第7話 ナッカ国のフーナ①
文字数 2,223文字
旅芸人の歴史は古く、まだナッカやトステといった国家が成される以前は、どこにも定住することがない流浪の民であった。しかし二百年程前からナッカとトステの戦が始まり、どちらの国も国籍を持つことを国民に義務付けた為、旅芸人たちは両国に別れ、その国の中でのみ活動している。そんな歴史的背景もあってか、旅芸人達は独特の価値観を持っていた。それぞれの国の国籍を持ってはいるものの、どちらの国にも執着が無い。ナッカ国の旅芸人達は朝の鍛錬であるタンカをすることもなく、トステ国の旅芸人達もまた、早朝の祈りの儀式ムトを行うことはなかった。税金などは舞台の仕事の度に納めていたが、流浪の彼らは戦に出る事もなく、彼らはそれぞれの国に居ながらも、『国』という概念を受け入れず、自由な生活を謳歌していたのだ。
両国の国民達もまた『旅芸人だから=流れ者だから』仕方ないという認識を持っていた為、それほど非難されることはなかったが、そのかわり旅芸人達は、国が保証する制度の恩恵にあやかることは出来なかった。例えば、トステ国では医療を受けられない。医療は天子様の恩恵と信じられているのでムトを行わない彼らは門前払いされる。またナッカではタンカを行わなず兵役にも出ない彼らに、武器を売ることが禁じられていた。そして両国共通で言えるのは、何か事件や事故があっても誰も助けてくれない。仲間の誰かが殺されてもお調べや裁判は行われないというのが、全ての旅芸人達の宿命であった。
フーナがいる旅芸人一座は評判も良く、特に舞い手のフーナは「風のフーナ」と呼ばれるほど、体重を感じさせない跳躍力に、しなやかな身のこなしと、流れるような手足の動きに誰もが魅了された。容姿も美しく、年の頃は二十代中頃で、多くの男達がフーナに言い寄ってきたが、フーナは冷たくあしらっていた。また、その気の強さも逆に魅力でもあったようで、一座への依頼も多く、フーナは大忙しの毎日を送っていた。
その日は、ナッカ国の港町で、新しく結成された軍隊の結成式が行われようとしていた。首都メッキからは精鋭部隊ドガの中からから猛将と言われるタズが、新しい軍隊の将軍として着任した。フーナたちの一座は、タズの着任式を兼ねた結成式の余興として招かれていたのである。
朝からその準備をしていた一座は、簡単な舞台を設営すると、夜の結成式の予行練習を行っていた。
「おい、チルミ!振りが遅い!それじゃ合わないだろ!」
「はい、すみません!」
座長であるデングの怒号が飛ぶ中、チルミと呼ばれた舞い手は、何度も同じ場所を練習していた。最近一座で舞うようになったデングの娘で、娘ということもあってか、デングはチルミには特に厳しく指導していた。チルミもまた期待に応えようと頑張るのだが、父である座長の厳しさに、チルミは何度も心が折れそうになっていたのだった。
休憩中、フーナはデングに話しかける。
「座長、もう少し長い目で見てあげても良いんじゃない?私だってあの頃は、全然使い物にならなかったわよ。」
「フーナ、お前は昔から天才だったよ。チルミは、人一倍努力しなきゃ無理なんだ。そもそも才能が無いんだから。」
「そんな事ないわよ。私は天才なんかじゃないわ。それに、チルミも相当努力してるわよ。」
そう言って、フーナは休憩中も練習しているチルミの姿を見やった。デングはその姿を見ると、ため息をついて、遠い目をした。
「…フーナ、お前の母親もこの一座の舞い手だったが、本当に美しかったよ。今のお前以上かもな…。なのに、本当に申し訳ない事をした。」
「また、その話?」
フーナは少し悲しそうに笑った。
フーナの母親は、フーナがまだ幼い頃、何者かに犯され殺された。その亡骸は、道端に捨てられていたという。勿論、その犯人は捕まっていない。旅芸人の宿命だ。
「お前は、まだ幼くて覚えていないのが幸いした。あんな母親の姿を見たら、お前は一生心を閉ざしてしまったかもしれない。」
「だから、言ってるじゃない。私はそんなに弱くないわよ。例え覚えていたとしても、私は舞い手として、母親の分まで踊るわ。」
「…そうだな。お前は強い。だが、俺は弱い。」
「え?」
デングの言ってる意味が分からないと言うように、フーナは聞き返した。デングは、皆の父親でもあり、誰もが彼を頼りににしてついてきたし、それに応えてもくれている。
デングはフッと笑って、話を続けた。
「俺は強くなんかない。…ここだけの話だがな、俺はチルミが舞い手を諦めて欲しいと、心のどこかで思っている。」
「…どうして?」
「お前の母親のようになって欲しくないんだ。俺には耐えられない。」
「座長…。」
「お前も知っての通り、旅芸人は自由と引き換えに、誰も助けちゃくれない。殺されても文句も言えない。でもそれじゃあ、その辺の犬や猫と同じじゃねえか…。俺はな、チルミには旅芸人を辞めて、普通の暮らしをして欲しいと願ってるんだ。」
「だから、あんなに厳しくしているの?」
デングは、フーナの問いに答えなかった。他の座員が稽古再開の準備をし始める。
「…さ、休憩は終わりだ。今の話は忘れてくれ。今夜も頼んだぞ、フーナ。」
フーナはデングの背中を見つめた。
いつも厳しい座長が、その時は一人の父親に見えたのだった。