【第16話】 嵐のあとに (後編)
文字数 3,577文字
朝姫:
そうそう、ここ。スタートの時。
囲まれちゃってて、ヒヤヒヤしたよ。
蓮李:
茉莉、二周目から抜け出すから、
そのあたりのほうが
見やすいんじゃないか?
……そう、そのへん。
茉莉はシークバーを動かして、二周目にちょうどエリカと楓が集団を抜け出したところまで動画を早送りした。
蓮李:
別に変なところは無いけどな。
むしろいいフォームだと思う。
こう、全身を使ってて。
まー、緊張のせいか、
硬いと言われれば硬いけど。
でもそれも、
そのうちほぐれてくるだろ?
朝姫:
ここまでは、もしかしたら
勝てるかもって思ったんだけどね。
でもやっぱり……相手のほうが
一枚も二枚ももうわ手だった。
画面には、軽やかな足取りでスパートするエリカと、必死に歯を食いしばって追いかける楓の姿が映し出されていた。
茉莉:
ふむ。なるほど。
それじゃ、
走り始めの映像と左右に並べて、
フォームを比較してみましょう。
楓:
エリカさんに抜かれてからは、
なんだか溺れてるみたいで……
蓮李:
普段練習の時も見てるはずだけど、
並べてみると序盤と終盤で
こんなにも違うんだな。
茉莉:
われわれ長距離選手は、
普段からドリルなどをこなすことで、重心の高いフォームを作りあげているんですな。
朝姫:
(ひそひそ)
ほら、いっつも朝練の時にやってる、
ハードルを跨ぐやつだよ。
茉莉:
どちらも正解。
いわゆる "腰が落ちてる" 状態ですな。
朝姫:
ああ、練習のとき、
ヘレナとか蓮李さんのフォーム見て、
羨ましいなって、よく思いますよ。
足が長いもんで、
腰がこーんなところにあって。
朝姫はそう言って、自分の目のぐらいの高さに手の平を置いて見せている。
茉莉:
バンビ殿は、まるで体格からくるストライドの差を補うかのように、全身のバネを目一杯使ったダイナミックなフォームで走ります。
そうしたフォームは爆発力のあるスパートを生み出せる反面、身体の軸がブレやすい。
軸がブレていると、周回を重ねていくうちに、足腰への負担も増大してしまいます。
茉莉:
この映像の終盤を見てみると、バンビ殿は腰が落ち、肩が大きく揺れています。
こうなってくると、ただでさえ小さいストライドが更に小さくなり、どんどんと推進力を失っていきます。
蓮李:
それを楓は、
"溺れてる"って言ってたんだな。
茉莉:
でもそれは無理もありません。
小・中学生の頃から陸上をやっていた我々は、指導者からそれはもう耳にタコができるぐらい聞かされて、もうすでに腰高のフォームが身体に叩き込まれています。
ですがバンビ殿は、
まだ陸上歴たったの2か月。
蓮李:
ハードルを使った練習を始めたのだって
つい最近のことだもんな。
茉莉:
そう。
だから腰が落ちてしまうのは
無理もない。
バンビ殿、確か中学・高校では
バスケ部でしたな?
茉莉:
バスケって、ほら、
瞬時に左右に動けるよう、
腰を少し落として構えるでしょう?
楓:
あぁ、確かに……!
癖になってるかもしれないです。
茉莉:
これを克服するには、
日々の体幹トレーニングと、
反復練習による…
朝姫:
茉莉さん、そろそろ
バンビがパンクしそうです……
茉莉:
ありゃま!
少々詰め込みすぎましたかな。
いや〜、申し訳ない、
一度語り始めると止まらないのが、
私の悪い癖でして。
この件に関しては、あとで
監督にも相談してみるとしましょう。
立花監督:
いやーごめんごめん。
"おぼれてる"って表現が面白くてな。
そのへんは、
みっちり夏合宿で克服しないとな。
心枝:
去年は山梨のほうまで行って合宿したんだよね。キツかったなぁ。
朝姫:
うん。一ヶ月ずっと、陸上のこと考えてたかも。
楓:
は〜、私、大勢で遠出して
お泊まりするのが大好きなんです!
