【第3話】 バンビ (前編)
文字数 2,183文字
茉莉:
初めて走った1500でこのタイム……。
普通ではちょっと信じられません。
立花監督:
ちゃんとペース配分教えたら、4分半はすぐにでも切っちゃいそうだな。
4分半って言ったら、高校生ならインターハイに出られるようなタイムだ。
茉莉:
最後に一瞬見せたあのスパートなんか、それこそインターハイの決勝かと思うほどでしたな。
立花監督:
実際に出た本人が言うんだから、説得力があるな。
楓:
おはようございます、楓です。授業の前に荷物だけ置きに来ました!
楓が駅伝部に入ってから1週間が経った。
少しずつ練習のリズムには慣れてきたものの、夜には何もする気がおきないくらい疲れ切って爆睡する。そんな日々が続いていた。
最初の1週間は元いた学生寮から通っていたが、今週からは駅伝部の寮で部員達と寝食を共にし、本格的に練習に参加する。
心枝:
楓ちゃんの部屋は二階にあるの。先に届いてた荷物も上に運んであるよ。
心枝:
私達二人と茉莉先輩の部屋はこっちのA棟にあるんだー。
茉莉先輩は寮長もやってるよ。
A棟の1階は共同スペースになってて、ここには先生も出入りするし、ご飯食べたりテレビ観たりする時はみんなこっちに来るし、ミーティングもここでやるの。
だから私達は移動がちょっとラクだね。
心枝:
道路挟んだ向かいにも似たような家があったでしょ?
あっちがB棟で、お姉ちゃんと、朝姫ちゃんと、ズッキーと、ヘレナちゃんの部屋があるの。
あ、ズッキーっていうのは柚希ちゃんのことね。
楓を駅伝部に誘ってくれた4年生の二神蓮李(ふたがみ れんり)先輩は、右も左も分からない楓に対して手取り足取り面倒を見てくれている。
蓮李先輩の二つ年下の妹・心枝(このえ)先輩は、駅前に最近できたフルーツパーラーで食べたパフェが美味しかった話をしてくれた。
4年生で寮長の歌川茉莉(うたがわ まつり)先輩には、好きな漫画はあるかと聞かれたので、『出目金デメコ』の話をたくさんした。
気さくに話しかけてくれて、一番気が合いそうなのが2年生の池田朝姫(あさひ)先輩。
次の休日には元町にある美味しいパン屋に連れて行ってくれるそうだ。
同じ1年生の安藤ヘレナは、フランス人の父親と日本人の母親を持つハーフだという。
楓のことは、日本人形のように小さくて可愛いと溺愛(?)してくれている。
授業が終わり、16時からの全体練習に備える。
この日は、授業の忙しい法学部の朝姫を除いた六人が先に集まり、円形になって準備運動を始めようとしていた。
楓の人懐っこい性格、さらには、みなと駅伝出場に必要な待望の七人目の部員ということもあり、入学してから友達ができず悩んでいた頃が嘘のように、すぐに駅伝部のメンバーと打ち解けることができた。
ただ一人、この先輩を除いては……。
柚希:
ちょっと新入り! そこ、私の場所なんだけどっ!
甲高い声でそう言い放ってきたのは、2年生の小泉柚希(ゆずき)だった。
駅伝部の部員は総じて華奢な体型をしているが、この人は特にか細い。
お嬢様風のまとまりのあるサラサラヘアーはキツい練習の後でもあまり崩れないので、羨ましいを通り越して皆不思議に思っている。
普段から、アイスキャンディーのような濃い水色や真っピンクなど鮮やかな色のシャツ姿で練習に登場するので、広いグラウンドの中にいても一目でどこにいるのか分かる。今日は、黄色いTシャツだった。
近くで見ると、その奇抜な色も去ることながら、運動部らしからぬ白い肌にも目がいく。
蓮李:
おいおい、柚希ー。楓はまだ慣れてなくて、色々教えてあげないといけないんだから、しょうがないだろ?
柚希:
私、今日2限で終わってさっきまで身体動かしてたんで! 先にジョグ行ってきます!
そう言い放ち、柚希はキャンパスの敷地外へ走りに行ってしまった。
蓮李:
ごめんな、楓。そんなに気にしなくていいぞ? ったく、どうしちゃったんだ? 柚希のやつ。
茉莉:
ユズキ殿、去年入学してきてから準備体操の時はずっと、レンリ殿の右隣が特等席でしたから。
蓮李:
なんだ、そんなことか。じゃあ、左隣にでも来たらいいじゃないか。
茉莉:
いやいや。この際、隣とかどうとかはそこまで重要ではありませぬ!
茉莉:
レンリ殿があまりにカエデ殿につきっきりだから、きっとヤキモチを妬いているんでしょうな。
いやぁー、モテる女はつらい! ウンウン。
茉莉:
いえいえ、全然? たまにはこのマツリちゃんにも構って欲しいですぞー?
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