【第2話】 カエデ、走ります! (前編)
文字数 4,612文字
蓮李:
あぁ、ごめんごめん。自己紹介がまだだったよね。
アイリス大の駅伝部でキャプテンやってます、4年の二神蓮李(ふたがみ れんり)です。よろしく。
楓:
えっ! 私もアイリスです!
1年の栗原楓っていいます。
蓮李:
楓、ちゃん……ってさ、今朝、正門のあたりを凄い勢いで走ってた子だよね?
楓:
今朝……?
ええええええ! あれ見られてたんですか! 恥ずかしいです。
蓮李:
声かけようとしたんけど、あまりに速いから見失っちゃって。
私達、駅伝のメンバーを探してるんだけど、力を貸してくれないかな。
楓:
うーん、でも……、私、駅伝なんてやったことないですし。
蓮李:
毎日トレーニングしてる私達でもすぐに追いつけなかった……。
目の前を通り過ぎるキミをひと目見て、カミナリに打たれたような気持ちになったんだ! あんな走り今まで見たことなかった!
蓮李:
経験者でもないのにあれだけ走れるんだから。間違いなく才能だよ。
楓:
駅伝の経験は無いですけど、小さい頃はよく、お父さんと一緒に走ってました。
今はもう、やってないですけど。
蓮李:
もったいない! そんな小さな身体で、あんなに力強い走りができるのに!
茉莉だって、見ただろ?
茉莉:
しっかし、よくあのスピードで走り続けられましたな。
"フットギア"も無しに……。
茉莉はそう言いながら、楓がジャンプした拍子に脱げてその場に転がっていたパンプスを拾い上げた。
茉莉:
しかもこーんな小洒落た靴で。
私も興味が出てきてしまいました。
蓮李:
楓ちゃん、絶対走る才能あるよ! 練習したらきっとすごい選手になれる!
心枝:
お、お姉ちゃん! とりあえず愛の告白はそのへんで。
楓:
(お姉ちゃん……? 二人ともスタイルよくって美人だな〜。)
心枝:
この人、足をケガしてるみたいだから、早く手当てしたほうがいいんじゃ……
蓮李:
あ、愛の告白……!?
心枝! お、お姉ちゃんはな、今とっても真剣な話をだな!
……って、ケガ?
楓は、財布を取ろうとジャンプした時に靴が脱げ、裸足になっていた。
履き慣れていない靴で全力疾走したせいで、足の指が血で汚れていた。
楓:
靴擦れ……?
(あ、ホントだ。お財布取り返すのに必死で全然気づかなかった。)
茉莉:
レンリ殿、とりあえず彼女を大学の部室までおぶっていって差し上げたらどうですかな。
そこで手当てをしましょう。
楓:
あの、でも私、全然大丈夫ですから!
(レンリ先輩、っていうんだ……。お財布とってくれた人。)
蓮李:
うん、雑菌が入ったりでもしたら大変だ! すぐに手当てしたほうがいい!
うん、絶対そうしたほうがいいよ! うん。
楓は悪いからと一度は断ったものの、こっちに来てからずっと寂しい気持ちでいたので、”レンリ先輩”におぶってもらえるという特典を目の前にして、断りきれなくなった。
悪い人達でもなさそうなので、結局、彼女らの厚意に甘えてみることにした。
蓮李:
心枝、この子のリュックを持っててくれないか。
心枝:
うん。
あ。お弁当、失くさないようにちゃんとしまっておきますね。
楓:
あ! すみません、何から何まで。
ありがとうございます。
(お弁当じゃなくて、お財布……。)
蓮李:
大丈夫、大丈夫、鍛えてるから。
おお、軽い軽い!
蓮李:
楓ちゃん、どこから通ってるの?
あんまり遠いようなら、監督の車、出してもらおうか。
楓:
あ! 大丈夫です!
私、港南台の学生寮から通ってて、電車ですぐなので!
朝姫:
港南台なら電車で一本だね。今朝猛ダッシュしてたのは、寝坊でもしたの?
楓:
私、まだこっちに来たばっかりで。早めに着いて観光でもしようと思ったんですけど、途中で授業あるの忘れちゃってて……。えへへ。
楓:
……私、実は大学で全然友達ができなくて。
だから、久しぶりにこんなにたくさんの人とお喋りした気がします!
茉莉:
ははは。我々も、入ってすぐは二人で隅っこに固まってましたなぁ、レンリ殿。
蓮李:
そうそう、なかなか友達できづらいんだよね。
ほら、ここってさ、中学から繋がってて、ほとんどみんな附属から上がって来た子達なんだよ。
で、附属組はみんな附属組だけで一緒にいようとするからさ。
楓:
あぁ! そういうことだったんですね!
どうして他の人はみんなもう友達になってるんだろう、って不思議でした!
