第4話 トステ国のミツ①
文字数 2,297文字
染め師は、白い糸で織られた着物を文字通り染める仕事で、トステの人達は朝の祈りの時間である「ムト」以外は、割と色とりどりの着物を好んで着ていた。男物は藍色や山吹色などが多かったが、女物は暖色系が好まれ絵付けをされた柄物も多かった。
ミツは絵付けも行ったが、染め師としての評価の方が高かった。草や木の皮などから抽出した染料の配合が絶妙で、ミツの染めた着物はトステの首都・カナンでも、いつも高値で取引されるほどの人気であった。
ミツは、年の頃は二十才そこそこで、その朗らかな容姿と温和な性格から嫁にと望む声も多かったが、ミツは染め師としてまだまだ半人前だと周りに言い続け、大好きな染め師の仕事を続けていた。
ある日、ミツは川で「流し」と言われる、布に着いた余分な染料やのりを落とす作業をしていた。ミツはこの作業がとても好きで、少し冷たい川に入るとそれだけで清々しい気持ちになり、時々魚が足をつつくとこそばゆく、つい笑ってしまう。清らかな流れと共にミツ自身も心が洗われるように感じていた。
しかし、ミツは最近になって微妙な変化に気づいた。
川の温度が少し高い。川の温度が変わる事はよくある事だが、何となくこの時期にしては高いと思っていた。それと共に、川魚の数が少なくなっているような気がしていたのだ。
「ねえ。最近、川がぬくいように感じるんやけど。」
ミツが同じように流しをしている仲間に聞いてみた。
「そうかい?気のせいじゃないかいねえ。いつもとおんなじやと思うがなあ。」
仲間が特に気にしてる様子もなかったので、ミツも考えすぎかと思って仕事を続ける。そこへ、幼馴染で仕事仲間のカイヤが土手を転げそうになりながら走ってきた。
「カイヤ~。走ったら危ないがよ~。」
言ってるそばからカイヤは転び、一回転して川に飛び込んでしまった。
ケガはないようだが、その滑稽な姿に仲間達は大笑いしていた。ミツも笑いながらカイヤを助け起こす。
「なんだいね。そんなに慌てて。愛しの旦那様でも帰って来たがか?」
カイヤは今年の春に、この村の青年と結婚していた。幼馴染だったせいか夫婦仲も良く、すぐ子供も授かるだろうと周囲からも思われていたが、結婚して幾日も経たないうちに、旦那はナッカとの戦に借り出されてしまい、新婚でありながらカイヤは一人で暮らしていた。その為カイヤは寂しいと言っては、よくミツの家に遊びに来ていたのだ。
「ミツ…ミツ…大変!一大事だあ!落ち着いて聞きや!」
「カイヤこそ、落ち着くべ。」
「あんな、あんたの染めた着物を、献上品として皇室に収めるようにと、お達しが来ただよ!」
「え?」
この知らせに周りの仲間達も驚きのあまり、手にしていた着物を取り落とし、危うく川下に流してしまうところだった。
皇室の献上品は、滅多に平民に依頼されることはない。かなりな大店か、格式高く伝統ある店に頼むのが通例だ。カイヤの話によると、たまたま現天子様であるスミナル様の妃、マルナ様がミツの染めた着物の評判を聞き、是非一度見てみたいと仰ったと言うのだ。
「皇室の使いのもんが、ミツの家に今来てるだ。早く行き!」
ミツは、川から上がり、急いで家へと走る。
走りながら、ミツは夢でも見ているのではないかと、二度三度自分の頬を叩いた。こんな田舎町に皇室の使者なんて来るわけがない。カイヤは私をからかってるんだ…。そう思いながらも、心臓の高鳴りを抑えられずにいた。
家の前には、立派に装飾された馬が一頭繋がれていた。驚きと共にミツは慌てて家の扉を開けると、立派な装束に身を包んだ使者が、母親の前で鎮座していた。
「これ!ミツ!はしたない。頭を下げんか!礼儀知らずの娘で、申し訳ねえです。」
使者の応対をしていた母が、これでもかと言うくらい畳に向かって額を擦りつける。ミツは母親の隣に座り、同じように使者に向かって頭を下げた。
「ミツと申します。ご無礼致しました。」
「いいのだ。私は只の使者ゆえ、そこまでしなくともよい。私は天子様の妃にあらさられるマルナ様の護衛を務めるトヌマと申す。楽にせよ。」
その声は、笑いを含んだ優しい声だった。ミツは少し安堵して頭を上げる。トヌマと名乗ったこの青年は、男とは思えないような美しい顔立ちをしていた。女物の着物を着ても十分似合うのではないかと思えるほど、その端正な容姿にミツはポカンと見入ってしまった。そんなミツにトヌマは優しく微笑みかける。ミツは思わず真っ赤になり、下を向いてしまった。
「本来ならこういう使者は、マルナ様のお付きの女官がする仕事なのだが、今回は少し遠出だった為、馬で来る他なくてな。申し訳ないが、少し馬を休ませてはもらえぬか?」
「勿論でございます。お好きだけご滞在ください。客間をご用意いたしますゆえ。ミツ、頼んだよ。」
ミツは、トヌマにもう一度お辞儀をすると、その場を後にして隣の部屋に向かった。来客用の布団の準備をしながら『あのお顔は、美しすぎるべ。まともに見てしまったら、目がつぶれる』などと思いながらも、少しウキウキしていた。でもすぐに、浮かれている場合ではないと思い直す。皇室にはあのような美しいお顔をした人ばかりなのだろう。自分の染めた着物が本当に気に入ってもらえるかどうか…ミツは改めて依頼された仕事の大きさに震える程の責任を感じていた。
それから一か月後。
ミツが丁寧に丁寧に仕上げた渾身の着物を、皇室に献上する日がやって来たのである。