【第2話】 カエデ、走ります! (後編)
文字数 6,401文字
蓮李:
おはようございます。
この子、見学に来てくれた栗原楓さんです。
楓:
あーーーっ !?
このあいだの、アイス屋のおじちゃん!!!
あぁ。花屋のほうは、お客さんに1本サービス!とかやってたら、店長にバレてクビになってしまってな。
楓:
(アイス屋でも私にサービスしようとしてたような……)
これからまた色々と遠征が増えるから、貯めておかなくちゃいけないんだ。
というか! 今おじちゃんって言ったな! まだ僕は30…
立花監督:
そう。監督の立花だ、よろしく。
いやぁー、実は俺もこの子の走りにひと目惚れして、追いかけたんだけどなー。
あまりに速くて、しかも何の躊躇も無く草むらに突っ込んでいくもんだからさ、見失っちまって。
あとから追いついたら、蓮李達が声かけてるのが見えたから、あとは若いもん同士に任せたんだよ。
蓮李:
すごいじゃないか。監督を振り切るなんて!
この人、こう見えて学生時代は箱根駅伝を走ったこともあるんだよ。
立花監督:
こう見えてとはなんだ! 現役の頃よりは衰えたが、まだまだ教え子には負けないぞ。
いやーでも良かった良かった、無事に来てくれて。
立花監督:
蓮李。今日はセンゴのTTをやるぞ。
そんで、楓にも走らせる。
蓮李:
センゴは1500メートル。ティーティーはタイムトライアルのこと。
楓:
えーっと、1500メートルって何キロだ? えーっと、えーっと、えっ! 15キロ!?!?
立花監督:
予選まで時間がない。まずはどれだけ走れるのか、今の力をなるべく早く把握しておきたいんだ。
よーし。ちゃんと、動ける格好だな。
陸上経験は? どれくらい?
蓮李
いえ。小学生の頃に自分で走ってたことはあるそうなんですけど、陸上部ではなかったらしいんです。
立花監督:
バスケか! じゃー、スタミナは問題無いな。
楓:
あのー、でもまだ私、入ると決めたわけじゃ……。
楓:
はい……。一応、地元の大学からも、いくつか誘ってもらってたんですけど。
楓:
けど私、背が低いので。
上のレベルに進むにつれて、自分の身長が不利だってことを思い知らされるんです……。
そういうのに、なんだか疲れてきちゃって。もうバスケはいいかなって……。
だから、大学では部活とか入る気全然なくって、キャンパスライフを満喫するつもりで上京してきたんです。
立花監督:
なら、よかったな。駅伝は身長関係ないし。
立花はそう頷いて、地面スレスレから楓のシルエットを眺め始めた。
立花監督:
それに、直立した状態で、この少しカカトの浮いた立ち姿だ。
そして適度に突き出たヒップ!
うーん。ますます可能性を感じずにはいられない!
楓:
そ、そんなに期待されても、私、駅伝なんてやったことないですし……。
立花監督:
楓。まず一回走ってみよう。
大丈夫、そんな大げさな期待はしてない。練習なんだし、リラックスだ。
楓:
は、はい。
(私、返事しちゃってるけど、何が何やら……)
楓も一緒に混ざって準備体操をした後、駅伝部のメンバーはシューズを履き替え、次々と走り出していく。
いよいよこれから練習が始まるようだ。
靴紐を結び直している楓のところへ、監督と蓮李が近寄ってきた。
楓:
私、こんな立派なグラウンドで走るの、初めてです。
立花監督:
そうか。トラック自体、走るの初めてか。
本格的な練習に入る前に、ああやって周りの芝生で軽く走って足を慣らすんだ。
蓮李:
緊張してる? 大丈夫だよ。
さ、一緒に行こうか。
蓮李に連れられグラウンドに入ると、他の部員の視線が一気に楓に向いたのが分かった。
楓は急に恥ずかしくなって、蓮李の後ろに隠れるようにして芝の上を走り始めた。
楓:
(小学生の頃も、こうやってお父さんの後ろを走ってたなぁ。)
立花監督:
よーしっ、アップは済んだな? 集合してくれ!