立花監督:
今年は、去年よりも遠出する。
なんと、茉莉のご家族の別荘を
使わせてもらえることになってな。
テスト期間が終わったら、
全員で出発するぞ!
そうそう、
場所は俺や蓮李達の実家の近くだ。
朝姫:
……ていうか、茉莉さん!
別荘なんか持ってるんですか!?
茉莉:
えぇ、まぁ、ちょっと。
むかし父が家庭菜園に凝っていた縁で
所有していたものでしてな。
最近はほとんど使ってないらしくて。
楓:
私そういうのって、てっきり
柚希センパイの担当だと思ってました!
柚希:
(グサッ!)
あんたたち、地味に聞こえてるわよ。
柚希:
あのねぇ! 確かに別荘は無いけど、
ウチの実家は超〜でっかい旅館なのよ!
まぁ、あんまりにも立派だし?
合宿でみんなにも使わせてあげたい
気持ちは山々なんだけど?
あいにく夏休みは、1年以上前から
予約でいっぱいなのよね〜。
立花監督:
楓、昨日倒れたろ。
今日は、全体練習に参加しなくていい。
大事をとって別メニューだ。
楓:
えぇっ! 私、もう大丈夫です!
みんなと同じ練習、できます!!
立花監督:
いいから、いいから。
いいものがあるんだ。
ちょっと来てくれ。
立花監督:
いやぁー、
俺の大学時代の後輩でさ、
高校まで野球部だったのに、
なんと箱根駅伝を走った奴がいてな。
……そいつがやってた
秘密のトレーニング方法だ。
えーっと、俺がコーチだった頃に
使ってたのがあるはずなんだが、
……お、あったあった。
ほれ。
立花監督:
竹っていうか、竹馬だ。
知らない? 竹馬。
立花監督:
ははは。
イマドキの子は竹馬なんかで
遊んだりしないか。
……よ!っと
立花監督:
っと。まあこんな具合だ。
ほれ。前で支えててあげるから、
楓もやってごらん?
立花監督:
怖がりすぎだ。
これはな、腰が落ちてると
上手に立てないんだ。
姿勢はやや前傾。目線は前。
……そうそう。
胸の下から足が伸びてるイメージで。
ハイ。1、2、1、2、1、2。
楓:
1、2、1、2、1、2。
……これをやったら、
エリカさんに勝てるようになりますか?
立花監督:
……それは分からない。
でも、試してみる価値はあるはずだ。
今の楓は、まだ水の染み込んでいない
スポンジみたいなもんなんだ。
1、2、1、2、1、2。
まっさらな状態だから、
今はなんでも吸収できる。
1、2、1、2、1、2。
すでにこれだけ走れてるんだ。
これで水が染み込んだら、
すごいことになるぞ。
立花監督:
おっとっと!
うーん。
楓にはちょっと長すぎるかもな。
……切っちゃうか!
ちょっと待っててな。
楓:
(もしお父さんがまだ生きてたら、こんな風にしてくれたかな……)
立花監督:
これ、楓にあげるから。
乗れるように練習してみなよ。
って言ったんだ。
立花監督:
腰高のフォームを手に入れたいんなら、
きっと役に立つはずだ。
最初のうちはこんな風に
壁に寄っかかって
歩く練習をするんだ。
何日かやって慣れてくれば、
楓も乗れるようになるよ。
楓:
(相手がエリカさんだって、負けは負け。)
(もう、あんな悔しい思いはしたくない。)
(昨日見たのはきっと、私の未来の姿。)
(何となく、そう感じたんだ。)
(私も、いつか、エリカさんのように……。)
(そのためなら、なんでもやりたいんだ。)
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