【第４話】 精霊シルフィード (後編)
文字数 6,919文字
コンコン、コンコン。
へえ！ 地下にこんな施設まであるんですね。
こんなに立派な試走室がついてるシューズラボはなかなか無いので、みんなわざわざ遠くから集まってくるんデース。
へぇー！
あれ？ そういえば監督はどこに？
あぁ。フットギアって女子専用のシューズだから、試走室にも女の人しか入れないのよ。要するに男子禁制！ってこと。
え！ フットギアって、女の人だけなんですか。てっきり監督も履いてるのかと。
だっはっは。それはウケるって！
つい想像してしまいましたな。
……？
試走を見るだけでも入っちゃダメなんですか？
ほら、異性の目があると、素直に自分が出せない人もいるだろ？ ちゃんと等身大の自分に合ったフットギアが選べるように、そういう決まりになってるんだ。
いっつもこういう時は、監督がマイさんの代わりに上でお店番して待ってることになってんの。
へぇ！ そうなんですね！
マイ：
楓さん。あそこに見えているラインがちょうど100mになっています。
私達があちら側に立って見ていますので、準備ができたら走ってみてください。
はい！
（うわぁ、フットギアって履くとこんな感じなんだ。なんだか不思議な気分。）
ふぅーーー。よし。
行きまーーす！
（行くよっ！ ナスターシャ！）
ハッ！ ハッ！ ハッ！ ハッ…
（うっ！）
（何……これ！？ ……気持ちが靴に流れて、靴からまた気持ちが流れてくる……！）
勝チタイ、勝チタイ、勝チタイ……！
ソノタメノ、チカラガホシイ…！
（う、頭の中がうるさい！ これがさっき言ってたシンクロ……！？ だめっ、心が壊れそう……！）
ゴール！
はぁ、はぁ、はぁ……。
ヘレナ：
バンビ、大丈夫デスカ？
なんか……、フットギアから、色んな気持ちが流れてきて……。
強くなりたいとか、誰に勝ちたいとか、目標とか目的とか、そういうものが一気に頭の中に湧いてきて。
それはいい気分でしたか？
いいえ、全然。いつもより速く走れた気はしましたけど、走ってても、自分が自分じゃないような感じがして。心がざわついて。
なんというか、落ち着かないというか……。
そう。落ち着かない……。
それは適性外ギアを履いた際に見られる、立派な拒絶反応です。
そうなんですか。じゃあ私は…
ナスターシャは適性外、ということになりますね。
ただ、もっと酷い場合は履くことすら不快になるので、走り切ることができた楓さんは、無理をすればナスターシャで走ることも可能でしょう。
その代わり、時にフットギアが自分のイメージとは違う動きをするので、走った後の消耗がどうしても大きくなります。
バンビちゃん、気分も悪そうだし。やめておいたほうがいいんじゃ…
はい……、やめておきます。走ってる時、なんだか自分が自分じゃない感覚で。ナスターシャは合っていないがします。
精霊ナスターシャが最も望んでいるのは"勝利"だって言われてる。合ってない人が履くと、常に勝負を急かされてるような気分になるのかもしれない。
うーん。私……、駅伝で勝つとか負けるとか、正直まだよく分かってないのかもしれません。こんなこと言ったら怒られちゃうのかもしれないですけど。
怒らないさ。無理もないと思う。
私、上京してきたばっかりの時は、横浜の街のどこへ行っても全然歓迎してもらえなかったんです。
でも、このチームに入って、アイリスの皆さんが、この街で初めて私を受け入れてくれたんです。
楓：
私が走ると、みんなすごく喜んでくれます……。
お母ちゃん、泣かないで……。大丈夫、私がずっとそばにおるけぇな。だから泣かないで、お母ちゃん。
私には、誰かを喜ばせるなんて出来ないんだって思っていたから……。
私が走ることでみんなが喜んでくれる。今はそれが何より嬉しいんです。
バンビ……。
その話を聞いて、ピンと来ました。楓さん、あなたはおそらく、エトワールの適格者です。
