【第6話】 焦燥に心、枝垂れて (前編)
文字数 3,134文字
心枝:
(ここは……、グラウンド? 私、今、走ってる?)
心枝:
(前にお姉ちゃんがいる。大きくて、あったくて、安心する、お姉ちゃんの背中だ……。)
心枝:
(だけどその背中は、どんどん小さくなって、遠くなって、見えなくなって。)
(鼓動が激しくなる。)
ドクン、、、ドクン、、ドクン、ドクンドクン、ドクンドクン 。
心枝:
(呼吸がどんどん苦しくなっていって、視界が狭くなって、銀色になって、真っ暗になって。)
薬を飲もうと、重たい身体を起こした。
置き鏡に自分の顔が映る。
心枝:
私、将来は素敵なお嫁さんになるのが夢なんです! だから、これは花嫁修行♪
……なんちゃって!
そう言って、心枝はプチトマトを両頬に近づけおどけて見せた。
心枝:
……ってすみません! 私ったら、何言ってるんだろう、突然。
立花監督:
うん。でも時々、頑張りすぎちゃうところがあるから。
立花監督:
心枝が無理をしていたら、それに気づいてくれるような旦那さんがいいだろうな。
心枝は自分の耳がどんどん赤くなっていくのが分かった。
心枝:
わっ、私、自分で言っておいて、想像したらなんだか急に恥ずかしくなってきちゃいました。
立花監督:
ははは。そうだ、こっちはほとんど終わったから、みんなを呼んできてくれないか。
心枝:
(お姉ちゃん達の足手まといにならないように。私ももっと頑張らなくっちゃ!)
それとは対照的に、心枝の身体は思うように進まない。
懸命に腕を振る。
どれだけ力を振り絞って走っても、楓の背中はどんどん遠くなるばかりだった。
立花監督:
はい、次ー。レスト挟んで最後もう1本行くからなー。
心枝:
(ほら……、このあいだ入ったばっかりの、バンビちゃんだって、頑張って……、ついていってるんだから……)
柚希:
ハァ、ハァ…。ったく! 自分で走ってみろ、っつーの! ウチらが◎△$♪×¥○&%#?!
周りの音が聞こえなくなる。目の前の景色が銀色に変わっていく。
ヘレナ:
ボス、予選が近いから、いつもより気合入ってマース。
最初は中学1年生の時。
ランニングクラブでお姉ちゃんが走っているのを見て、私もやってみたいって思ったの。
その時お姉ちゃんは、もうチームのみんなから愛されていて、頼りにされていて。
それで、私は、そんなお姉ちゃんの妹なんだって、嬉しく思った。
私も、お姉ちゃんみたいに、走れるようになりたいな。
お姉ちゃんは、中学を卒業して、駅伝の名門・佐久東高校に入学した。
1年目からすぐレギュラーで、都大路にも出場したんだよね。ホントにすごい。
私も京都まで応援に行ったよ!
お姉ちゃんの世界はどんどん広がっていく。
だけど、お姉ちゃんは、必ず待っていてくれる。
いつも私のほうを振り返って、気にかけてくれるの。
私も、お姉ちゃんを追いかけて佐久東高校に入った。
でもさ、三年間補欠にも入れなくって。
はぁ、お姉ちゃんの背中がどんどん遠くなっていくよ。
心枝:
へ? お姉ちゃんがアイリスに?
(駅伝部は今年からできるんだ……。それなら、筆記で受験すれば、同じチームでまた走れるかな。)
分かってる。私だって、もう気付いてるよ。
私は、お姉ちゃんみたいにはなれない。
だけど、これがお姉ちゃんを追いかけられる、本当に最後かもしれないから。
だってもう次は、お姉ちゃんは、声が届かないところまで行ってしまうかもしれないんだもの。
これが最後のチャンスなの。
だからお願い、もっと前に進んで、動いて、私の身体……。
心枝:
お姉……ちゃん? どうして泣いてるの?
あの……、ここは?
ドクター:
病院のベッドよ。あなた、部活中に倒れたみたいで。救急車で運ばれて来たのよ。
蓮李:
私のほうこそゴメン! 二人で親元を離れてるんだから、そばにいる姉の私が心枝を守らないといけないのに……。
心枝:
……ううん。お姉ちゃんのせいじゃないよ。顔上げて?
(そっか、私、倒れたんだ。)
ドクターが枕元に近づき、心枝の下まぶたを軽く引っ張って観察した。
ドクター:
下まぶたの裏が真っ白。貧血ね。
さっきまで顔色も凄く悪かったわ。
ドクター:
それに、きっと慢性的なエネルギー不足もあるわね。心枝さん、最後に来たのはいつ?
心枝:
あの……、えっと……、三ヶ月くらい、前です。
蓮李:
(一緒に生活してたのに、気づかなかった……)
ドクター:
大学の駅伝部に所属…ねぇ。
陸上選手はね、たくさん走るから、足の裏の毛細血管が潰れちゃって、もともと貧血を起こしやすいの。
ドクター:
心枝さん、食事はきちんと取れているかしら?
何か気になることがあって、最近、食欲がなかったとかは?
心枝:
ううん! 違うの!
その……、体重が気になって。
ドクター:
週に5日から6日、月に数百キロにも及ぶハードなランニング。なおさら、ちゃんと食べなきゃ。
ドクター:
赤ちゃんが産めない体になってしまうかもしれないのよ!!
ドクター:
それ以外にだって、若い頃の無理がたたって、歳をとってから骨がもろくなって、ずっと苦しんでる元スポーツ選手がたくさんいるの。
ドクター:
いい? 今は若いからなんとかなっているとしても、身体はずーっと無理をしてる。スポーツも大事だけど、それはあなたの身体があってこそなのよ。
ドクター:
血が足りない状態で走ることは心臓にもかなりの負担がかかるわ。それは本当に危ないことなのよ。
陸上でいい結果を出したいんだったら、尚更きちんと栄養を摂らないと。
ドクター:
あと、今飲んでる鉄剤。これは応急処置のためのもので、日常的に飲むものではないの。かといって急に絶つのも危ないから、そうね……、少しずつ量を減らしていくとして……。
鉄分含め、必要な栄養素は、しっかりと普段の食事から摂るよう改善していきましょう。いいわね?
ドクター:
私、これから監督さんのところへ大事なお話をしてくるから。
心枝さんを、お願いね。
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