。コハクが元気になって良かった!」

 クレスも手放しに喜んだ。

「応急処置だけど……ね」

 レイは少し遠慮気味に二人に微笑んだ。

「なあ、そういえばレイってどんな仕事してるんだ?」

 コハクを腕に抱きながらクレスはレイにきく。
 その質問にレイは少し意表を突かれたようだった。
 それでもさらりと返す。

「神殿関係の仕事」
「あ、俺もそうなんだ! やっぱりな、そうじゃないかと思ってたんだ」

 コハクが元気になったことでクレスは舞い上がっていた。
 特に動物が好きなわけではなかったが、旅の道連れという感じでコハクは縁あってクレスになついてきたのだ。寂しく鳴いていたコハクが可哀そうでコハクを連れてきてしまったけれど、元気になって良かった、とクレスは思う。
 クレスはレイに感謝と尊敬を覚え、コハクを抱きしめた。

「レイ、ありがとうな。昨日のレイの言葉じゃないけど、このままコハクが死んじゃうかもしれないって思った」
「あたしもそう思った!」

 サリも一緒にそういう。
 レイがどんな風にコハクを元気づけてくれたのかは分からないけれど、クレスは本当にありがたかった。

 そんなクレスを見て、レイは少し寂し気にほほ笑んだ。



 昼にまた宿場町で休み、夜にも休み、そこからまた馬を替えて、馬車を飛ばして夏島行きの飛行船乗り場まで行く。

 また夜の馬車の中で揺られながら、クレスたちは眠りについた。
 そして。

 馬車がきしみをあげて止まった。
 そのころには夜を抜けて陽が出て朝になっていた。
 主島の最果てにある、飛行船乗り場まで着いたのだった。

 この主島は空に浮かんでいる。 
 それは、この島自体が証明していた。
 主島の最果てでは、創造主リアスによる結界が切れているところを境に、大地は線を引いたように黒い砂になっていた。そして、その砂を飲み込むように、厚い灰色の雲が果てしなく続いている。
 四年前に春島に行くときに見た光景を思い出す。
 その結界にめり込むようにして大きな白い飛行船がとまっていた。

 飛行船の奥、灰色の雲の上に、夏島らしき影が見える。
 それは、遠目に見ても大地を切り取ったような大きな(かたまり)で、主島のように夏主(かしゅ)による結界がその浮島を丸く覆っているのが見えた。

 そういえばこの飛行船は夏主の庇護を受けて飛んでいるという。
 クレスは馬車から降りると、目の前のこの光景に大きく息を吸った。
 これから乗り込む飛行船の後ろに見える、世界。

「これが……主島の最果てか……! そしてあれが夏島(なつとう)……!」

 このウェルファーという世界の実態を見たクレスだった。

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登場人物紹介

クレス・クレウリー


この世界の最重要職である大神官の息子であり跡取り。

しかし、彼はあまりに重い自分の運命に向き合えずにいる。

レイ


クレスが季節の浮島をめぐる旅の途中で知り合った、とても美しい青年。

基本的に穏やかで、笛が得意。とても中性的な人物。

クレスよりも頭一つ分背が高い。

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