蓮李:
ウチの部員は全員外部生だから、みんなも経験してるんだよ、それ。
話しているうちに、いつの間にか大学まで戻ってきた。
この門をくぐって構内に入るのは、今日2回目だ。
楓:
はい。授業で使うところ以外はまだ全然来たことないです。
その後、傷口を消毒してもらい絆創膏も貼ってもらった。港南台の寮に帰ってくる頃には辺りはすっかり暗くなっていた。
楓はその日あった出来事を母親に電話で話した。
楓:
それでな、それでな。その駅伝部の人がモデルさんみたいにスラーッとしててすっごく美人で。
デメキンのお財布もその人が取り返してくれたんよ。
楓:
うん! それでな……。その人達、いつもは山手って所にあるグラウンドで走っとるけぇ。今度の土曜日、練習に来ないかって言われてて。
私……、また走ってみようかな。
楓:
うん。まだ入部するって決めたわけじゃないけど、私、今ならできる気がするの。
楓ママ:
そう。楓がそう思ったのなら、お母さんは応援するわ。
楓:
ありがとう。
それにね私、今日初めてこっちの人とちゃんとお話できたんよ。じゃけぇ、嬉しくて。
毎日の母との電話が終わった後のこの時間、誰もいない静かな部屋で、いつもは寂しさに襲われるのだが、今日は楽しかったことを思い出す時間に変わっていた。
プロポーズされる時の高揚感とは、きっとあんなものかもしれない。
楓は、帰ってからも何度もその場面を思い返していた。
朝に家を出た時のことがもう何日も前のことに感じる。
手当てをしてもらった足が、今日起きた出来事が全て現実であったことを確信させてくれる。
少ししてから、ふとリュックが目に止まった。
開けると、”コノエ先輩”がしまってくれた出目金の財布がきちんと入っていた。
無事手元に戻ってきたのだと改めて安心した。
財布には、タスキが巻かれたままになっている。
楓:
いっけない! 私、そのまま持って帰って来ちゃったんだ! 今度会うとき忘れずに返さなきゃ!
タスキを広げてみる。
表面に”アイリス女学院大学”の文字が刺繍されている。
タスキは、よく見るとただの輪っか状ではなく、余った部分がだらんと垂れている。
どうやらここを引っ張って長さを調整するらしい。
肩にかけて、鏡で見てみるが、腰のあたりから布の余りが垂れていて、正直、様にはなっていない。
蓮李:
土曜日の10時、山手駅の改札で待ってるから。
楓:
動きやすい格好で来てって言われたけど、こんな感じでよかったかな。
山手駅は、通学時にいつも通り過ぎるので、景色は見た事があったが、実際に降りるのは今日が初めてだった。
通学途中の駅は大抵、楓にとっては賑やかすぎたり人工的すぎたりして、落ち着かない印象だった。
しかし、この辺り一帯だけはどこか牧歌的で親しみやすく、気に入っていた。
休日ということで、いつもは聞こえる制服姿の小・中学生の賑やかな声もなく、山手駅のホームは静かだった。
階段を降りていくと、まだ約束の5分前にも関わらず、改札の向こうに蓮李の姿が見えた。
自分が来るのをずっと待ち構えていたのか、すぐにこちらに気づき、手を振ってくれた。
蓮李:
ううん、私も今来たところだから。
靴擦れしたところはもう大丈夫?
楓:
はい、もう治りました!
今日は走っても大丈夫な靴で来ました。
蓮李:
土日はいつも、こっちのグラウンドで練習してるんだ。
あ、渡した地図だと近そうに見えたかもだけど……。
楓:
私、実家も丘の上にあったので、全然平気ですよ!
蓮李:
そっか! 確かに、この坂を見てもあんまりビックリしてないもんね。それならよかった。
蓮李:
10月に、みなと駅伝っていう大会があってね。
タスキを繋いで、みなとみらいから八景島のほうまで、行ってまた戻ってくるコースなんだけど。
私たち今、その駅伝に出るために練習してるんだ。
蓮李:
そうだね。景色はすごく良いと思う!
みなと駅伝は七人で走るんだけど、今ウチの部員、六人しかいなくてね……。
楓:
それで一緒に駅伝を走って欲しいって言ってたんですね。
蓮李:
うん。私と茉莉は4年生だから今年が最後のチャンスでね……。
蓮李:
ヘレナはこの前いなかったから、会うの初めてだよね。こちら、体験入部に来てくれた1年生の楓ちゃん。
ヘレナ:
オー! この子が、この前言ってた新入部員サンなのデスネ!
日本人形みたいにちっちゃくて、ベーリーキュート! 可愛いデース!
朝姫:
あ、私はこの前会ってるけど自己紹介がまだだったよね。
副キャプテンやらせてもらってます、2年の池田朝姫(いけだ あさひ)です。よろしく!
楓:
練習ってもう始まってたんですね!
私てっきり、11時ぐらいから始まるのかと思ってて、のんびり歩いて来ちゃってました。
蓮李:
……あぁ、違うよ。これは練習じゃなくて、寮のある石川町からわざわざ電車に乗るより速いから、みんなアップがてら走って来ちゃうんだよ。
ヘレナ:
1年生、ワタシ一人だったから、嬉しいデース! カエデ、ヨロシクー!
楓:
よ、よろしく……!
(しかも留学生までいるし……)
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