【第1話】 デメキン注意報! (後編)
文字数 4,025文字
楓:
いいよね? さっき途中になっちゃった探検の続きだもん!
楓:
うわぁ〜〜! カワイイお花!
なんていう名前なんだろう?
楓はふと周りを見渡した。
老夫婦に、家族連れ。若いカップルも目立つ。
皆、誰かと一緒にいる。
楓:
はぁ……。
私、こんなに広い空の下で、ひとりぼっちじゃ……。
楓が向いているのは太平洋側で、岡山とは丸っきり反対の方角なのだが、視界を果てしなく覆う空を見ていたら、それすら分からなくなってくる。
とにかく自分の故郷は、この空の下のどこかにはあるけれど、すぐには戻れない場所にある。
そんな実感が急に湧いて、寂しさでいっぱいになった。
楓:
せっかくお母さんとおんなじ憧れの大学に入れたのに、思い描いてたんと全然違ったなぁ。
やっぱり、憧れは憧れのままにとどめておいたほうが良かったんかなぁ。
楓:
はー!なんか大声出したらスッキリしたわ。帰ろーっと!
楓:
すみません。このパオーンアイスっていうのを、普通のサイズで、ひとつくださいな。
アイス屋の店員:
あいよ!
今作るからちょっと待っててね。
店員は専用の機械から出てくるソフトクリームを渦巻き状にコーンへ乗せていく。
アイス屋の店員:
お嬢ちゃん、このへん来るの初めて?
アイス屋の店員:
このアイス、初めて見るみたいだったから。
アイス屋の店員:
いやいやこっちの話……。
(とても大学生には見えないとか、そんなこと思ってない、思ってない……。)
楓:
この春に岡山から来たけぇ、まだひとりも友達おらんくて。
アイス屋の店員:
へえ! はるばる上京してきたのかー!
楓:
そうなんです!
田舎もんっぽくて恥ずかしいから、こっちでは東京弁で喋るようにしてるんですけど、お母さんと電話する時だけは岡山弁に戻っちゃうんです!
アイス屋の店員:
あははは。まぁ方言も、可愛くて俺は好きだけどね。
(今もちょいちょい訛ってるけどね。笑)
楓:
ふふ、ありがとう!
それでな、私、寂しすぎて、いまそこで海に向かって、友達ほしぃーって叫んどった!
楓:
でしょー?それでな、おーきい声出しよったら、急にお腹が減って来てな、可愛いぞうさんのアイス屋さんを見つけて、吸い寄せられてきたんよ。
アイス屋の店員:
あっはっは、そりゃちょうど良かったね。
アイス屋の店員:
(人は見かけによらないな。明るい子みたいだけど結構苦労してるんだ。)
はい、完成!
楓:
わあーかわいいー!ぞうさんのお鼻の形になってるー!
アイス屋の店員:
(……それでもやっぱり大学生には見えないけど。)
アイス屋の店員:
うん。頑張る若者にお兄さんからのエールだ!
楓:
うーん。でもやっぱりちゃんと払います。
えーっと、お財布……アレ?
よく聞くと、わざとらしいくらいの、いかにも猫っぽい鳴き声が聞こえる。
楓はようやく足元の黒猫の存在に気がついた。
首を傾げ、くっきりと開いた眼でこちらを見つめていた。
そして猫は、なんと楓の財布を前足で踏んづけている。
間違えようがなかった。その財布は『出目金デメ子』というアニメキャラを形どった、かなり変わったデザインをしている。
今にも飛び出そうな大きすぎる目をしていて、その見た目があまりに不細工でヘンテコなのだが、楓はそれを世界一可愛い財布だと錯覚したまま長年愛用している。
叫び声を聞くやいなや、黒猫はすぐさま財布を咥え、走り出していってしまった。
アイス屋の店員:
ちょ、ちょっとお嬢ちゃん、アイスは!?
アイス屋の店員が屋台を出て追いかけようとしたが、楓はもう遥か先まで猫を追いかけていってしまっていた。
あまりの速さに、店員は自分の目を疑った。
店の帽子を取り、その姿をもう一度よく見る。
客:
すみませーん。
パオーンアイス、レギュラーサイズをふたつー。
すみませーん。
アイス屋の店員:
(ハァッ、ハァッ、ハァッ…)
なかなかやるじゃないか!
