【第12話】 予選会スタート! (後編)
文字数 2,513文字
神宮寺監督:
1周84秒だ、このタコ!!!
後ろに付き合うな! つきはなせ!
ジャスミン大の神宮寺監督の怒号が飛ぶ。
その語気があまりに強く、楓は自分のラップを読み上げてくれるはずの立花監督の声が何も聞こえなかった。
楓:
(けど、エリカさんが84秒ってことは、私も同じだよね。)
(信じられないことだけど、私いま、あの神宮寺エリカさんのすぐ後ろを走っているんだから。)
立花監督:
(神宮寺監督が怒るのも分かる。1周84秒は、神宮寺エリカの力を考えれば、あまりに遅すぎる……。)
その時、場内がどっと沸いたのが聞こえた。
どうやら自分達二人と、後ろの集団との差が開いたらしい。
楓:
(このペースなら、ついていけるかも……なぁーんて思ってたら、ペース上がっちゃったよ! そりゃそうだよね……。)
(けどこうなったら、このままついていくしかない!)
エリカ:
……私たち、小さいんだから。あんな混み入ったところにいてはダメよ。
エリカ:
スタートしたらすぐ前に出て、自分のスペースを確保するの。いい?
楓:
(どうなってるの??? スタート前は、憧れのエリカさんと話せただけで舞い上がってたけど……、守ってくれて、場所を指示してくれて、しかもアドバイスまでくれてるって……。)
神宮寺監督:
エリカッ! 二周目76秒!
休むな!! このまま振り切れ!! いいか、エースが◎△$♪×¥○&%#?!
楓:
(他の大学の監督の声は、だいぶあとになってから聞こえてきたな……。後ろの集団と、結構離れてるんだな。)
立花監督:
(1周目が84で、2周目が76か……。1周のあいだに8秒もペース上がったら、普通はキツく感じるもんだけど。今日の楓にとっては、緊張がほぐれる良い助走になったかもな。)
エリカは、一度ペースを上げてからは、楓が振り切られないギリギリのラップを、絶妙な加減で刻み続けていた。
楓のほうも、あれこれ周りを気にしなくてよくなっただけに、1周76秒前後というハイペースでも、そこまで苦しさを感じていなかった。
心枝:
バンビちゃん、すごい!
あのエリカさんと一騎打ちなんて!
中村:
すっげぇー。あの1年生、神宮寺さんについていってますよ?
三浦珠美:
バカ。本気で走ってるわけないでしょ。
どこの誰だか知らないけど、アイツが本気で走ってたら、無名の1年生があそこまでついていけるわけないわ。
舐めプよ、舐めプ! 遅い組だからって遊んでんの。
あ〜、やんなっちゃう!
三浦琴美:
とはいえ、最初の一周を除けば、ペースは確実に速くなってる。
2000のラップが気になるところね。
立花監督:
楓! 無理につかなくてもいいぞー! 自分のペース、自分のペース!
立花監督:
(んー、指示が聞こえてないのかなぁ。三周目ぐらいから、もはや目すら合わなくなってきたぞ。)
(……けど、すごく集中してる目だった。)
アナウンス:
先頭、ジャスミン大学、神宮寺さん。
2000mの通過。6分26秒。
この間の1000m。3分10秒。
楓:
(この人の後ろ……、なんだかすっごく走りやすいな。
頭の位置が全然ぶれないし、高さも私と同じくらいだから、今日はなんだか私までいいフォームで走れてる気がする!
二人になってからは、たぶんペースも一定で、安定してるし……。
なんていうか、波長…? みたいなのがピッタリ合う感じがする!)
他大の監督:
おたく。1年生でしょ? あの子。
一体いくつで行かせる想定なの。
立花監督:
いやぁー、あはは。
本人には、16分40から17分でいいよ、って伝えてあるんですが…。
他大の監督:
16分40? はっはっは。
どう見たってもっと速く走ってるよ。ありゃあ、16分一桁ぐらいのペースだ。
どっかでタレる前に、手ぇ打っておいたほうがいいんじゃないかい?
他大の監督:
まあ、昔は僕もそういうことあったから。
若い頃は、選手の自主性を尊重する指導と、放任主義との違いに悩んだっけなー!
あ、でも、分かんないよ? 本当にこのまま16分一桁で行っちゃうかもしれないし。がっはっはっは。
立花監督:
あはは。
(確かに、このオッサンの言う通りだ。今、自分の力以上のペースで走ってる楓は、きっと後半でその反動が来る。もっとペースを抑えるよう指示するなら今のうちだ。)
立花監督:
(って言っても、後ろの集団が全然来てないもんだから、いま下手にペースいじると単独走になっちゃうんだよなぁー。)
立花監督:
(記録会で3000走った時も、楓は、俺の想定の遥か上を行くタイムを出してきた。)
立花監督:
(4年生二人のことを考えると、できれば博打は打ちたくないんだけど……。全員が無難に走ったって、ウチが通過できる保証はどこにもない。)
(……よしっ、こうなったら!)
立花監督:
楓、76秒! いいよ、ラクに走れてるからね! そのまま、そのまま!
立花監督:
(行けるだけ行って、後ろとのタイム差を稼いでくれ……!)
正直、このあたりまでのレースの記憶が、私にはほとんどありません。
最初の1周で、エリカさんが他校の選手から私を守ってくれたのまでは覚えてます。
でもそこからは、エリカさんの背中を追いかけるのが楽しくて。楽しくて。
ペースなんて……、本当は考えなきゃいけないんだけど、全然考えてなくて。
夢中で。
エリカさんがどこまでも連れていってくれるような。
そんな気がして。
何でもできるような気になって。
走っているうちに、なぜだかどうしてか。
私は。
エリカさんに勝とうと、考え始めてしまったのです。
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