……今日はこれから、1500のTTを行う。
蓮李(れんり)、朝姫(あさひ)、柚希(ゆずき)、ヘレナ、それから新しく加入した楓。
この5人で走ってもらう。
立花監督:
茉莉(まつり)と心枝(このえ)は、タイムを測ってくれ。
立花監督:
蓮李、最初は1周78秒くらいで、引っ張ってくれ。
立花監督:
みんなもいいな? ラスト1周はフリーにするから。
心枝:
ひそひそ。
(先生、大丈夫なんですか? いきなり。)
立花監督:
ひそひそ。
(なぁに。俺も、最後までついて行けるとは思ってないさ。ちょっとレベルを見るだけだよ。)
立花監督:
楓、最初は行けるところまで、みんなについて行ってみてくれ。それを見て、俺も今後の練習を考えるから。
楓:
……が、頑張ります。
(まだ入ると決めたわけじゃ……)
立花監督:
このトラックが1周400mで。これを約4周する。
最初のスタートだけここから始めるけど、ゴールは、いま茉莉が立ってるあのあたり。
まあとにかく、みんなについていったら分かるから。
五人、縦一列、一斉にスタートした。
今朝、家を出た頃には、まさかこんなに本格的な練習をやるとは思っていなかった。
スタートラインに立つ時、さっきまで朗らかだった他の四人の、そればかりかストップウォッチを持った二人の雰囲気までもが一変したのが分かった。
表情は真剣そのもの。それでいてどこか余裕も持ち合わせている。
みな軽々と先頭の蓮李が作るペースについていくが、楓も最後尾から必死に食らいついた。
楓:
(結構キツイっ! こんなスピードで4周もするの……!?)
心枝:
はーい、1周目〜!
76〜、77〜、78! ……78秒2〜!
楓:
(すごい……。78秒って……、さっき監督に言われたとおりだ。)
二周目の最初のカーブ。先頭の蓮李が一瞬後ろを振り返り、微笑んだのが見えた。
立花監督:
はーい、硬くならないよー。
ラクに、ラクにー。
楓:
(お父さんは……、私を色んなところに連れて行ってくれたよね。
公園に行ったり、山のほうまで行ったり。最初は疲れるだけだったけど、だんだん楽しくなって、今ではどれも大切な思い出……。)
立花監督:
はい、呼吸意識ー! しっかり吐いてー、吐かないと入ってこないよー。
心枝:
はーい、2周目〜!
75〜、76〜、77! ……77秒4!
楓:
フウッ、フッ、フウッ、フッ。
(あれ? もう二周終わったんだ。)
(一周目はキツかったけど、二周目はだんだん身体が軽くなってる? ……慣れてきたかも!)
柚希:
(蓮李センパイも、微妙にペース上がってるし!)
立花監督:
行けるとこまでのつもりだったけど、もしかして最後まで走り切れちゃうか?
立花監督:
(見た目150無いくらいの身長しかないけど、代わりに全身を目一杯使ってストライドを稼いでいる。
腕もよく振れているし、何よりあの接地の仕方は……。)
立花監督:
(足の前部から着地して、その衝撃で一気にアキレス腱を伸縮させ、スムーズに次の動作へ移っている……。
教わったってなかなかできるもんじゃないぞ!あれは。
楓、キミは一体……。)
楓:
ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ!
(さすがに苦しくなってきたかも……他の人達は苦しくないの?)
楓:
(でもやっぱり、スタートした時の余裕とは違ってる気がする……!)
スイッチが入ったように、前の四人がギアを切りかえた。
ペースが一気に上がる。
楓は瞬く間に置き去りにされた。
楓:
(ついて行けてたと思ったのに。まだあんなに速くなるなんて……!)
楓も最後の力を振り絞る。
だんだんと自分の身体が思いどおりに動くようになってきた。
血が騒ぎ出す。
走ることがただ楽しくて走っていた、小さい頃の気持ちが蘇ってくる。
気がついた時には、目の前にいた柚希と朝姫をまず抜き去っていた。
ついに楓はヘレナを抜いた。
自分の鼓動がうるさいぐらいに大きく速くなっていくのが分かった。
ついに楓の目の前には誰もいなくなった。
今日初めてトラックを走った陸上初心者が、経験者の四人をまとめて抜き去ってしまった。
茉莉:
おーーい、もうちょっとでゴールですぞーー! がんばれーー!
楓はそこまでで力をすべて使い果たしてしまっていた。
次の瞬間から、スイッチが切れたようにスピードが落ちていく。
つい数秒前に楓に抜かれた四人が、今度は楓を次々と追い越していく。
茉莉:
4分、41ー、42ー、43ー!
44ー、45ー!
