第11話 どろぼう
文字数 3,417文字
その日の夕食は、とても質素なものとなった。
帆船中央広場の食卓では、レイの言っていた美味しそうなスープを飲んでいる人がいる。肉や魚のいい香りもした。
しかし、クレスとレイは一つのパンと一本の牛乳を分け合って食べて飲んでいた。
「クレス、私の分はいらないから、クレスだけで食べてよ」
レイは遠慮しているのか、食べようとしない。だから、クレスはレイが食べやすいように二つの器に牛乳を分けて、自分とレイの前へと置いた。そして、一番安くて大きいパンを割って、その半分をレイの前へとおく。
「いいから、食え。こんなに暑いんだ、食べなきゃ倒れるぜ」
それでもしぶるレイをしかりつけてパンを食べさせる。
レイは全財産を取られてしまっていた。
そこへ、馬車で一緒だったサリが通りかかった。
「あ、クレスお兄ちゃんとレイお兄ちゃん!」
相変らず可愛らしい声でクレスたちに声を掛けた。
「あ、ああ、サリちゃん」
「お兄ちゃんたちも夕ごはん食べてるの? あたしも今食べてきたの。子牛のビーフシチューがとーっても美味しかった!」
満面の笑みで言われ、クレスの頭においしそうなビーフシチューが浮かぶ。
「美味しそうだね……」
しかし、今時点でクレスにもレイにも食べることができない代物だった。
先ほどまで、もしゃもしゃと堅いパンを喉に流し込んで食べていたクレスたちには、豪華すぎて涙が出そうな料理だ。
改めて犯人に殺意が湧く。
食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「お兄ちゃんたちにもおススメだよ!」
「……ありがとう。あとで食べてみるよ」
当たり障りなくサリにそう言うと、サリは両親に呼ばれて自室の方へと去って行った。
「なあ、レイ」
「なに? クレス」
「俺は犯人が許せん……」
半眼になった目がその心境を語っていた。
「気持ちは痛いほどわかるよ」
「だから犯人を捕まえたい。レイは部屋に鍵をかけてから出たんだよな」
「そうだよ。当たり前じゃないか」
「……誰か部屋にきた人とかはいなかったのか? 例えばそいつが……ん?」
クレスの言葉にレイはハッとして勢いよく頭をあげた。
「来たよ、部屋に。具合の悪いおじさんが!」
「ちょっと待て、いま自分で言って俺にも心当たりがある。俺のところにもその具合の悪そうな人がきた」
「じゃあ、その人が……」
「おそらく。でも俺のところに来たのはおじいさんだった。白髪のな」
クレスは少し考えて、手を顎にあてた。
「きっと変装しているんだろう。だからどんな人なのか、わからない。でも体格と性別くらいなら分かる」
「性別は男か……そして体格は小柄な普通体形って感じかな」
「ああ、特別太っても痩せてもいなかったな」
クレスとレイはパンをかじって牛乳を飲みながら、犯人像を絞り込む。
「よし、レイ。今から片っ端に怪しそうなやつを吊るしあげる。食べ物の恨みを思い知らせてやる」
「ちょっと待ってよ、クレス。怪しそうなって、どんな? それに今はもう夜でみんな寝る準備をしているよ。明日にしよう」
レイの言うことももっともなので、クレスは悔しい思いをしながら、取り敢えず今日は寝ることにした。
部屋へ帰ってみると、コハクが飛びつくようにしてクレスに甘えた。
みゃあお、と鳴いてクレスの足にすり寄る。クレスは腹が減ったのだろうと思い、宿場町で買ってあった食事を与えた。
「寂しかったか? ごめんな。お前の分だけでもちゃんとご飯があって良かったよ」
クレスはそう呟くと、窓辺に置いてある椅子に座った。
コハクは食事を食べ終わると、クレスの膝に乗り、丸くなる。
クレスは頬づえをついて、窓の外に広がる陽の落ちた広大な黒い海を眺めた。
コハクの背を優しくなでながら。
朝である。
また帆船中央広場でレイと待ち合わせたクレスは、犯人を捕まえるために作戦を考えていた。ちなみに今日の朝食はなしだ。昼か夜に昨日のようにまたパンと牛乳を買って食べる予定だ。
