妖精の羽根 (7区 2km)
文字数 2,023文字
7区の序盤は、スタートしてすぐは緩やかな上り坂が少し続いた後、汐汲坂(しおくみざか)の交差点を曲がったあたりからは、元町まで一気に駆け下るコースになっている。
桜井が振り返ると、9秒後ろにいたはずの楓がすぐ後ろまで迫っていた。
楓は、重力に身を任せるかのごとく、無心でこちらに落ちてくる。目は大きく見開いていて、視線が全くブレない。まるで桜井の姿など見えていないように、遠くを見つめて離さなかった。
楓の脚先が、
異様な妖気をまとって煌めき出した。
足取りが羽根のように軽くなる!
楓の視線が一点に集中する!
周囲の空気が弾ける!
次の瞬間、楓は、桜井の遥か前方に現れた。
そして、にわかには信じがたいことだが、その背中にはうっすらとした羽根が生えていた。
ただ立っているだけでもよろけるような急な下り坂。楓の足は、路面に軽く触れるだけで、転がるように進んでいく。
横浜シーサイドライン組の二人、
八景島駅からヘレナ、野島公園駅から茉莉も
ゴールに駆けつけた。
ヘレナはメンバー全員とハイタッチを
交わしながら登場した。
蓮李:
二人とも区間賞おめでとう。
すまない、
二人の貯金を全部使ってしまって。
ヘレナ:
ナニ言ってるデスカ!
区間賞を獲れたのだって、
ここまで引っ張ってきてくれた
キャプテンのおかげデース!
茉莉:
あれだけのメンバーが揃った中で、
区間3位とは。
やっぱりアイリスのエースは
レンリ殿しかいませんな。
デルフィ大・天野:
あなた方、こんなに強かったのですね。
デルフィ大・黒田:
ローズやジャスミンの人達と、
ここまで渡り合えるなんてスゴいです!
こんなに強いチームと、一緒に
合宿ができたことを誇りに思います。
蓮李:
黒田さんこそ、区間賞おめでとう。
来年も楽しみだね。
デルフィ大・黒田:
いやいや、
今日のは獲らせてもらった区間賞です。
黒田:
今度は自分の力で手繰りよせます。
区間賞も、チームの勝利も。
(中継の音声):
さて1号車から見ていても、
あっという間にアイリス栗原、
その姿が大きくなって来ました。
2号車です。
(中継の音声):
はい。2号車です。
みなと駅伝のニューヒロイン誕生です!
その名は栗原楓であります!
既に1人を抜いて2位に上がっている栗原。
1キロの通過がなんと2分54秒でした。
まるで男子選手のようなペースで、
トップを行くジャスミンの又吉との差を、
もう20秒にまで、縮めてきました!
黒田:
楓がフォアフットになってる。
まるで神宮寺さんみたい。
茉莉:
"みたい"ではなく、
ひょっとしたら、いまのバンビ殿には、
本当にエリカ殿が憑依しているのかも
しれませんな。
茉莉:
夏合宿中、
デルフィ大学と駅伝をした際に、
バンビ殿が突然倒れてしまったことが
ありましたな。
茉莉:
あの日、バンビ殿は
朝から少し様子が変でありました。
口数が少ないというか、
話しかけても、どこかうわの空というか。
そして、今日の朝も同じでした。
黒田:
あの日、隣で見ていましたけど、
下り坂で急にスピードが
上がったんです…、あっ!
今日も下り坂だ…!
茉莉:
いかにも。
レース前の沈黙。下り坂。そして劣勢。
バンビ殿はおそらく、
いくつかの条件が揃った時に、
未知なる力を発揮することができる。
黒田:
トップスピードに乗った時の
楓の走りは怖いぐらい速かったです。
まるで羽根でも生えたかのように、
音も立てず、進んでいくんです。
そしてそのあと…、あっ!
ってことは、今日も倒れちゃうんじゃ。
茉莉:
私もそれを心配しました。
ですがバンビ殿はあれから、
自分の力を使いこなすために
トレーニングを続けてきました。
ここまで見た限りでは、
どうやら大丈夫そうですな。
黒田:
フォームといい、
脚の巻き付けの速さといい、
神宮寺さんそっくりです。
茉莉:
エリカ殿と同じシルフィードを履き、
エリカ殿の背中を追い続けてきた、
バンビ殿は今、
下り坂の加速を利用して、
エリカ殿の"天使の羽根"に近い状態
を作り出しているんでしょうな。
蓮李:
体幹を鍛えるために取り入れた、
竹馬トレーニングの副産物か。
黒田:
神宮寺さんの"天使の羽根"を
模倣した走り…
さながら、"妖精の羽根"
と言ったところでしょうか。
あの技は、
いわば神宮寺さんの専売特許。
真似しようと思って
誰でもすぐできるものじゃない。
そんなことができてしまうなんて、
やはり彼女の潜在能力は
計り知れませんね。
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