第11話 トステ国のオング②
文字数 2,530文字
クイは仕事の際、黒い布で顔を覆い、その素性を知られないようにするのだが、オングは以前、ある仕事の際、切り合いの最中、顔を覆った黒布が取れてしまうという事があった。それを、たまたま通りかかった商人の夫婦が見てしまい、オングはその夫婦を切り殺した。「証拠を残さない」それがクイの掟だったのだ。その時、商人夫婦の運んでいた荷馬車の後ろにその様子を震えて見ている女の子がいた。年は五つか六つだろうか、オングはその子をどうしても殺せなかった。少女の怯えと怒りを含んだ目が、オングに剣を振り下ろす事をためらわせたのだ。オング自身孤児だった為、同情もあったのかもしれない。結局オングは、震える少女の手を取り、連れて帰って来たのだった。
ノアはオングが名付けた名前だ。連れてきた少女は一言も喋らなかった為、名前すら分からなかった。喋れないのは、両親を殺された事からくる精神的な理由なのか、生来のものなのかは分からなかったが、目だけはいつもオングを怒りで見つめていた。
オングが、首都のカナンから戻ると、町は前にも増して人が少なくなっているようだった。ここ近年の鉄鉱石の産出量の減少で、町を離れる者が後を絶たない。それでも、武器を作る為には鉄鉱石を掘らなければならないが、収入が減れば人は減る。町は新しい採掘現場を探し、あちこちに穴を掘ってみるが結果は芳しくなく、今度はその新しい穴を掘る人員まで減ってきていた。
「オング!戻って来たか。予定通りだな。どうだったカナンは?新しい仕事は見つかったか?」
仕事仲間のツバイが町の入り口で声をかけてきた。ツバイには留守中ノアの面倒を見てもらっている。勿論オングがクイであることは知らないので、今回は新しい仕事を見つけに出たと言ってあった。
「なかなか上手くいかないよ。どうだ?新しい採掘場所は見つかったか?」
「いや、厳しいな。新しい坑道を掘っちゃいるが、何も出てこねえ。」
「そうか…。」
「それにな。『カナリア』が効かない坑道が出て来てな。」
「…何?どういう事だ?」
「カナリアは生きてるが、人間には毒って事だ。もう、何人も死んでる。」
新しい坑道を掘る時は、文字通りカナリアと共に現場に行き、そこに毒ガスが無いかを確かめながら仕事をする。カナリアは人間より毒に早く反応する為、異変があれば人間はすぐにその場を離れることが出来る。それにより人間が命を落とす事はまずない。だがツバイの話によると、新たなガスは人間にだけ毒であって、カナリア以外の他の動物でも試したが、何も変化はないと言うのだ。
「そんな事が?信じられない。」
「俺だって信じられないよ。だが本当なんだ。そのせいもあってか、人は減る一方でな。実は俺も…もう限界かなって思ってる。」
「…そうか。」
「それから、これは言い辛い事なんだが…ノアが町の子供に虐められているようだ。」
「ノアが?」
「まあ、喋れねえって事もあるんだろうが、子供ってのは親の鏡だからな。おおかたこの状況で親が苛ついてるのが、子供にも伝染ってるんだろうよ。この間も顔に引っかき傷作って帰ってきた。俺がついていながら申し訳ない。」
「いや。お前のせいじゃない。いつも押し付けてすまんな。」
「んじゃ、俺もう行くよ。ノアはお前の家にいるはずだ。今日お前が戻る事は伝えてあるからな。」
「分かった。またな。」
家では、ノアが夕飯の準備をして待っていた。オングが家に戻ると、無言で足を拭くための水と手ぬぐいを玄関まで持ってくる。
「ただいま。…ありがとう。」
ノアは、オングの顔も見ずに用意してあった茶碗に料理をよそった。オングは荷物を降ろし、ノアの前に座ると、無言で食べ始める。ノアも手を合わせ祈ってから無言で食べ始めた。これがいつもの光景である。ノアが来てから一年間、二人はこうして暮らしてきた。
ふと見ると、ノアの顔にはツバイの言うようにひっかき傷があった。
「お前、虐められてるのか?」
ノアは、一瞬手を止め、オングを見るがまた無言で食べ始めた。
ノアがオングを見つめる目は、いつも怒りに満ちていた。オングはなぜか、この子になら殺されてもいいと思っていた。あの目は復讐したいと思っている目だ。オングは知っていた。夜中ノアが起きだして包丁を持っていることがある。だが、ノアは包丁を見つめるだけで、オングに向かってくることはなかった。もし、そうしてくるならば、オングはいつでも甘んじて受けるつもりだったが、まだ力が無いとでも思っているのであろうか、それともオングがいなくなれば自分が生きられないとでも思っているのであろうか、ノアはオングを刺し殺そうとはしなかった。
「ノア…この村はいずれ、無くなるかもしれない。今なら、ツバイに頼んでお前を引き取ってもらうことも出来る。」
ノアは、反応しなかった。オングはノアの背中を押すつもりで続けた。
「…いつでも、俺を殺してくれて構わない。誰もお前が殺ったとは思わないだろう。夜盗のせいにでもすればいい…。」
そこまで言って、初めてノアの表情が変わっている事に気がつく。それは、ポカンとしたような不思議そうな表情だった。その顔にオングの方が驚いた。
「え?お前は…その…俺を殺したいと思っているんじゃないのか?」
そう言うと、突然ノアが笑った。勿論声を出して笑ったわけではなかったが、頬を上げ目じりが下がり、クックと口から音が漏れていた。初めて見る可愛らしい笑顔だった。
「ち、違うのか…なんか、早とちりしてたみたいだな。」
オングがそう言うと、更にノアが笑う。何だかオングまで可笑しくなって、二人は出会って以来初めて笑い合ったのだった。
その夜、ノアの寝顔を見ながらオングは『この子を守りたい』と改めて思った。
だが、夜中に包丁を見つめていたノアはいったい何だったのか、その時のオングにはまだ分からなかった。