レイは腕を組んでのんびりと広場へ集まった人々をみていた。
広場の中には、警備部の人間が混ざっていて、昨日とは違って少し物々しかった。
「なんだか果汁水 でも飲みたい気分だね」
「金がねえんだよ」
腹が減ってぴりぴりとしているクレスだ。
今日もかろうじて食堂から分けてもらった水を飲んだだけだ。
水にかけるお金さえも惜しいが、水は命の源だ。
「なあ、レイ。あのヒゲのおやじ、怪しくないか?」
クレスは広場に集まっている乗客の、一番ガラの悪そうな男をみつけた。
朝から酒を飲んでいて、友人と笑っている。
「どこが? ガラは悪そうだけど、旅先でちょっと朝から羽目を外しているおじさんじゃないか」
レイは疑心暗鬼になっているクレスに少し呆れる。
「あ、ちなみに昨日の夜、警備部に盗難届けを出しておいた。クレスと私の分の財布のね」
「そうなのか? 悪かったな。助かる。だから今日は警備部の人間があちこちにいるのか」
ここ以外でも警備部の人間をみていたクレスは、ふぅと一つため息をつく。犯人捜しは思ったよりも大変だ。
「犯人さがしは警備部の人たちに任せたら?」
「レイは財布が盗まれてムカつかないのか? 昨日のビーフシチューも食い損ねたからな! 怪しそうなヤツは通報するんだ」
そう言いながら帆船中央広場を出て、船室の通路を見ていた途中で。
クレスたちはあからさまにアヤシイ人物を見た。
その男は、小柄で夏島の神官服を着ていた。
夏島の神官服、というのは、夏島の象徴色である青を基調とした、夏神殿の制服だ。
薄い青の半そでの長衣に黒い脚衣 を穿いている。
クレスはその人物に飛び掛かっていく。
相手も抵抗し、取っ組み合いになり、そこをレイが相手の手首をひねって後ろ手に抑え込んで身体を壁に押し付けた。
「クレス……クレスも気が付いた?」
「ああ。こいつだろ」
そういう二人に、神官服の男はわめき散らして暴れた。
「なんと無礼な! 私は夏神殿に仕える神官です! 私への無礼は夏主さまへの無礼になりますよ!」
それを聞いたレイは、さらに手首の拘束を強めた。
「いたっ……てて……」
男はうめき声をあげると同時にレイを蹴り上げようとしたので、レイは素早く足払いをかけ、男を容赦なく床へと組み伏せた。
「お金はどうした?」
「だから私ではないと……」
「神官というのは、夏神殿の外で制服は着ないものだ。それも知らないのか」
いつにないレイの厳しい声に、クレスも肝が冷える。
だが、クレスも追及の手は緩めなかった。
「お前、神官じゃないだろ。俺たちは神殿関係者だ。騙 そうと思ってもだめだ。財布はどうした!」
そう言うと、その神官服の男は豹変した。
とたんに顔をゆがめて、柄が悪くなる。
「ふん! 最上級の夕メシと朝メシに代わったよ。美味 いもん食えてよかったぜ」
そう言い切った。
「この野郎!」
「まって、クレス」
拳を固めて男に殴りかかりそうなクレスを、レイは言葉で制した。
「警備部の人に連絡を。財布はあとで探そう。中身が残っているのか、問題だけどね」
すべての浮島の神殿に言えること。
それは、各地の祭事や仕事以外では、神殿内でないと神官服というのは着ないものなのだ。制服として機能しているこの服は、主島なら創造主に、各浮島ならば季主に仕える者の証。その仕事は主に政務をつかさどっている。当然一般人から見ると、神官は特別な存在だ。だから、特権を得ようとすれば、どんなことでもできてしまう。
しかし、それは創造主や季主のこころを踏みにじる行為になる。
なので、原則として神殿の外ではこの制服は着ないのだ。
それを、この泥棒は知らなかった。それが命取りとなったのだった。
おまけ
神官というのは、この世界では政務をしています。地方にある神殿は市役所、各浮島の神殿は県庁、大神殿はそれを統括する機関、だと思ってくだされば分かりやすいと思います。