エトワール、ですか？
（柚希センパイと朝姫センパイが履いてるやつだ。）
うん。なんか、今の話聞いててエトワールっぽいって思った！
そうそう。そりゃ、やるからには勝ちたいけど、それはあくまでみんなで笑えるためって感じだから。なんか分かる。
現役のエトワールユーザーのお二人からも貴重なご意見が聞けましたね。
それでは、楓さん、今度はエトワールを試してみましょうか。
はい！
お、さっきよりもすんなりと履けましたな。
それでは自分のタイミングで、どうぞー！
（行くよっ！ エトワール！）
ハッ！ ハッ！ ハッ！ ハッ…
楓：
（また来た！ フットギアから色んな感情が流れてくる……心を……掴んでくる……！？）
ナカマノタメニ！ ……ナカマノタメニ！
ソノタメノ！ ……チカラガホシイ！
(……でも今度は大丈夫だ！ このまま駆け抜けるっ！！)
おお！ さっきよりスピードも出てる！
(すごい…！ どんどん速くなる…！ なんだか…走ってるのが私じゃないみたい……)
やっぱりエトワールで決まりね！
……。
(……！？ ちょ、ちょっと待って、待って…！ 止まって！ 止まってーー！！！)
……！ いけません！ これはフットギアの暴走です！ 楓さんを止めてください！！！
えっ！
くっ！ 止まれッ！！！ グッッ
ッ…！！
はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。
だいじょうぶ！？ バンビ！
は、はい……。
一体何が起きたんだ……。
はぁ、はぁ、はぁ……。
茉莉：
暴走……、まさか、特異体質？
マイ：
その可能性はあります。
トクイ、タイシツ？
マイさん、なんですか？ 特異体質って。
マイ：
例えば、催眠術にかかりやすい人とかかりにくい人がいるように、シンクロにも、シンクロしやすい人としにくい人がいるんです。
マイ：
おそらく楓さんはその素直すぎる性格がゆえに、精霊エトワールの思念を短時間で大量に体内へ取り込み過ぎたことで、楓さんの意思が乗っ取られ、フットギアが暴走してしまったのだと思います。
つまり、バンビ殿はエトワールとシンクロし過ぎてしまったと。
簡単に言えば、そういうことになります。
知らなかった。相性が良すぎるっていうのも、考えものなのね……。
おそらく楓さんは、どんなギアタイプのフットギアもある程度使いこなせる反面、相性のいい精霊ではかえってシンクロが進行しすぎて制御不能の状態に陥ってしまう……。
適性外反応を示したはずのナスターシャで最後まで走りきれたことも、これなら説明がつきます。
困ったな。エトワールでダメなら何を履いたらいいんだ？
マイ：
……！！ もしかしたら！！
どうしたんデスカ？
マイ：
楓さん、しんどい思いをさせてしまって、申し訳ありません。
ピッタリ合うフットギアが見つかるまではどうしても……。
どうぞ休んで待っていてください。
ちょっと、アレを持ってきます！
は、はい、私は大丈夫なので、引き続きよろしくお願いします。
（アレ、ってなんだろう。）
アイリスのメンバー達は、目の前で楓のフットギアが暴走するのを見て、少し静かになってしまっていた。
脚立を登り降りする音だけが響く。
そんな時間が少しのあいだ続いた。
マイが戻ってくる。
楓さん、これを履いてみてください！
これは……？
名をシルフィードといいます。風を司る、精霊シルフィードが宿っています。
シルフィードって言ったら、エリカさんの履いてるやつだ！
(エリカさんって、さっきの雑誌に載ってた人だ……！)
その通りです。神宮寺さんは、現役ランナーでこのシルフィードを履いている最後の選手です。
（エリカさんしか、履いてないんだ。）
マイ：
この型は、ランスリット社から18年ほど前に発売された、かなり古いモデルです。
現在はほとんど在庫がありません。