蓮李が4分43秒で1位。
その次、ヘレナが4分45秒で2位に入った。
楓はゴールのところで両手を地面についてうずくまり、そこから動けない。
心枝:
そ、そんなに悔しがらなくても!
普通、初めてでこんなに走れる人いないよ!?
楓:
すごいすごいすごい!!!
みなさん、すごいです!!!
楓:
私、とにかく楽しくて楽しくて!!
皆さん最後の一周でダァーーッ!って速くなって!!! ガァーーーッ!って抜いていって!!!
すごくカッコよかったです!!!
蓮李:
楓も、カッコ良かったよ。ゴールがあと200m手前だったら負けてたかもしれない。
楓:
私も、一生懸命練習したら、皆さんみたいに走れるようになりますか!?!?
ヘレナ:
カエデ、もっと練習したら、もーっと速くなりマース!!!
楓:
……私、走ってる時に色々なことを思い出したんです。
楓:
昔、お父さんと走りに出かけた時のこととか、走るのがこんなに楽しいんだってことも。
立花監督:
楓。さっき、トラックを走るのは初めてだって言ってたけど、一体どんなところを走ってたんだ?
楓:
えっとー、なんと言いますか、こういうちゃんとした平たいところじゃなくてー、山道とか、もっとこうー、デコボコしてる感じのところを。
楓:
小学校に上がる時、家から一人で通える体力がつくようにって、お父さんがランニングに連れ出してくれたのが最初だったんです。
楓:
私の実家、小学校まで丘ふたつぐらい越えないといけなかったので。
蓮李:
そっかー。楓に走る楽しさを教えてくれたのは、お父さんだったんだね。
あんな凄い走りを見せてもらえたんだ。いつか私からもお礼が言いたいくらいだよ。
楓:
あっ、お父さんは……、6年前に亡くなってしまったんです。
蓮李:
えっ……、そうだったんだ。
ごめん……、私、知らなくて。
楓:
あ! そんな! 気にしないでください。
もう大丈夫に……、なりました。
それに、レンリ先輩のおかげで、このあいだ一瞬だけお父さんに会えたんです。
楓:
レンリ先輩が私を駅伝部に誘ってくれた時、
きっとひとりぼっちでいた私を見て、天国のお父さんがレンリ先輩の姿に変身して、助けに来てくれたんだって。
なんとなく、そんな風に感じたんです。
楓:
本当は、大学ではもっとゆるーいサークルとか同好会に入って、のんびり過ごすつもりだったんですけど。
そういうご縁なのかなって思い始めたら、自信なんか全然ないくせに、なんだか挑戦してみたくなってきて。
立花監督:
楓のお父さんは、今すごく喜んでくれているんじゃないかな。
立花監督:
走っている時、お父さんとの思い出が蘇ってきたんだろ?
そうやって思い出し続けている限り、お父さんは楓の心の中にずっといるよ。
立花監督:
って、スマン。いきなりこんなこと言われても、困るよな。
楓:
いえ。喜んでくれてると……、いいな……。
私、誰かを喜ばせるようなことって、あんまりできたことがないから。
小さな団地の夕暮れ時。懐かしくも、悲しい思い出のある景色だ。
今でも時々、思い出す。
揺れるカーテンレースの隙間から差し込む夕陽。
突然、夢も希望も奪われ、互いにもたれかかって泣く親子二人の肩が、無慈悲にも明るく照らされていた。
幼い頃の楓:
お母ちゃん。お母ちゃん、泣かないで。私がずっとそばにおるけぇ。大丈夫よぉ。
朝姫:
私は簡単に喜ぶけどねー。楓が一緒に走ってくれたら。
立花監督:
うん。部員が足りないって理由だけじゃなくて、いち指導者としても、チャレンジしてみることを勧めたい。
蓮李:
私からも、あらためて。
楓、私達の力になってほしい。
楓:
はい! どれだけ力になれるか分かりませんが、これからよろしくお願いします!
立花監督:
よーーーし、これでメンバーは揃った!
夢はでっかく、みなと駅伝優勝だーーー!!!
茉莉:
いや、あながち無茶な夢でもなくなってきましたぞ。
お父さんは、今は会えないところへ行ってしまったけれど、
いろいろなものを私に残していってくれたんだね。
この街に来て、最初に私を受け入れてくれた駅伝部のみなさんに、
これからたくさん喜んでもらえるように。
私、走ります!
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