なので、祭事とは結婚式やお葬式ではありません。行政で行う普通のお祭りや、式典などです。
帆船中央広場の食卓では、レイの言っていた美味しそうなスープを飲んでいる人がいる。肉や魚のいい香りもした。
しかし、クレスとレイは一つのパンと一本の牛乳を分け合って食べて飲んでいた。
「クレス、私の分はいらないから、クレスだけで食べてよ」
レイは遠慮しているのか、食べようとしない。だから、クレスはレイが食べやすいように二つの器に牛乳を分けて、自分とレイの前へと置いた。そして、一番安くて大きいパンを割って、その半分をレイの前へとおく。
「いいから、食え。こんなに暑いんだ、食べなきゃ倒れるぜ」
それでもしぶるレイをしかりつけてパンを食べさせる。
レイは全財産を取られてしまっていた。
そこへ、馬車で一緒だったサリが通りかかった。
「あ、クレスお兄ちゃんとレイお兄ちゃん!」
相変らず可愛らしい声でクレスたちに声を掛けた。
「あ、ああ、サリちゃん」
「お兄ちゃんたちも夕ごはん食べてるの? あたしも今食べてきたの。子牛のビーフシチューがとーっても美味しかった!」
満面の笑みで言われ、クレスの頭においしそうなビーフシチューが浮かぶ。
「美味しそうだね……」
しかし、今時点でクレスにもレイにも食べることができない代物だった。
先ほどまで、もしゃもしゃと堅いパンを喉に流し込んで食べていたクレスたちには、豪華すぎて涙が出そうな料理だ。
改めて犯人に殺意が湧く。
食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「お兄ちゃんたちにもおススメだよ!」
「……ありがとう。あとで食べてみるよ」
当たり障りなくサリにそう言うと、サリは両親に呼ばれて自室の方へと去って行った。
「なあ、レイ」
「なに? クレス」
「俺は犯人が許せん……」
半眼になった目がその心境を語っていた。
「気持ちは痛いほどわかるよ」
「だから犯人を捕まえたい。レイは部屋に鍵をかけてから出たんだよな」
「そうだよ。当たり前じゃないか」
「……誰か部屋にきた人とかはいなかったのか? 例えばそいつが……ん?」
クレスの言葉にレイはハッとして勢いよく頭をあげた。
「来たよ、部屋に。具合の悪いおじさんが!」
「ちょっと待て、いま自分で言って俺にも心当たりがある。俺のところにもその具合の悪そうな人がきた」
「じゃあ、その人が……」
「おそらく。でも俺のところに来たのはおじいさんだった。白髪のな」
クレスは少し考えて、手を顎にあてた。
「きっと変装しているんだろう。だからどんな人なのか、わからない。でも体格と性別くらいなら分かる」
「性別は男か……そして体格は小柄な普通体形って感じかな」
「ああ、特別太っても痩せてもいなかったな」
クレスとレイはパンをかじって牛乳を飲みながら、犯人像を絞り込む。
「よし、レイ。今から片っ端に怪しそうなやつを吊るしあげる。食べ物の恨みを思い知らせてやる」
「ちょっと待ってよ、クレス。怪しそうなって、どんな? それに今はもう夜でみんな寝る準備をしているよ。明日にしよう」
レイの言うことももっともなので、クレスは悔しい思いをしながら、取り敢えず今日は寝ることにした。
部屋へ帰ってみると、コハクが飛びつくようにしてクレスに甘えた。
みゃあお、と鳴いてクレスの足にすり寄る。クレスは腹が減ったのだろうと思い、宿場町で買ってあった食事を与えた。
「寂しかったか? ごめんな。お前の分だけでもちゃんとご飯があって良かったよ」
クレスはそう呟くと、窓辺に置いてある椅子に座った。
コハクは食事を食べ終わると、クレスの膝に乗り、丸くなる。
クレスは頬づえをついて、窓の外に広がる陽の落ちた広大な黒い海を眺めた。
コハクの背を優しくなでながら。
朝である。
