第10話 トステ国のオング①
文字数 2,219文字
普段、炭鉱夫をしているオングもまた、クイの一員であった。クイになる人間は、ほどんどが親のいない孤児で、幼い頃に拾われ、教育や訓練を受けクイとして育てられる。クイの訓練は人の来ない北の奥地で行われた為、寒さで凍えたり、厳しい訓練について行けずに死んでしまう子供も数多くいた。また、卒業試験では1対1の勝負が実践で行われ、どちらかが死ぬまで試験は終わらない。「殺す」という事に抵抗を無くす試験でもあったのだ。オングはクイになって十年が経つ。二十才後半で、年令の十倍を軽く超える人数を殺してきたのだった。
その日、オングは大神官カミルの下に仕事の報告に来ていた。皇室の中に位置する大神官の住まいを兼ねた神殿の奥、大神官だけが入ることを許された「祈りの間」で二人は静かに話す。
「あやつは死んだか。」
「はい。焼けて崩れた家屋の下敷きになり、ギルを失いました。」
「そうではない。棟梁のカチは死んだかと聞いておるのだ。」
「…はい。同じく下敷きになり死んだと思われます。」
「なら良い。下がれ。」
「は。」
そう言うと、オングはその場をあとにした。そしてふと思いつき、水麗宮に向かう。確か妃の護衛をしているトヌマが南方から戻ってきていると聞いた。トヌマもまたクイであった。その事は妃マルナも知らない。要するにトヌマは、妃の護衛と言うのは表向きで、妃の監視役が本来の役目だったのだ。それは、大神官カミルの命令によるものだったが、当然天子スミナルも承知していた。
「トヌマ。」
水麗宮の庭の草花に身を隠し、オングはトヌマを呼ぶ。
「オングか。今は誰もおらぬ。出てきて良いぞ。」
すると辺りを確認し、オングがトヌマの隣に立った。
「どうした?何かあったのか?」
「ギルが死んだ。仕事中、建物の下敷きになってな。」
「…そうか。残念だが、お前が無事でよかった。」
トヌマの言葉にオングは少し安心した。仲間の死はクイの中では軽く見られている風潮がある。隠密部隊とはそういうものだが、オングやトヌマと言った、仲間を思う気持ちを持つクイも少なからずいる。クイになりたての頃は、仲間の死を悼んでいる者も多いが、あまりにも多くの死を目撃し、自らも実行することで「死」に対しての感情が麻痺してしまう。しかし、それも仕方のない事で、感情を殺さなければ、精神が破壊されていく。むしろ、感情を無くした方が幸せなのかもしれないとオングは思っていた。
「トヌマ、お前はまだ人間の感情を持っているようだな。」
「フッ。どうだかな。妃の護衛と言いながら、妃の監視をしているぐらいだ。人としては最低なんじゃないか?」
「それは、お前の意志ではないだろう?」
「まあな。…この間、南方へ行ってきた。そこである女に会ったよ。」
「女?ほう、お前から女の話が聞けるとはな。」
「馬鹿、そんなんじゃねえよ。…その女は着物の染め師だが、水のように澄んだ心を持っていた。初めて見る物に目を輝かせては喜んでいた。何だか自分が汚れた人間なんだって思い知ったよ…。」
オングにはトヌマの気持ちが良く分かった。
先日、オングはナッカの鍛冶職人を背中から切り殺した。そして、その村に火を放ち多くの人間を焼き殺したのだ。棟梁のカチと言われた職人は反撃し、ギルを死に追いやったが、結果彼も死に、殆どが何も抵抗できないまま虐殺されたも同然だった。
この作戦には、意味があった。近年トステの地で鉄鉱石の産出量が減ってきたためである。原因は分からないが、投石器が改良され大量に生産しているのもそんな背景があったのだ。大神官は武器の改良と共に、クイに命令を下した。それは、兵士ではなく、武器の作り手を葬る作戦だった。だが、国の事情があったとしても、理由はどうあれ何の抵抗も出来ない人間を大量に殺すクイは、正に「汚れた人間」の集まりに違いない。
トヌマは遠くを見ながら話を続けた。
「民は天子様や大神官を、汚れの無い神に近いお方だと思っている。確かに、そうしなければ国は一つにまとまらない。だが、実際は皇室ほど汚れた場所もない…。神官たちは、自分の出世しか考えていないし、天子様はマルナ様の監視の報告を顔色変えずに聞いている。…なあ、オング。俺達は本当に正しいんだろうか?」
「…分からない。だが、せめて俺たちのやっている事が、トステの民の為だと思いたい。」
「…そうだな。そうでなければやってられないよな。」
「…また来る。」
そう言うと、オングは去ろうとしたが、トヌマが腕を掴み引き留めた。
「オング、お前は間違えるな。俺は皇室にいる限り、何かあれば命を差し出さなければならない。だが、お前は逃げる事だって出来る。この国が行く先を違えたなら、迷わず逃げろ。」
「…俺は…全てを守るよ。」
「それは…一番困難な道だ。」
「…そうだな。」
そう言うと、オングは音も無くその場から去っていった。