現代では研究が進み、よりシンクロしやすい4タイプの精霊石が発見され、今やフットギアは性格さえ合えば誰でも履きこなせるものとなりました。
しかし、このシルフィードはそうはいきません。今皆さんが履いているフットギアよりも、ずっとシンクロが遅いのです。
えっ、そうなんですか？
マイ：
はい。というのも、気高きシルフィードは、持ち主をすぐには認めようとしません。
まるでランナーを試すかのように、一つひとつ試練を与え、その持ち主が本当にシルフィードを持つにふさわしいか、じっくりと見定めていくと言われています。
そして、それらを乗り越えて初めて、持ち主に心を開き、徐々にシンクロを進行させていきます。
ヘレナ：
エリカさんの他に誰も履いてないと思ったら、そんなに扱いが難しいフットギアだったんデスネ。
はい。あれは二年前のことです。
エリカさんは18歳になり、フットギアを履くことができるようになったことで、ここへ来店しました。
まずナスターシャ、それからヘルメスを試しましたが、どちらも悪くない反応でした。
ですが、彼女の表情はどこかしっくり来ていないようでした。
しばらく沈黙したのち、彼女は自分の口から「シルフィードを試させていただけますか」と言ったのです。
その光景は本当に不思議でした。まるで、ずっと前からそれを履くよう、何かに導かれているような。
私は、半信半疑でシルフィードを渡しましたが、彼女はその場ですぐ、その強い意志と精神力でシルフィードの試練に打ち勝ってみせました。
その場で？
彼女は本当に特別です。
だって他の精霊の反応も悪くなかったんですから。はっきり言って、今の時代に、シンクロに苦労するシルフィードをわざわざ選んで履くような選手は、本当に神宮寺エリカさんただ一人くらいです。
他の選手は普通、4タイプに分かれてからの、新世代のフットギアの中から選びますから。
そして彼女は、現代でシルフィードを扱える、唯一のランナーとなりました。
というか、そんな代物を履けていた昔の人って凄かったんですな。
あ、履きこなせてたかどうかはまた別ですか。
それはもう本人達にしか分からない領域ですね。
少なくとも私が見る限りでは、神宮寺さんほど履きこなせている選手は、当時もいなかったように思います。
聞けば聞くほど凄いデース。神宮寺エリカさん。
でも、便利なものがあるなら、使ったっていいじゃない。
真夏に、クーラーがあるのに付けないようなもんでしょ？
スイートスポットが極端に狭いラケットのようなものかもしれない。
ちゃんと当てるのは難しいけど、しっかり当てられれば通常のラケットより強力なボールが打てる。
今のフットギアは便利で助かるけど、もしシルフィードとシンクロできたら凄い力が出せそうだね。
朝姫：
ちょ、ちょっと思ったんスけど！
エトワールに心を乗っ取られそうになったバンビが、そんな扱いムズそうなフットギアを履いて大丈夫なんスか？
……。
楓さんの場合、普通のフットギアではシンクロが進みすぎてしまいます。
……そうか！ つまり、普通の人にとって遅すぎるくらいのスピードでシンクロが進んでいくシルフィードならば、逆にバンビ殿にはちょうどいいと？
はい。それが今のところの私の仮説です。
うーん、そんな凄いフットギア、私に履きこなせる自信、ありません……。
マイ：
楓さん。
は、はいっ！
今あなたは、これまで陸上経験がないということもあって、ランナーとしては真っさらな状態です。
それに加えて、楓さんの、どんなものでも受け入れようとするその素直さもってすれば、シルフィードを操れる…いいえ、シルフィードと自在に呼吸を合わられる新しいタイプのランナーになれるかもしれません。
シルフィードを試してみてくれませんか。
なんでも受け入れられる素直さ……。
大丈夫。これを履いて、後になってから暴走しないために、私のようなシュー・マイスターがいるんです。
だから、怖がらないで。