箱根駅伝9区・区間5位の俺がすぐに追いつけないなんて!
楓は花飾りのついたパンプスを履いていた。
大学入学を機に、周りから浮かないようにと、背伸びして買ったものだった。
しかし、あまりに遠慮なく地面を蹴り上げて走っていくので、小綺麗なパンプスがランニングシューズにすら見えてくる。
アイス屋の店員:
あんな格好でよく走れるな…、一体どうなってんだ。
だが!元・箱根ランナーのスタミナをナメるなよ!!
「ザザッ」
黒猫が草むらへ入っていく。
「ザザッ」
楓もそれに続いて追いかけた。
アイス屋の店員:
おいおい、嘘だろ……、この草むらの中に突っ込んで行っちゃったのか??
まいったなー。
蓮李:
(今朝会ったイノシシみたいな走りの子……。キャンパスにいたってことは、きっとウチの学生だ。)
蓮李:
(すぐに追いかけたのに、角を曲がったらもういなくなってた。本当に信じられないスピードで走ってた。)
蓮李:
(予選までもう時間がない。なんとかして探し出して、もう一度会いたい・・・・・・。)
楓の横顔が通り過ぎる。
その一瞬の出来事が、蓮李にはスローモーションのように感じた。
蓮李:
さっき言った、猛ダッシュでキャンパスを走ってた子!あの子だよ!
追いかけよう!!!
楓:
危なかったー!
避けてくれなかったら激突しそうだったよー!
楓:
あのお財布、お金が入ってるし、何より私の宝物だから! なんとしてでも取り返さなくっちゃ!
楓:
げーー!!怒って追いかけて来てる!さっきの人達!!
楓:
でもゴメンなさい!今は止まれないんです!
待てぇーー!
逃げる黒猫のほうもさすがに疲れてきたのか、人の届かない高さの塀の上に飛び乗り、休むようにしてこちらを振り向いた。
気づくと、楓だけではなく、随分と大勢の人間に追いかけられている。
黒猫は驚いて、コメディ漫画のように口をあんぐり開けた。
そして、出目金の財布を塀の上にポトリと落とし、そのまま財布を置き去りにして、塀の向こうへ飛び降りて逃げて行ってしまった。
楓は財布が無事見つかったことで胸をなでおろしたが、楓の背では塀の上に手が届かない。
思い切りジャンプして取ろうとしてみたが、届かない。
しかも、ジャンプした拍子に勢い余って転んでしまった。
足に馴染んでいない真新しいパンプスが片足、脱げてその場に転がった。
そうこうしているうちに、さっきぶつかりそうになった人達に追いつかれてしまった。
楓:
さ、さっきは急いでいたもので……!
ほんっとうにすみませんでした!!
急いで謝ったが、一番先頭で追いかけてきていた人がこちらへ近寄ってくる。
楓:
へ? は、はい。 そうです。
(あれ、実はお財布なんです……)
何を言われるのだろうかと見ていたら、その女性は塀の上へ向かってジャンプし始めた。
なんと財布を取ってくれるらしい。
彼女のモデルのようなスラッとした体型や長い髪、大人っぽい顔つきがあまりに綺麗で、ボーッと見つめてしまった。
素敵な男性が、高い所の物を取ってくれるというのに憧れる女性は多いかもしれないが、その光景は女性同士でも見惚れてしまうほどだった。
ぼんやりしているうちに、その女性はいつの間にか財布を取ってくれていた。
楓は少し頬を赤らめながらお礼を言って、財布を受け取った。
すると、財布から何か布のようなものが垂れていることに気がついた。
風が一瞬吹いた。布がヒラッとなびく。
見ると、何やら輪っか状の長い布が巻きつけられている。
楓のものではない。
追いかけてきた他の人達が、こちらの様子を神妙な面持ちで見ていた。というより見守っているように見えた。
女性はその綺麗な瞳で楓のことをじっと見つめた。
二人の間に静かな時が流れたあとで、ようやく口を開いた。
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