また帆船中央広場でレイと待ち合わせたクレスは、犯人を捕まえるために作戦を考えていた。ちなみに今日の朝食はなしだ。昼か夜に昨日のようにまたパンと牛乳を買って食べる予定だ。
レイは腕を組んでのんびりと広場へ集まった人々をみていた。
広場の中には、警備部の人間が混ざっていて、昨日とは違って少し物々しかった。
「なんだか
「金がねえんだよ」
腹が減ってぴりぴりとしているクレスだ。
今日もかろうじて食堂から分けてもらった水を飲んだだけだ。
水にかけるお金さえも惜しいが、水は命の源だ。
「なあ、レイ。あのヒゲのおやじ、怪しくないか?」
クレスは広場に集まっている乗客の、一番ガラの悪そうな男をみつけた。
朝から酒を飲んでいて、友人と笑っている。
「どこが? ガラは悪そうだけど、旅先でちょっと朝から羽目を外しているおじさんじゃないか」
レイは疑心暗鬼になっているクレスに少し呆れる。
「あ、ちなみに昨日の夜、警備部に盗難届けを出しておいた。クレスと私の分の財布のね」
「そうなのか? 悪かったな。助かる。だから今日は警備部の人間があちこちにいるのか」
ここ以外でも警備部の人間をみていたクレスは、ふぅと一つため息をつく。犯人捜しは思ったよりも大変だ。
「犯人さがしは警備部の人たちに任せたら?」
「レイは財布が盗まれてムカつかないのか? 昨日のビーフシチューも食い損ねたからな! 怪しそうなヤツは通報するんだ」
そう言いながら帆船中央広場を出て、船室の通路を見ていた途中で。
クレスたちはあからさまにアヤシイ人物を見た。
その男は、小柄で夏島の神官服を着ていた。
夏島の神官服、というのは、夏島の象徴色である青を基調とした、夏神殿の制服だ。
薄い青の半そでの長衣に黒い
クレスはその人物に飛び掛かっていく。
相手も抵抗し、取っ組み合いになり、そこをレイが相手の手首をひねって後ろ手に抑え込んで身体を壁に押し付けた。
「クレス……クレスも気が付いた?」
「ああ。こいつだろ」
そういう二人に、神官服の男はわめき散らして暴れた。
「なんと無礼な! 私は夏神殿に仕える神官です! 私への無礼は夏主さまへの無礼になりますよ!」
それを聞いたレイは、さらに手首の拘束を強めた。
「いたっ……てて……」
男はうめき声をあげると同時にレイを蹴り上げようとしたので、レイは素早く足払いをかけ、男を容赦なく床へと組み伏せた。
「お金はどうした?」
「だから私ではないと……」
「神官というのは、夏神殿の外で制服は着ないものだ。それも知らないのか」
いつにないレイの厳しい声に、クレスも肝が冷える。
だが、クレスも追及の手は緩めなかった。
「お前、神官じゃないだろ。俺たちは神殿関係者だ。
そう言うと、その神官服の男は豹変した。
とたんに顔をゆがめて、柄が悪くなる。
「ふん! 最上級の夕メシと朝メシに代わったよ。
そう言い切った。
「この野郎!」
「まって、クレス」
拳を固めて男に殴りかかりそうなクレスを、レイは言葉で制した。
「警備部の人に連絡を。財布はあとで探そう。中身が残っているのか、問題だけどね」
すべての浮島の神殿に言えること。
それは、各地の祭事や仕事以外では、神殿内でないと神官服というのは着ないものなのだ。制服として機能しているこの服は、主島なら創造主に、各浮島ならば季主に仕える者の証。その仕事は主に政務をつかさどっている。当然一般人から見ると、神官は特別な存在だ。だから、特権を得ようとすれば、どんなことでもできてしまう。
しかし、それは創造主や季主のこころを踏みにじる行為になる。
なので、原則として神殿の外ではこの制服は着ないのだ。
それを、この泥棒は知らなかった。それが命取りとなったのだった。
おまけ
神官というのは、この世界では政務をしています。地方にある神殿は市役所、各浮島の神殿は県庁、大神殿はそれを統括する機関、だと思ってくだされば分かりやすいと思います。
なので、祭事とは結婚式やお葬式ではありません。行政で行う普通のお祭りや、式典などです。