（私、何だか分からないまま駅伝部に入って、今日だってみんなに言われるがままここに来て……。
目についたものにすぐ飛びついて、見つけた曲がり角をなんとなく曲がって……そんな風に今までの人生、過ごしてきちゃった気がする。
分かってる、私の悪い癖なんだ。）
……。
（けど今は、そんな私の性格が必要なんだよね？
素直さ……、か。
今まで自分の短所だと思ってた部分が長所になる。もしも、そんな世界があるのなら、
……見てみたい。）
私、やってみます。
（ほぉ……。）
（うん。）
(深呼吸の音)
すーーー。ふうーーー。
（精霊シルフィード。私に力を貸して！）
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ！
（……来た！）
そなたか、私を呼ぶのは。
(……！？ さっきの精霊たちよりもずっとハッキリ聞こえる……)
どうして、力が欲しい。
(えっと……、なんでかな。
あっ！ みんなに喜んでほしいからです！)
精霊シルフィード：
喜ばせて、どうする。
（どうする……？ それで終わりです。）
ふん。では質問を変える。
……そなたはどうなりたい？
（私がどうなりたいか……？ うーん、考えたこともなかった。）
精霊シルフィード：
……。
楓：
（待って！ 行かないで！ 私がどうなりたいかでしょ？ えーっと、えーっと……。）
いいだろう。今はまだ答えが見つからなくてもいい。
だが、もしこの先、そなたのなりたい姿が見つかった時は、その姿を、強く、強く、イメージすることだ。
（私、正直怖いです。なんだか、フットギアを履いたら、自分が自分じゃなくなっちゃうかもしれない気がして。）
逃げることはできない。運命は既に動き出している。
これからお前が力を手に入れることで、妬み嫉みを買うこともある。
過度な期待をされて重圧に押しつぶされそうになることもある。
期待通りの走りができないことに対する自分への苛立ちが起こることもある。
だが恐れることはない。
しっかりと目を覚まして、自分の夢を見続けよ。
(自分の、夢……。)
そなたの夢が叶うよう、私はこれからあらゆるものに姿・形を変え、そなたの前に現れるだろう。
その時、決して、夢から目を背けるな。
しっかりと目を見開いて、夢を見続けろ。
さすれば、精霊はそなたの願いを聞き入れるだろう。
楓：
(待って！ あなたは一体……！)
（いなくなっちゃった。）
楓：
(私がどうなりたいかはまだ答えられなかった……。
今の私の夢は、……みんなの喜ぶ姿……？ そうだ、イメージするんだ、みんなの笑顔を。）
楓：
(……。）
おぉーっ！！
えっ？
その走りに、全員が見惚れた。
すっごく綺麗だ。
ステキ……。
……！ バンビ！
はぁ、はぁ……。
楓さん！ シルフィードが、楓さんを選んだようですよ！
わぁーっ！！
はぁ、はぁ……。
(えっ……、えっ……？ 本当に……？ シルフィードが……、私を……？)
いやぁ、それにしても驚いたよ。
遅いな〜と思って１階で待ってたら、楓がシルフィード持って上がってくるんだから。
本当に、どんなランナーになっていくのか楽しみだよ。
イメージしたらいいんですよね！
えっ？
シルフィードに言われたんです。自分のなりたい姿をイメージしろ、って。
……？
あっはっはっ。ああ、さっき精霊が宿ってるって言ってたのは、あくまで言い伝えで、本当に喋ったりできるわけじゃないんだぞー？
え？ そうなんですか？
バンビ……。本当に精霊と話したのか？
（あの声、みんなには聞こえてなかったんだ……！）
あはは。そんな、気がしたんです。
なーーんだ。本当に精霊と話したのかと思ったよ！
イケメンだった？ とか聞こうと思ったのに(笑)
でも楓なら、そんなことがあってもおかしくないかもな。
ははは、確かに。
この日、私の運命が大きく動き始めてしまったことは、
まだ知るよしもありませんでした。
